後編
明日で、締め切りの一週間が経つ。
30代女性のエキストラを依頼するため、広子に電話するつもりだったけど、なんやかんや実行には移せていない。
エキストラ100人のうち80人弱は決まったが、考えうるツテはあらかた出し尽くしてしまった。
100人という数の暴力と、1週間という時間の制約は、想像以上に絶望的だった。せめてもう少し時間があれば、やり方は色々あったのに――と無茶振りをかます製作サイドへのイライラが募る。
この件とは一切関係ない筈の五味秀一にすら、理不尽なイライラを覚えてしまう。陰気だが影のある独特の雰囲気が結構好きだったのに、最近はテレビ画面の端に彼の顔が映るだけで、晩ゴハンのハンバーグは泥団子に変わった。
「横田さん、そろそろ始まりますよ。現実に戻ってきてください」
吉田クンに肩を突かれ、私は現実逃避から憂鬱な帰省を遂げる。面倒な仕事を押し付けられてはいるものの、通常業務のスケジュールは待ってくれない。今日は商店街の面々が集まる年1の総会の日だった。
私は担当者が読み上げる事業報告や決算、新年度の事業計画、予算なんかを、お坊さんの読経を聞くような感覚で脳内に漂わせていた。
気を抜くと微睡の沼に沈みそうだ。最近は通常業務の後に、付き合いのある人達にエキストラ打診のDMを送っている。明らかに睡眠が足りていない。
丁重に断りのメールを返してくれる人もいるが、完全にスルーを決め込む人が大半だ。唐突で胡散臭い相談なのだから仕方ないが、この結果が自分の信用のなさに起因するんじゃないかと考えると、結構凹む。
総会は滞りなく進む。
この街はいつも通りの日々を、いつも通り続けている。
N市が賑わうこと、それは確かに大事なのかもしれない。このままいけば経済活動はどんどん低迷するし、見切りをつけた若者はどんどん外に出ていく。この街に再び人を呼ぶためには、今回のようなチャンスをどんどん活用していくのは確かに大事だろう。
でもそれって、例えば冷麦に唐揚げをぶっ込むみたいな事なんじゃないか?
質素な冷麦にだって、冷麦だけが持つ良さがある。それを無視して別の系統の味を投入したところで、お互いの良さを打ち消す結果になりかねない。
そんな事を思った。
その質素さを否定してこの街を出ていった私に、冷麦の良さを声高らかに唱える資格はないかもだけど……。
「そういや、横田さん」
今期予算の用途について意見が飛び交う中、その言葉の隙間を縫うようにして吉田クンがボソッと呟いた。
「俺、昔の友人達と連絡とってみました」視線は会に向けたまま、独り言のように言う。「エキストラの件は断られちゃいましたけど、なんか、昔話でかなり盛り上がりまして、今度みんなで飲みにいくことになりました」
「へぇ、そっか」
「もう子供がいるやつもいて……。なんすかね、その子のためにいい街にしてってくれって、言われちゃいました。たしかにその子らにとっちゃ、こんな消えかけの街だって、かけがえのない故郷なんすよね」
誰かが意見を述べ、その意見を盛り上げるように、別の誰かが言葉を加える。みなが、この街の未来を真剣に考えている。
「だから、ちゃんと生き存えさせてやらないと……」
誰かの発言に拍手が湧き起こる。その様子から目を逸らさずに、吉田クンは小さく頷いた。
* * *
総会が終わると、商店街の一角で本屋を営んでいる本田さんが、私の肩を叩いた。
本田さんは60代の男性で、父親の代から続く本屋を経営している。でも、本田さんの息子さんは県の経済の中心であるK市で働いているらしいく、本屋も自分の代で終わりかな、とぼやいていた。
私は高校生の頃から、本田さんのところには散々お世話になった。広子と一緒に帰る日はマンガの新刊を二人で買ったし、一人で帰る日は東京の大学の赤本や参考書をひっそりと眺めた。
本田さんは、そんな子供の頃の私なんて、覚えていないと思うけど……。
「なんか、大変みたいだね?」
「え?」
「ほら、映画のこと。昨日夜中にメールが来てたから」
「いやぁ、すみません、ご迷惑でした?」
私はヘラヘラと笑う。笑顔という煙で罪悪感を覆い隠し、この街の本心から心を守る。
「エキストラの人、集まった?」
「いえ、もう少しなんですけどね。年齢や性別も細かく決まってるから……」
「そっか」本田さんは考え込む仕草をする「私の方でも、K市にいる息子の知り合いをあたってみようか?」
