徘徊する屍人
奥館 暦と申します。
本作は『夏のホラー2023』という企画で『帰り道』をテーマに書いた作品です。
総文字数は3000文字ほどの短編小説。私はホラー作品自体書いたのはこれが初めてなので、拙い部分も多いとは思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。
限られた時間をこの作品へ割いて頂けることに最大の感謝を——。
ぼんやりと光をまとう街灯が、ゆっくりと私の頭上を通り過ぎていく。
とたんに視界は暗くなり、夏特有の湿り気のまじった生暖かい風が、私の肌をぬらりと撫でては消えていく。
しーんと静まり返った公園。この季節なら虫の音一つも聞こえてきそうなものなのに、あたりは奇妙なほどに静かだった。
会社の帰り道。私はいつものようにこの公園の中を横切っていく。
都会の中とは思えないほど広い公園。自然の保護を目的として作られたこともあり、公園に遊具などは一切なく、あるのは生い茂った木々と、アスファルト敷きの遊歩道。それから古びた街灯が、一定の間隔を置いて設置されているだけだった。
チカ、チカと……不自然な明滅を繰り返す街灯が、私の意識を執拗に煽っていく。
なんとも口にしがたい不穏な気配が、つねに私の周囲を取り囲んでいる。時折鳴る微かな物音すらも、私の心をひどく掻き乱すには十分だった。
ギチ……ギチ……、ズル……ズル……。
——ア……アア……。
前後左右に広がる暗闇を意識しないように努めながら……私はふと、お昼ごろに話していた後輩たち三人の会話を思い出す。
**
そういえば知ってる? 会社近くの公園、実は最近出るらしいのよ。
出るって……何が?
屍人よ屍人。海外ではゾンビって言うんだっけ? それがどうも夜、あの公園を徘徊してるらしいのよ。
ええ、何それこわーい。
その話本当なの?
うちの会社でも何人か見たって言う人がいるのよ。
ええー、じゃあもうあの公園通れないじゃん。
何言ってんのよ。いるわけないでしょ、そんなの。
ええ。でもそれ聞いただけで私、もうあの公園怖くて通れないよ。
大丈夫よ、夜中に通らなければね。
その屍人って夜中にしか出てこないわけ?
目撃した人はみんな夜中に見たらしいわ。——でも、気をつけなきゃだめよ……。
な、何よ……急にそんな……。怖がらせようとしたって、私は信じないわよ。
——もしその屍人に襲われたりしたら……、襲われた人も屍人になるって話だから……。
**
その会話を聞いた時の私の感想は “馬鹿馬鹿しい” だった。
こんな都会のど真ん中で、しかも屍人——ゾンビだなんて、そんな荒唐無稽な話があるわけがない。
それも襲われたら自分も屍人になってしまうだなんて……。もしそんなことになっていたら、あっという間にこの街は屍人だらけになってしまう。
ギチ……ギチ……、ズル……ズル……。
——アア……アアア……。
そんな噂などただの作り話だと頭では理解していても、私の心が安らぐことは決してなかった。
公園中に広がる暗闇。脇を抜けていく湿った空気に、じりじりと這い寄る不気味な音。それらが合わさり混じり合うことで、この空間自体がどこか非現実めいたものへと変異していく。そんな感覚が、先ほどからずっと……。
それもゆっくり……ねっとりと……。
私の足先から、蔓のように絡みついてくる。
私の歩きはそれらに引っ張られるかのように、格段に遅くなっていく。
いつもならこの時間にはもう公園の出入り口についているはずなのに……。今日はなんだか……。
——目的の場所は……まだ見えない。
公園の三分の二を過ぎた頃だろうか……。
ふと視界の端に一際大きなベンチが目に止まった。
木製の板に青銅の肘かけがついた、少し豪華な造り。どこか古臭く、無機質なこの公園とは微妙にマッチしないそのベンチは、私にとってこの上ない思い出のベンチだった。
彼と出会ったのも、そう……ちょうどこの場所……。
前の彼氏にこっぴどく振られた私はある夜、友人とひどい自棄酒をした。あの時もちょうどこの時間帯……。
友人と別れ、私はいつものようにこの公園を通って一人帰路についた。おぼつかない足取りのまま、平衡感覚さえ不明な状態で歩いていた私は、ついに地面へと倒れ込んでしまった。
そんな時、私の元へ駆け寄って来てくれたのが、今の恋人でもある彼だった。
彼はこの時会社帰りで、後から聞いた話では、彼も帰り道にこの公園をよく通っているのだと言う。
私はそれ意向、彼とよくこの公園で会うようになり、そして私たちは晴れて交際することとなった。
彼はとても優しく、いつも私のことを気遣ってくれる素晴らしい人だ。世の男どもと比べるのも烏滸がましい——。
