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2.恋人


  ―3―


 あれやこれやと考え事をしていると、玄関のチャイムが鳴った。

 家には私しかいなかったので、仕方なく階下に降りて、インターホンを使って来客者の顔を確認する。

 モニターに映った顔を見て、私は思わずチッと舌打ちしていた。

 そこに映っていたのは、お兄ちゃんの恋人の秋葉亜実さんだった。

 ピンポンピンポンピンポーン。

 何度も連続でチャイムを鳴らされ、私は渋々インターホンの受話器を取った。

『秋葉ですけど、優くんはいらっしゃいますか?』

 お兄ちゃんと連絡が取れなくなったことを心配し、家までやって来たのだろう。



 私はどう対応すべきかと思案した。お兄ちゃんの名誉のためにも繭化のことは話したくなかったが、もしかしたら彼女なら、お兄ちゃんが繭化した原因を知っているかもしれない。

 私はしばし逡巡し、迷った末に亜実さんを家に招き入れることにした。

 玄関の三和土に立った亜実さんは言った。

「お兄ちゃんはいる? メールや電話をしてもぜんぜん連絡が取れないから、どうしちゃったのかと思った。呼んできてくれない?」

「二階にいるにはいるんだけど、お兄ちゃんは今、ちょっと動けない状況で……」

 歯切れの悪い口調で言うと、彼女はとても不安げな表情を作り、勢い込んで尋ねてきた。

「え、どうしたの!? もしかして優くん、怪我か病気でもしたの!?」

 今にも私に掴みかからんばかりである。

 私は「何を見ても驚かないでください」と前置きし、亜実さんを二階のお兄ちゃんの部屋へと案内した。



 亜実さんは巨大な繭となったお兄ちゃんを見て愕然とし、その場に崩れ落ちて、臆面もなくわんわんと涙を流し始めた。

「ゆ、優くん……なんだってこんな姿にっ……!」

 私は亜実さんに尋ねた。

「お兄ちゃんがこうなった理由、何か心当たりはありませんか?」

「最近元気がないっていうか、何を話しても上の空だったことには気付いていたけど……」

 やはりお兄ちゃんの様子は、以前からおかしかったようだ。

 嗚咽混じりに亜実さんが言葉を続けた。

「『なにか悩み事でもあるの?』って尋ねたんだけど、優くんは……何も言ってくれなくて……」

 お兄ちゃんは人の話は熱心に聞くけど、昔から、あまり自分のことを語ることをしなかった。

 人当たりのいい気さくな性格をしているんだけど、どこか超然としていて、神秘的で……。そこがまた、お兄ちゃんの魅力の一つだったのだけど。



「まさか、こんなになるまで思いつめていたなんて……。何か悩み事があるなら、私に相談してくれれば良かったのに……」

 繭にすがりついてよよよと泣く亜実さん。

 そんな彼女に、私は上から嫌味を浴びせた。

「恋人なのに、お兄ちゃんが何で悩んでいたかも、知らなかったんですね」

 この人がしっかりしていれば、あるいはお兄ちゃんはこんな事にならなかったかもしれないのに……。

 そう言うと、亜実さんはキッと顔を上げて、こちらを睨んできた。

「あなたこそ一緒に暮らしていたのに、優くんがこうなるまで気付かなかったの?」

 予想外の反撃を食らった。私はうっと心の中で呻いた。

 亜実さんの目がきらりと光る。

「もしかして優くんがこうなったしまった原因は、あなたにあるんじゃないの?」



 最近、お兄ちゃんは私のことを避けるように過ごしていた。

 勉強教えて、一緒にゲームをしようと誘っても「今忙しいから」、「後でね」などと言って、邪険にされる。昔はよく一緒にお風呂に入ったり、同じ布団で寝たこともあったのに。

「年頃になった妹と、どう接したらいいか分からないんだ。お兄ちゃんたら可愛いーっ!」

 なんて思って自分を誤魔化していたけれど、私とお兄ちゃんとの関係がギクシャクとしていたことは確かだった。

 まさか……まさかお兄ちゃんが繭化したのは、私に何か原因が……?



 大学へは家からでも十分通えたのに、お兄ちゃんは「一人暮らしがしたい」と頑なに言い張っていた。もしかしたらそれは、私と同じ家で過ごすのが嫌だったから、なのだろうか……?

 お兄ちゃんは、そんなにも私のことを嫌っていたのだろうか……?

 そこまで考え、私はいやいやいやと激しく首を振った。

 もし仮に私のことを嫌い、疎ましく思っていたのだとしても、もうすぐお兄ちゃんは一人暮らしを始める予定だったのだ。私と離れることが出来る。喜ぶことはあっても、繭に閉じこもる必要などなかったはずだ。

 つまり、私はお兄ちゃんに嫌われていたわけじゃない!

