坑山
「ねえ、桃太郎の仲間で雉って必要?」あべべ自動車の会長は子供の頃、あべべ自動車の創業者である祖父に絵本を読んでもらった後に聞く。
『何でそんな事が気になるのだ?』と祖父。
「犬とか猿って怒らせたら怖いし、下手したら人間でも負けちゃうと思う。
でも雉はそんなに怖くないよね?
雉が鬼を倒せるとは思えないよ。
それに鬼って何?
お母さんみたいなモノ?」
『ハハハ・・・それはお母さんには言わない方が良い。
しかし鬼とは何者か、か。
それは難しい質問だな。
いくつも同時に質問はしない方が良いぞ。
先ずは何で雉が仲間になったか、だったな?
それには諸説あるんだが「稚武彦が桃太郎の事だと言われているから」とも言われておるな』
「意味がわかんない」
『ちょっと難しい話だったかな?
稚武彦の「稚」の字と「雉」の字が似ておるのだ。
だから「雉」は「稚武彦」の家来を意味していた、とも言われておる』
「へー!おじいちゃんもそうだと思う?」
『儂はそうは思わん。
桃太郎は吉備津彦命の事だと思っておる。
稚武彦の事だとは思っておらん』
「うーん、難しい話はわからない・・・。
ねえ、おじいちゃんは雉がどうやって鬼を退治したと思う?」
『さっき犬や猿ならまだしも、雉はどうやって鬼を退治出来たのか?・・・と言ったな?
逆じゃよ。
犬や猿や子供ごときじゃ鬼なんて倒せる訳がないのだ。
考えてみろ。
鬼が人間の大人より弱いはずがあろうか?
強い人間の大人の集団が子供と犬と猿に後れをとると思うか?』
「そういえば・・・」
『雉がいなかったら、子供と犬と猿が鬼を倒せる訳などなかったのだ』
「どういう事?」
『雉の鳴き声を聞いた事があるか?』
「ない」
『ないだろうな。
昔はどこにでもいたんだが。
甲高い鳴き声だ。
「ケーン」と鳴くと言われておるな。
その雉の鳴き声を鬼が苦手とするのだ。
鬼は怪力無双で、身体は鋼の如く硬くどんな刃物でも傷一つつけられないらしいが、雉の鳴き声を聞くと途端に耳を塞ぎ、全ての力を失ったらしい。
だから子供でも犬でも猿でも鬼を退治が出来たのだ』
「何でおじいちゃんはそんな事を知ってるの?
何で他の人はその話を知らないの?」
『この話を知っているのは生きている者では儂とお前だけだ。
誰にでも話して良くはない。
今後は「あべべグループ」の後継者のみに語り継ごうと考えている』
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あべべ自動車の創業者はもうこの世にはいない。
トラック製造で『あべべ自動車』を大きくした創業者は意外にも岡山の工場を一番に気にかけていた。
岡山の工場は『あべべ自動車』の足を引っ張る赤字部門だった。
彼は何度も生前、言っていた。
「何があろうと岡山の工場を手放してはいけない」と。
工場自体にそこまでの価値はない。
だが、工場の地下に埋まっている亜炭の坑山跡が重要だ、と創業者は言った。
亜炭の坑山からは『桃太郎伝説』に関する書物が見つかったらしい。
何故そんな世紀の大発見を隠すのか?
廃坑になった亜炭坑山は『亜炭が取れなくなった』訳ではない。
坑山を掘り進めた時、坑山の奥から地底人が現れたのだ。
地底人にはあらゆる攻撃が無効だった。
命からがら逃げ帰った人々は厳重に坑山の入り口を閉ざした。
何故地底人が鬼の事だと確信したか。
『「桃太郎伝説」が書かれた書物が見つかった坑山で地底人が見つかった』
『地底人は甲高い音を苦手としていて、逃げる時には金物を叩くと逃げきれた。
「桃太郎伝説」の「鬼は雉の鳴き声に弱い」という記述を見てダメ元で試してみたら、本当に効果はてきめんだった』
だから廃坑は『あべべ自動車』のオーナーが間違いなく管理しなくてはいけない。
『鬼ヶ島』は島じゃなかったのか?