それほどまでに、私の瞳は彼を魅力的に映していた。
でも残念なことに、彼の会社はかなりのブラック企業らしく、彼はほとんど深夜に家へ帰っているそうだ。
休みの日も少なく、会える日は月に二、三回あるか無いか……。
当然寂しい気持ちはあったけれど、それでも私は十分満足だった。
彼との日々はとても貴重だけれど、でもそれゆえに特別なものに感じられたのだ。
この時間帯ならもしかすると……。
私はささやかな期待を胸に周囲へ気を配ってみるが、しかしそうそうそんな奇跡など起こるはずもなく……。
この公園に私以外の人の気配など、どこを探しても感じられなかった。
——それどころか……また……。
ギチ……ギチ……、ズル……ズル……。
——ア……アアア……。
まただ……。今まで気にしないように努めていたと言うのに、またあの音が私の鼓膜を刺激してくる。
聞きたくもないあの音が、私の耳に執拗に粘りつくのだ。
耳を塞ぎたくなるような異音。
爛れた肉がこすれ、重い体を引きずるような不快な音。
ああ……早く、早く家に帰りたい……。
そんな時、公園の周囲を取り囲む黒い鉄柵。その一部分を途切れさせた場所が、遠くの方へ確かに見えたのである。
あれは……あれは間違いなく公園の出入り口——。
まだここからだと数メートルあるけれど、どうやら私はようやくこの呪縛から解放されるらしい。
まだあの音は聞こえるけれど、それももう……。
だが、安堵したのも束の間。
——その手前。私の前方に……何かもぞもぞと蠢くものが佇んでいるのが見えた。
目を凝らしてみるとそれは……人の影だった。
周囲が真っ暗なためにそれはぼんやりとしか捉えられず、いまいち判然としない。
その人影はゆらゆらとたゆたいながら、おぼつかない足取りのまま……。こちらではなくあちらの方——公園の出入り口を目指して歩いているようだった。
ギチ……ギチ……、ズル……ズル……。
——アアア……アア……。
またあの音……。
不快な音は今でもまだ私の体にまとわりついている。
お願いだから、もう……。
するとそのゆらめく人影は、等間隔に並び立った街灯の下にようやくその姿を現した。
ああ——、まさか……そんな……。
それは紛れもない。見間違えようはずもない、恋人の後ろ姿だった。
やや茶色く染まった後ろ髪に、毎晩遅くまで働いているせいですっかり縒れてしまったスーツ。
すらっとした体は細く高く、疲れているのか彼の両肩はひどく垂れ下がっていた。
私はそんな彼の後ろ姿を見るや否や、その場を飛び出していた。
やっと……やっと久しぶりに彼に会うことができる。彼に……触れることができる。
私はそんな興奮を抑えようともせず、彼の元へ一直線にひた走った。
足をつまずかせても、体勢を崩しても……地面に倒れ伏しても……。
私は一心不乱に、ただ彼の元めがけて必死に体を動かし続けた。
何を話そう。彼と会えない間、私の周りではさまざまな出来事があった。
……いえでも、でもまずは彼の話も聞かなければ……。嫌いな上司の愚痴なんかも、きっとたくさん溜まっていることだろう。
そう思いながら駆け出した私はもうすでに、彼のすぐ後ろにまで辿り着いていた。
目の前に立つ彼は私の存在に気づいた様子もなく、ふらふらとした足取りで歩き続けている。
そうだ。まずはそう……この公園に出没するという屍人の話でもしよう。
彼はこの手の話題は苦手だったはず。きっと目一杯怖がってくれるに違いない。
そして私は彼のその華奢な肩を掴み取ると……。
血の気が失せた大きな口を広げ、その白い首筋に——噛みついた。
小説家になろう夏季企画『夏のホラー2023』ということで書かせていただきました『徘徊する屍人』いかがだったでしょうか。
去年は『春の推理2022』で一作書いただけだったのですが、今年は『春の推理2023』に続いて、ホラーにも挑戦しようじゃないかということでこの作品を書くことに決めました。ただ怪談風のホラーというものがどうしても浮かばず、悩んだ末に自分なりのホラーにしようと、ずっと前から温めていたネタを織り混ぜることにしました。どうでしょう。これ……ちゃんとホラーになってますよね?
おそらく、というか絶対に秋季企画の方は参加しないので、やるとしたら冬季になると思います。それまでには何か一作でもミステリーが出せればよいのですが……。
まだまだ稚拙ではありますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。今後とも適宜こういった作品は書いていこうと思っていますので、その時はまたお付き合いのほどよろしくお願いいたします。