器官
夜九時を回り、あわただしく廊下を行き来していた使用人達も静かになった。
普段であれば廊下にいるのはボディーガードだけのはずだ。
だが、今日に限ってはボディーガードは見えるところにいない。
このタイミングを浩くんは待っていた。
三人は書斎に向かう。
浩くんが持ち出した書斎にあるはずの『廃坑の鍵』を返そうというのだ。
三人が廊下に出る。
そこで豊は自分の目を疑った。
廊下を紙で作った小指ほどの大きさの人形がトコトコと歩いている。
「おい、ありゃなんだ?」と豊は二人に指を差し問う。
「アレってどれだよ?」と英雄。
嘘だろ?
トコトコ歩く人形が見えてないのか?
浩くんも気付いてないようだ。
そんな訳がない!
誰が見たって異様な光景のはずだ。
豊はその紙で出来た人形を親指と人差し指でつまんだ。
豊の指の間で人形は暴れるでもなく一定のリズムで待ちあげられているのに空中を歩くように動いている。
訳がわからない。
豊は人形の胴体部分をビリッと破った。
紙で出来た人形は破られるとピクリとも動かなくなり、ヒラヒラと単なる紙切れとして床に落ちる。
「何だよ、人のウチの床に紙屑捨てるなよ」と浩くんが豊を批難する。
「ご、ごめん」と豊。
『見えない』とか言ってたクセに、破ったら紙屑として認識出来るんだ。
一体どういう事だ?、と豊は首をひねった。
「二階に放っていた式神のうち一体の反応が消えました」とサングラスにスーツの男。
「式神は一般人には認識出来ないはず。
何があったのだ?」とリーダー格の、スーツの男が言う。
「わかりません。
何者かが式神の存在を把握してるのかも知れません」
「わかった。
今後更に厳重に二階の見回りを厳重にするように!」
「は!」
紙で出来た人形は低級神、精霊が宿っている『神代』、『式神』と呼ばれるモノで、陰陽師が放ったモノである。
『式神』には認識疎外の術式がかかっており、通常の人間には把握出来ない。
だから浩くんにも英雄にも見えなかった。
しかし豊にはハッキリ見えた。
それが何故だかはわからない。
わからないが豊が三人を監視するための式神を破り捨てた瞬間、ボディーガードの目は三人から外れた。
豊と英雄は浩くんについて、書斎へと向かった。
「理由はわからない。
だが、二階に張り巡らされた監視の目が今、消えた。
今こそ書斎にある『ジダンの門』とやらの調査の時だ!」同時刻に呪術師の彰も動き出した。
書斎の扉のドアノブをガチャガチャと浩くんが回す。
「あれ?何か書斎が開いてる・・・
誰かが中にいるのかな?」と浩くん。
書斎の鍵は普段は閉まっている。
だが、そんな厳重に閉められている訳でも、頑丈な鍵がついている訳でもない。
書斎の鍵は食堂に普通にブラ下がっている。
書斎には、安倍家の家族であれば出入り自由なのだ。
だから書斎に入る行為自体、浩くんは制限されない。
制限されるべきは、書斎の『あべべ自動車経営者の机の中から廃坑の鍵を盗んだ』事だ。
浩くんの顔が焦りの色に染まる。
折角書斎でこっそり『廃坑の鍵』を戻そうと思っても、家族の誰かいるんじゃ、内緒の行動が出来ない。
今回の作戦は失敗か?
「と、とにかく書斎の中に入ろう」焦りを隠しながら浩くんが言う。
しかし書斎の中に人の気配はないし明かりもついていない。
「あれ?誰かが鍵を閉め忘れたのかな?」
三人は電気をつけて書斎の中に入る。
「うわ、図書館みたい!」と豊。
書斎の蔵書は図書館並み、いや、図書館以上かもしれない。
二階の書斎のフロアだけ天井が高く、四階まで吹き抜けになっており、背の高い本棚がズラリと並んでおり、その本棚にはギッシリと分厚い本が詰め込まれていた。
そして窓際には如何にも『社長の机』というような、ごっつい威厳のある机が置いてある。
「廃坑の鍵はあそこの机の棚の中から取ったの?」と英雄。
「うん、そう。
じゃあ『廃坑の鍵』、戻しておくね!」と浩くん。
「わかった。
じゃあ、僕らはこの部屋を見学してて良い?」と豊は浩くんに聞く。
「別に良いよ。
でもあんまり触らないでね。
『持ち出し禁止』の貴重品も結構あるからね」と浩くん。
「だろうね」と壁際の年代物っぽい置物を見ながら英雄が言う。
一先ず『経営者の机』に向かう浩くんと、書斎の中を探索する豊と英雄は別行動を取る。
「しかし広いな!」と英雄。
ぐるっと書斎を一周して、入ってきた扉付近まで来た。
入って来た時は気付かなかったが扉の横には大きな美術品がある。
「どこかの美術館にある『地獄の門』みたいだな」と英雄。
「『地獄の門』?
