図鑑の記述
「まったく……皆どうかしてるよ。あんな人間、ただの生贄なのに……」
ランドセルを揺らしながら、ルインは不満げな声を漏らして廊下を歩いていた。
「そりゃあ、確かに言葉を話したのはすごいけどさ、ゴブリンやオークだって鳴き声くらい上げるし……。そこまで大したことじゃないじゃん……」
自分で言っておいて、ルインは何となくモヤモヤしたものを感じていた。立ち止まってランドセルから図鑑を出し、『人間』のページをめくる。
『人間の知能はゴブリンと同程度であると考えられている』
ルインの目が眼鏡越しにその一文を捕らえる。ゴブリンのページをめくると、『知能は極めて低く、我々と意思の疎通を図ることは不可能である』と書いてあった。
(……でも、あの『人間』は皆と話してた)
『生贄』が発していた悪魔語の数々をルインは思い浮かべる。あんなことは、ゴブリンには絶対に出来っこない芸当だ。
(じゃあキュリエレーナの言うように、この図鑑には嘘が書いてあるのかな……?)
ルインは図鑑をぎゅっと握りしめる。
この図鑑はルインの誕生日に、両親がプレゼントしてくれたものだ。
普段は忙しくて夜遅くまで帰って来ない両親が、この日は無理に休みを取って盛大なパーティーを開き、ルインの生まれた日を祝ってくれたのである。この図鑑を見る度に、ルインはその日のことを思い出して嬉しくなる。
そんな宝物の図鑑に嘘が書いてあるなんて思いたくない。『人間』のページには、『下等生物』という言葉が四回も使われているのだ。その記述が間違っていると考えるのは、ルインにとっては受け入れ難い事実だった。
(そうだよ……。大体、言葉を話したくらいで、『下等生物』から抜け出せるわけないじゃないか……)
ルインは無理に自分を納得させることにした。
(大体あんなの片言だし、喋った内にも入らないよ。知能が高いって証明するには例えば……字が書けたりしないと。……あっ、そうだ!)
皆にあの『生贄』の知能の低さを分からせてやろう。そうすれば、図鑑は間違っていなかったことになる。両親との美しい思い出もそのままだ。
ルインはペンを出して、『人間の知能はゴブリンと同程度であると考えられている』の一文に線を引くと、決意も新たに下校を再開したのだった。