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気が付くと梗汰はやや大きめの木の根元に寝転がっていた。
そこが気を失う前とは別の場所だということだけは分かった。
「なんだ、こりゃ・・・・・・」
梗汰の体には細い根っこに柔らかく絡まれており葉っぱなどが体を僅かに覆っていた。
見るようによっては、まるで木に守られている様にも見える。
梗汰は体を覆っている根っこや葉っぱを手で払い木に背を預け座った。ふと手の動きが止まる。
世界の記憶を取り込んだ梗汰は自分の現状を全て理解していた。現在の自分を取り巻く状況を、自分が渡り人であるということを。
自分はもう元居た世界に戻ることが出来ないということを。夢なんかではない本物の異世界。
この世界の上位に位置する自分の世界から此方の世界に来ることは出来ても、その逆は起こりえない、自分の居た世界からこの世界への道は一方通行だった。
それを悟った瞬間、自然と涙が溢れた。気付いてしまったが故に希望もない。
自分はもうこの世界で生きてゆくしかないのだ。
この世界に来るまでの梗汰は大学生であった。優しくも厳しい両親の間に生まれ、おじいちゃんやおばあちゃん、それに弟という大切な家族の中で過してきた。
「もう・・・・・・戻れないんだなぁ」
そう呟いたと同時に、さっき零れた涙の後を覆うようにして大粒の涙が頬を伝った。
そしてしゃくりあげるように鼻をすすると服の袖でそれを拭った。
ただ、不幸中の幸いと言えるのが、世界というシステムが矛盾をいう異常を抱えないように
梗汰が世界に居たという痕跡は欠片も残されていないということだった。世界の記憶が教えてくれた。
今頃自分が居た世界ではおじいちゃん、おばあちゃん、父さん、母さん、弟という家族となり、自分抜きで今まで通り暮らしているであろう。
「心配をかけることがなくてよかった・・・・・・」
梗汰は心からそう思っていた。
ガサッ
「っなんだ!」
横から聞こえてきた茂みを払うような物音に気付き、すぐさま声を出す。
「す、すみませんっ。泣き声が聞こえたもので・・・・・・」
声が聞こえてきた方を向くと少し先に生い茂る草をかき分け一人の女の子がこちらを見ていた。
見た目では梗汰より大分年が低いであろうその少女は、若草色をした布を肩にかけ、白のシャツ、茶色のショートパンツ、膝上のロングブーツ、長めの茶色の髪は後ろに流し結ばれていた。
「どうしたのですか?何か困ったことでも?」
梗汰に近づきながらその女の子は優しく言った。こちらを気遣うようなその声は透き通るような優しい響きを持っていた。
この世界で初めての優しさに涙が再び流れた。
自分の状態を全てを理解し現在精神が不安定な梗汰には、それがとても暖かく感じられた。
「いや、なんでもないんだ。ちょっと嬉しくてね。さっきまでは悲しかっけど」
その女の子は、?という擬音がこっちまで伝わってきそうな顔をした。
そして、あっ、と言ったかと思うと梗汰の顔をまじまじと見ながら。
「私はっ、私はサイラと言います。もし良かったら名前を聞かせてもらっても?」
「あぁ、オレの名前は稲葉梗汰」
「いなばこうた?」
「あー梗汰が名前なんだ。梗汰でいいよ」
「はい分かりました。コータさんですね」
サイラは嬉しそうにニコニコしながら言った。
こんな所で一人で泣いていた梗汰に対して興味が湧いたようだった。
「さっきはどうして泣いていたのですが?」
直球である。
少し辛そうに梗汰は口を開く。
「ちょっとね、ビックリすることがあってさ。思わず・・・・・・ね」
渡り人について迂闊に言っていいのかどうかが問題だ。世界の記憶の欠片は頭にあるのを感じるが、それについての感情が無いからだ。普通記憶というものは記憶する対象の知識と、それに関する自分の好き嫌いなどの経験を交えて、覚えるということに繋がっている。今の梗汰にはそれがない状態だった。
言うなれば、人生初めてレンジを見た人が、レンジの中身の構造や使い方は教えてもらい理解しているが、それの使い勝手や、どの状態の食材にどの程度使えばいいのかという経験が全く無い状態である。
渡り人というものが珍しいものだということは記憶が教えてくれた。だがそれが及ぼす影響はわからない。
常に最悪のことを考えて動くのが梗汰の癖だった。
その間もこちらを窺っていたサイラは、へーとかホーとか呟きながら何かを思案するかのように目を閉じ顎に手を当てている。
そしていいアイデアでも思いついたのか、うん、と頷きながら言った。
「私の家でお茶でもどうですか?」
父さん、母さん、貴方の息子は異世界で最初に会った年下の女の子に逆ナンされました。