何だよ、それは?」と豊。
「『考える人』って像あるじゃん?
あれ『地獄の門』の中の像の一つらしいぞ。
まあ簡単に言えば『コレ』みたいな美術品が『地獄の門』って訳だ」と英雄。
「へえ。
でもこの門、美術品ってより、なんか本当に開きそうじゃない?」と豊。
「そう言えば開きそうかも」と英雄が門に手を触れる。
英雄が門に手を触れた途端にバリッと青白い稲妻が走る。
「痛っ!
コレどういう事だよ!?」と英雄。
よく見ると門には札が貼ってある。
洋風な門に、和風な札が貼られていて、いかにもミスマッチだ。
「この札から稲妻が出たのか?」と豊が触ってみたが何ともない。
「何ともないぞ?」
「俺が触った時は稲妻が走ったんだけどなあ?」と英雄が再び札に触ろうとする。
バリバリッ!
今度は英雄に先程より強く稲妻が走る。
どうやら札には『英雄は触れない』『豊は触れる』らしい。
「何で俺はダメなんだよ!?」と英雄。
「わかんないよ」と豊。
二人があーでもない、こーでもないと話していると、物音がした。
「しっ、隠れろ!」と英雄。
何で隠れなきゃいけないのかは意味不明だ。
確かに書斎の机は触っちゃダメだっただろうが、浩くんについて書斎に入った事自体は何の問題もないはずだ。
ここは別に許可さえあれば立ち入り禁止ではないし『あべべ自動車』の商談に何度も使用されている。
ただ隠れた理由は一つ。現れた男が『いかにも』で怪し過ぎて『見つかったら何か危害を受けそうだった』のだ。
現れたのは『黒いフードの男』
浩くんから聞いていた「お母さんが呼び寄せた呪術師」の特徴とピッタリ合致する。
黒いフードの男はよく見ると左目に眼帯をしている。
何故だかはわからない。
酷い中二病なのか?
『右手が疼く・・・』とか言うのか?
ただ豊の直感が告げる「コイツはヤバい」と。
書斎の鍵を開けたのはコイツだったのか?
書斎の鍵はそんなに複雑な構造じゃない。
簡単なピッキングでも開くだろうから『どうやって扉を開けたか』自体はそれほど疑問ではなかったが『何でフードの男が書斎に用事があったか?』は疑問が残る。
いや、科学万能薬のこの時代で『呪術師』を名乗るヤツがヤバくない訳がないんだが。
黒いフードの男が『門』に手を触れる。
バリバリ!
やはり『門』に貼られている札は黒いフードの男を拒絶する。
フードの男が何かを呟く。
「右半身の感覚を差し出す。
『門』を開けろ」と。
すると黒いフードの男の影が自立して動き出し、フードの男の横にしなだれかかるように立ち上がった。
『これは私の知らない術式で編まれた結界だねえ。
アンタの右半身の感覚がもらえれば出来るかどうか試してみるけど・・・。
オススメはしないねえ。
おそらく私はこの結界を解除出来ない。
そして術式に阻まれて、弾かれて、しばらく私は動けなくなるだろうさ。
私がいなくなったらアンタは戦力不足になるだろう?
アンタら呪術師を怨んでいる下級悪魔、下級神はゴマンといる。
アンタが一時的に丸腰になった時を狙って、アンタやアンタの大切な人が攻撃を受けると思うよ?
ホラ、アンタの大切な恋人が死神に殺された時みたいに・・・ククククク・・・』
「黙れ!」フードの男は小声だったが、確かに怒りを感じさせた。
「おー怖い怖い」影はおどけながら言う。
それでもフードの男は『門』を開けるのを諦められない様子だった。しばらく書斎の中をウロウロとし始めた。
あの影は何だ!?
少なくとも『人外の者』というのは間違いないだろう。
豊と英雄は顔を見合わせる。
『エラいモノを見てしまった』と。
見た事がフードの男にバレたらどうなるんだろう?
『見られたからには生かしておけない』とありがちな展開になりかねない。
『逃げるぞ』というように英雄が豊を促す。
その意図を汲み取って豊は首を縦に振り書斎の奥へ行く。
『何故、扉から出ようとしないのか?』
「扉方面にはフードの男がいるから」「浩くんを置いてはいけないから」だ。
しかしフードの男、ウロウロしすぎだ。
フードの男から逃げるように二人は書斎の中を行ったり来たりする。
「これ、フードの男に俺達の存在がバレてないか?」と英雄。
やっぱり?
フードの男に影が語りかけていた中で少し気になった内容として『どうやら部屋の中にデカいネズミが忍び込んでるみたいねぇ?』というのがあった。
アレ、もしかしなくても豊達の事なんじゃないかな?
でも観念して出ていくのは下策だ。
何故そう思うか?
そんなもん、何となくだ。
何となくだが、確信がある。
『見つかったらヤバい!』と。
黒いフードの男から、逃げて扉付近に行く。
どうする?このまま扉を開けて二人で逃げるか?