 そう結論付けて、私は無理やり自分を奮い立たせた。



 私と亜実さんはお互いに睨み合い、押し黙っていた。

 そんな気まずい空気の中でも、身動き一つしないお兄ちゃん。

 亜実さんは涙をぬぐって宣言した。

「……決めた。私は、優くんが元に戻るまでここにいる!」

 思いがけない発言に、私は我知らず素っ頓狂な声を出していた。

「はい?」

「一生懸命語りかければ、きっと私の声が届いて、夢の世界から戻ってきてくれるに違いないわ! そうに決まってる! それまで、私はここから動かない!」



 私は慌てたように叫んだ。

「な、何言ってるんですか。駄目ですよ、帰ってください!」

「私の愛で、優くんは救われるのよ!」

「ちょっと、お兄ちゃんに触らないでよ!」

 ひしと繭にしがみつく亜実さん。

 それを引き剥がそうとする私。

 女同士の小規模な小競り合いが生じた。



 私と亜実さんは、昔からあまり仲が良くなかった。

 というか、そもそも私はこの人があまり好きではなかった。

 独りよがりな性格をしていて、いかにも今時の女の子っていう感じがして……。家に遊びに来ては、図々しく私たち家族の食卓に混じったりする。

 お兄ちゃんとこの人では、絶対に釣り合わないと思う。

 私はこの人が家に遊びに来るたび、部屋に閉じこもってなるべく顔を合わせないようにしていた。

 ……自分でも分かっている。

 私は、お兄ちゃんを取られて亜実さんに嫉妬しているのだ。



「お兄ちゃんから離れてよ!」

「いいえ、離さないわ!」

 亜実さんと口論しながら、私はふと、ある事を思い付いた。

 恋愛問題、痴情のもつれ。

 まさかこの人との交際が原因で、お兄ちゃんは繭に閉じこもってしまったのではないだろうな?

 私は一度亜実さんから距離を取り、冷ややかな口調で彼女に尋ねた。

「つかぬことお聞きしますが、お兄ちゃんとの仲は、うまくいってたんですか?」



 亜実さんはふふんと胸をそらしながら自慢げに答えた。

「もちろんよ。直接会えない日は毎日電話をしてたし、日に百本はメールのやり取りをしていたもの」

「ひゃ、百本……?」

 私は目を点にして聞き返した。

 それは、逆に多すぎるのではないだろうか?

 私は恋人を作ったことがないので基準が分からなかったが、恋人が出来ると、それくらいのやり取りは普通なのだろうか?



「私は料理が得意だから手作りのケーキとかクッキーとかをよく作ってあげたんだけど、優くんはおいしいおいしいと言って、それらを食べてくれたわ」

「わ、私だって料理は得意ですよ!」

 母は昔から仕事で家を開けがちだったので、家事は私とお兄ちゃんが担当していた。レシピがあれば、一通り何でもおいしく作れる自信がある。

 亜実さんは頬に手を添えながら、少し照れたように言葉を続けた。

「デートの時は、優くんは離れないようにって、いつも私の手を繋いでいてくれたし……」

「わ、私だって、お兄ちゃんと手を繋いでよく出掛けてました! ……六歳くらいの時は」

 無意味に張り合う私。

 言っていて、何だか自分で自分が悲しくなってきた。



 亜実さんは留めの一撃とばかりに、若干の間をおいて、したり顔をしながら言った。

「それに私と優くんの間には、同棲の話も上がっていたほどなのよ」

「……え?」

 私は亜実さんのセリフに我が耳を疑った。

「ど、同棲、ですって……?」

 初耳だった。

 そんな話、聞いてない。

 亜実さんは自慢するように、夢見るような口調で言った。

「優くんから『家を出るから一緒に暮さないか』って誘われてたの」

「お、お兄ちゃんがそんなことを……!?」

 二人の仲は、そんなにも進んでいたのか。ショックで軽くめまいがした。

 そんなこと、お兄ちゃんは一言も私に話してくれなかった……。



「優くんったら『お前がいなきゃ駄目だ』なんて言って、すごく私に甘えて……」

「ああ、もう、分かったから! 分かったから!」

 これ以上、彼女の口からお兄ちゃんとの思い出話なんて聞きたくなかった。

 私はとめどなくのろ気始めた亜実さんの背中を押して、お兄ちゃんの部屋から追い出した。そのままどんどん階段を下していく。

「私と優くんの仲を引き裂こうっていうの!? いくら彼の妹さんだからって、私たちの絆を断ち切ることは不可能よ!」

「はいはい、そうですねー」

 わめく亜実さんを華麗にスルーする私。

「あなた、将来のお義姉さんにその態度はどうかと思うわ」

「と・に・か・く! これは家族の問題ですから! あなたは邪魔しないでください!」

 家に居座ろうとする亜実さんを、私は無理やり追い返した。ガチャリと鍵を閉める。

 扉の向こうでは、まだ彼女はギャーギャーと何かを叫んでいた。

 壁に寄りかかりながら、私は深いため息をついた。なんだかどっと疲れた。


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