願ってもない申し出に、私は面食らう。
「え、いいんですか?」
尋ねる私に、本田さんはイタズラっぽく笑い、小さく頷いた。
「横田さん、いつも頑張ってくれてるから、恩返ししないとね」
思いがけない言葉だった。私は「はぁ…」と素っ頓狂な声を漏らし、首を傾げる。
私はただ、与えられた仕事を必死にこなしてきただけだ。それは単に自分が生活するための頑張りで、誰かに認められるような頑張りではない。
合点がいかない私を察したのか、本田さんは続ける。
「ほら、横田さんたちが主催した『お花見ウォーキングイベント』あったでしょ?」
それは数年前の話だ。春の目玉イベントを考えようという議題の中で、私の提示した案が奇跡的に通ったのだ。
春のイベントという単語を聞いた時、私の頭の片隅に描かれたのは、広子と二人歩いた城跡までの道だった。光の噴水のように地面から噴き出た桜の木々は、城跡に向かうにつれてその色を深めていく。
春の陽気と、涼しげな風を全身に受けながら歩くその道が、私は確かに好きだった。
そのイベントはそこそこ繁盛し、毎年参加者も増え、今では春の恒例となっている。
「あのイベントはとても良かった。派手さはないけれど、この街の景色を隅々まで堪能できてね。私も毎年参加してるよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
私は照れてもにょもにょ言い淀む。仕事に関することで褒められる機会はあまりないため、嬉しさよりも照れの方が勝る。
「正直ね、私は映画うんぬんがなくったって、この街は大丈夫だと思ってるんだ。――いやいや、ごめんね。こんな元も子もないこと言っちゃって」
本田さんはニヤリと笑う。謝ってはいるが悪気はない、そんな表情だった。
「いえ、少し、わかります」
事実、私の心にも同じような感覚があった。
「横田さんみたいな、この街を理解し好きでいてくれる若者が、伝統や特色をアップデートしていく。きっとそれが、無理のない発展の在り方なんじゃないかな……なんてね」
本田さんの言ってくれた言葉は、私が心の奥で最も望んでいた言葉だった。
「でも、私は――」
しかしその言葉を素直に受け取れない、自分の中の天邪鬼が口を開こうとする。
『あなたは私を買い被っている。私は一度、この街を見限った薄情な人間なんだ』
喉元まで出かかったその言葉の先を知っているかのように、本田さんは続けた。
「横田さんが東京の大学に行きたくて、一生懸命参考書を選んでる姿を、私は覚えているよ。志望の大学に進学出来たんだって、いつも一緒だった友達が嬉しそうに教えてくれた」
広子が――
人が引けていく公民館の隅で、本田さんの言葉ははっきりと響き、私の胸を打つ。
「遅くなっちゃったけど、上京の夢が叶っておめでとう。そして、この街に帰ってきてくれてありがとう」
私は言葉に詰まる。
この街をーー大切な友人を裏切ってしまった自分は、この街に受け入れてもらえないと思い込んでいた。
でも、傷つくのを恐れ、この街を受け入れていなかったのは、私の方だったのかも知れない。
* * *
総会の後、私は適当な理由をつけて職場に戻らなかった。
ふと、桜が観たくなったからだ。
急な坂を登り、切り通しを抜けると、高台から見渡せる景色はあの頃と少し変わっている。真新しい白の建物が立ち、道は広く整備されているが、その道の先はあの頃へと続いている。
遠くに見える城跡は白い色で霞んでいた。
気が付けば、春は旬を迎え、桜は満開に咲き誇っていた。
坂を下り、舗装された歩道を歩く。
慣れない徒歩で重くなった私の足は、しかし流れるように自然な足取りで、一本の桜の木へと向かった。
それは東京の大学へ進学することを広子に伝えた、あの桜の木だった。
満開の桜。
その下では、学校帰りと思われる母校の制服を着た少女達がふざけ合っている。私はそんな彼女達の戯れに目を細めた。
春の風は蠱惑的に、花びらを枝から引き剥がし、陽の当たる地面へと誘う。
それは少しだけ寂しい別れ。
しかし季節が巡り、また春が来れば、その枝には再び桜が花開く。悲しい別れなど、無かったかのように。
私達も、そうなれるのだろうか。
――唐突に着信音が鳴る。
宇宙を舞台にした戦争ものSF映画で、黒いマスクを被った敵の総大将が登場する時のメロディーだ。おどろおどろしくもどこかバカっぽいその曲を、私は局長からの着信音に設定している。