しかし、浩くんを置いて逃げるのか?
それで良いのか?
「英雄!こっちに来い!」咄嗟に豊は英雄の手を引っ張り『門』をこじ開けて隙間に二人で滑り込む。
滑り込む瞬間、英雄の服が少し門に触れる。
門は激しく火花を上げ「バン!」という爆発音のような音が上がる。
黒いフードの男が音の方向を見る。
瞬間、豊と黒いフードの男は視線が合う。
「やべっ!」豊は反射的に開けた『門』を内側から閉めてしまった。
『門』は壁際に設置されている。
向こう側に多少の隙間があったとしても壁との間の小さなスペースだろう。
もし反対側から『門』が開けられないとしたら、二人は狭い空間に閉じ込められてしまう。
・・・そんな心配をする必要性もなかった。
不思議な事に、閉まると、みるみるうちに『門』は消えていった。
『消える』としか表現のしようがない。
『門』は別の空間に繋がっていたのだ。
例を出すなら『門』はまるで『どこでもドア』のように別の空間にくぐった人を運ぶと、その役割を終えたように虚空に消えたのだ。
『門』が2人を運んだ空間は薄暗い夜の書斎とは違い、昼間の明るい空間らしい。
空間を一言で表現するなら『国民的ロールプレイングゲームの玉座の間』だ。
部屋の作りだけでなく、豪華な椅子に座っているトランプのキングみたいな男や、その横に立っている、いかにも『大臣』という感じのハゲた男もテンプレ通りの玉座の間だ。
その王冠をかぶったキングっぽいヤツが威厳たっぷりに言う。
「#########!」
どないやねん、全く理解出来ん。
何語やねん、英語っぽくないぞ。
だって知ってる単語とかもなかったし。
「『よく来た!
異世界の勇者よ!』だってさ」と英雄。
「何で英雄はわかるんだよ!
いつの間に外国語を勉強したんだよ!?」と豊。
「##########!」と王。
だからわかんねーってば!
「『勇者なら最初から翻訳魔法を身に付けてるはずだから言葉が伝わるはずだ』だってさ」と英雄。
「英雄は勇者なの?」
「知らん。
違うと思う。
勇者になった記憶ねーもん。
そういう豊はどうなんだ?
勇者なのか?」と英雄。
「僕は勇者じゃないと思う。
だって『翻訳魔法』ってヤツ、英雄はもってるのに僕は持ってないし。
勇者ってどうやってなるんだろ?」と豊。
何かしら英雄が王に聞く。
「##########・・・」王が英雄に説明している。
2人で会話すんな。
ポツンと一人っきりの疎外感ったらない。
「どうやら異世界人には勇者になるための臓器、器官が備わってるらしいぞ?
この世界の人間はその臓器、器官が退化していて普通はないらしい。
でも数万人に一人、先祖返りしてその臓器、器官がある人間が生まれる。
だからこの世界でも勇者が生まれる事がある。
でも勇者は滅多に生まれないから、異世界から勇者予備軍を呼び寄せるんだってさ。
で、異世界から勇者を呼び寄せたら英雄と豊が現れた、って話らしい」
「別に呼ばれて来た訳じゃねーぞ?
『門』をくぐったらたまたまここだったってだけで」と豊。
「今回の事はイレギュラーが多いんだってさ。
本当はもっと召還の儀式とかもやるはずだったし、呼んだのは一人だったんだって。
なのに儀式もやる前から異世界から二人来ちゃった、という話らしい」と英雄。
「ふーん、で、日本から来たヤツにはみんな勇者の資格があって『翻訳魔法』ってヤツがあるんだよな?
何で僕は異世界の言葉が理解出来ないの?」と豊。
「何でも地球から来た人間には、下っ腹の右の方に『賢者カヤマ』が発見した『カヤマ勇臓』って器官があるんだとさ。
そこから勇者成分が分泌される、と」と英雄。
「何だよ、その『勇者成分』って・・・
つーか、その器官ってどこにあるんだよ?」と豊。
「###########」
「###########」
「###########」
英雄と王と大臣が何かよくわかんない言語で話している。
豊はする事がないから、壁のシミを一人寂しく数えていた。
「『カヤマ勇臓』っておそらく盲腸の事だぞ?」と英雄。
「盲腸?」豊が聞き返す。
「右の下っ腹っていうのも、この世界の人間が『無くても生活していける』っていうのも盲腸の特徴だ、と思う」
「じゃぁ何か?
盲腸から『勇者成分』が出てるって言うのか?」
「この世界では、どうも、そうらしい。
地球じゃ『何のためにあるかわからない器官』って言われてたけどな」と英雄。
「それで僕は言葉がわからなかったのか・・・」
「ん?どういう事だ?」と英雄。
「僕、盲腸ないんだよ。
虫垂炎で全摘出しちゃったんだ。
だからここで言う『勇者成分』が出る器官がないんだよ。
つまり、英雄は勇者になれるかも知れないけど僕は勇者にはなれない」