何で鬼が地下に逃げ込んだのか?
最新の研究では鬼は『鬼ノ城』と呼ばれる山城に根城を構えていた事になっている。
つまり桃太郎は島に渡って鬼退治をしたのではない。
山に登ったのだ。
そして、桃太郎から敗走した鬼は地底へ逃げ込んだのだ。
しかし地底がどうなっているかなど、現代人には誰もわからない。
そもそも『伝説』が本当であるかもわからない。
『あべべ自動車』創業者の父親がとんでもないホラ吹きだった可能性だってある。
いや、『あべべ自動車』現社長はホラと信じて疑っていないのだが。
そう思うのも仕方がない。
創業者ですら『鬼』を見ていないし、亜炭坑山が稼働していた当時はまだ第一次大戦が始まったばかりの世の中だ。
全てが荒唐無稽な作り話に見えてもしょうがない。
そして現社長は『あべべ自動車』の負の遺産を引き継いでいる。
なんとか会社を存続させるために岡山工場を廃業して土地を売りに出したい。
だから父親である会長から何度もうるさく言われた『岡山工場だけは何があっても守らなくてはいけない。岡山工場の下には西日本を恐怖に陥れるような怪物が眠っている』という約束を破った。
社長は変わった。
以前は何もかもを1人で決断するような男だはなかった。
変わった切っ掛けになったのが、一人息子の余命宣告だった。
息子は中学三年生。
最初は『少し肩が痛い』と言っていただけだった。
放っておけばそのうち痛みは消えるだろう、と放置していたのがいけなかったのか。
痛みが長引いた事で息子は整形外科医を受診する。
息子のレントゲン写真をみた整形外科医は「直ぐに大きな病院で検査するように」と倉敷市内の総合病院への紹介状を書いた。
診断は『悪性骨肉腫』
しかも末期で「手の施しようがない」との事だった。
息子の診断を聞いて社長はとにかく息子との時間を作ろうとした。
そのために『あべべ自動車』の採算の取れない車種は切り捨てる事にした。
採算の取れない工場は全て潰そう、と。
で、可能であれば国内の生産拠点を東南アジアに移そう、と。
もう無駄な足掻きは一切しない。
足掻く時間があれば一秒でも息子との思い出を作る時間にしたい。
子供を思う父親として当然の心境だろう。
しかし息子はそれを喜ばなかった。
何故なら『自分のせいで多くの者達が職を失う事になったのだから』
そしてその『職を失った人達』の中には中学校の友達の家族が大勢いた。
どうせ自分はどう足掻いても数ヶ月で死ぬ。
だが、友達の兄貴が『大学進学を諦めた』という話や友達の姉の『婚約の話が御破算になった』という話を聞く度に『自分一人のために多くの人が犠牲になる』と息子は嘆いた。
その認識はある意味正しくて、ある意味間違っている。
『あべべ自動車』が足掻くのを止めた事で傷口が最小限に抑えられた人もいる。
『駄目なのに取り繕う』事で一時凌ぎにはなるだろうが、その反動というか揺り戻しは何杯にもなったはずだ。
『誰かがいつかブレーキを踏む決断をしなくちゃいけない』
その決断をしたのが現社長だった、というだけの話かも知れない。
しかし息子は『自分のせいで・・・』と思いこんでいる。
「自分さえいなかったら、不幸な人が沢山減るんじゃないか?」と。
息子は『立ち入り厳禁』の亜炭廃坑山に入って行く。
その鍵を持っているのは『あべべ自動車』の経営者だけだ。
息子はその鍵を父親の書斎から拝借した。