一瞬で興が削がれた。
画面に映るうるさい上司の名前を睨みつけ、一呼吸おいて電話に出た。
「はい横田ですすみませんエキストラの件は明日までにはなんとかなりそうですから大丈夫です!」
どうせエキストラの進捗でグチグチ嫌味を言われるのはわかっているので、開口一番、先制攻撃で小言の出鼻を挫く。
「……ああ、その件ね」私の先制攻撃を受けた局長の声は、想定に反して覇気が無かった「それ、なくなったから……」
「え?」
局長の言葉の意味が理解できなかった。
「だから、映画のロケがなくなったの!」
当てつけのように声を荒げた局長は、春の嵐も尻尾を巻いて逃げ出すほどの、長い長いため息をついた。
「え、なくなったって、何でですか?」
「そんなのこっちが知りたいよ!」局長は擦り切れて穴が開いたゴミ袋みたいな、悲痛な声で続ける。「いやなんかね、もう一つロケ地の候補が上がってたらしくて、そっちの方に正式に決まったんだって! こっちはもう動き始めちゃってるのに、勘弁してよ! 観光課と共同でロケ地ツアーの草案も考えてたし、五味秀一Tシャツのデザインも依頼しちゃったんだよ?」
「は、はは」
「ていうかさぁ、横田さんの対応が遅いから、別の市に取られちゃったんじゃないの!? 横田さんはいつもトロいからなぁ」
「……ひとのせーにすんなよな」
「えっ?」
「フィトノ・セーニス・ルナンヨって言ったんです。『エキストラの件は対応が遅れてしまい誠に申し訳ございませんでした』って意味ですよ」
「あ、知ってるよ! ファロビン語でしょ?」
「違います、ゴリベン語です」
「……まぁ、わざと間違えたんだけどね」
少しの沈黙が訪れる。
「とにかく、エキストラの件はもうおしまい! はぁ……そういうことだから、横田さんは依頼しちゃった人達に中止の一報を入れといて……」
そう言って、漂う魂が天に召されるように、電話が切られた。
私は唖然として、切れたスマホを眺めた。
桜の木の下では、母校の制服を着た少女達が、太い幹に身体を預けて何やらおしゃべりに興じている。
陽が傾きつつある平日午後3時過ぎ。
昼と夜の間の曖昧な時間帯にも関わらず、城跡は多くの声であふれている。
その声は一様に明るく、訪れ、そして過ぎ去っていくこの街の春を謳歌している。
私は手持ち無沙汰に握っていたスマホの画面を操作し、懐かしい名前の電話番号をタップする。
迷いは無かった。
散った春も、また咲き誇るのだから。
4回目のコールのあと、声が聞こえた。あの頃よりも少し落ち着いた、でも懐かしい声。
優しい吐息のようなそれは、そよぐ春風の音にも聴こえた。
「広子、あのね……」
小さな蕾が花開くように、私は懐かしい名前を呼ぶ。
包み込むようなこの街の空気を、全身で感じながら――
【了】
お忙しい中お読み頂いた皆様、本当にありがとうございます(*´Д`*)
本作は幕田の中学時代の友人であるA氏が実際に体験した『ロケ地キャンセル騒動』を下敷きに書いた作品になります。
件のA氏と、なろうユーザーでもあるなんとかさん(ユーザーID:918786)からこの騒動を基盤に作品を書いてみたら?との提案を受けた幕田は、いでっち51号さんからご依頼があった『劇団になろうフェス』との(勝手な)コラボを思いつきました。
そこには、幕田なりの試練というか、思惑がありました。
幕田の場合、トーリーの下敷きとなる『エピソード』や、小説に登場する『キャラクター』は、あくまでも自分の中だけで生み出してきました。
しかし、そこには一作者の『経験値の限界』があるのではないか? もっと自分以外の様々な情報を咀嚼し、吸収し、自分のものにしていかなければ、創作の幅は狭まってしまうのではないか?
そんな自分のリミッターを解除するため、今回はあえて『自分の知らない世界で起こった出来事』を自分の中で広げて、小説として組み上げてみました。更に劇団になろうのコンセプトの通り、登場する人物もまた、他者様の作り上げたものを拝借しています。
純度100%だった幕田作品に、いくつもの甘美な調味料を垂らした作品が、本作になります。
お味はどうだったでしょうか?
読んで頂けた方々の感想が気になるところではありますが、評価はさておき、幕田としましては「新しい経験値を得た」という実感だけはあります。
最後になりますが、このような素敵な企画に招待頂いたいでっち51号様へ、心より感謝申し上げます。