だいすきなともだち
「私は赤い屋根の家に住んでいます。……ニエちゃんは?」
「……おり?」
たどたどしいながらも、ニエちゃんがついに会話のやり取りができるようになったのは、その日の放課後のことだった。ニエちゃんは、マリリンの問いかけに正確に答えてみせたのだ。
「すごい、ニエちゃんすごいよ! ……ほら、皆も何かお話ししてみて!」
歓声が上がる中、マリリンは脇に退いて、他のクラスメイトをニエちゃんの前に立たせる。皆は列を作りながら、「ご飯を一緒に食べませんか?」や「お名前を教えてください」などと矢継ぎ早に質問を投げかけている。
まだ話せるようになったばかりなので、その全てにスラスラ答えられるわけではなかったが、それでもニエちゃんは一生懸命に返事をしていた。その様子が、マリリンの目にはとても好ましく映った。
列の一番後ろに並んでいた生徒まで順番が回り、再びマリリンの番がやって来た。ニエちゃんの様子にすっかり気を取られていたマリリンは、次の質問を考えていなかったことに気が付いて焦る。
その結果、即興で考えた質問で今回はやり過ごすことにした。
「ニエちゃんはどこから来ましたか?」
「……?」
しかし、先ほどとは打って変わって、ニエちゃんは黙り込んで首を傾げてしまった。マリリンは、質問の仕方が悪かったのかなと考え、言い方を変えてみることにする。
「ニエちゃんの出身はどこですか?」
「しゅっしん……」
ニエちゃんは、またしても何やら難しい顔になってしまった。
マリリンは、もしかしてこの質問はニエちゃんにとって嫌なものだったのだろうかと不安になってくる。キュリエレーナが図鑑で見た『人間』について話してくれた時のことを思い出したのだ。
ひょっとしたらニエちゃんが特別なだけで、他の人間は皆野蛮で、ニエちゃんは彼らにいじめられていたんじゃないだろうか。だから、故郷のことを思い出して不快になってしまったのかもしれない。
不穏な想像がマリリンの脳裏をよぎる。
すると、後ろから「聞いても無駄だと思うよ」と声がした。
「生贄は、魔界に連れて来られる時に、今までの記憶を全部消されちゃうんだ。だからそんな質問しても、何にも答えられないよ」
ランドセルに教科書を詰めているルインだ。そう言えば彼は列に並んでいなかったなとマリリンは気が付いた。エドが、「もう帰るの?」と目を丸くしている。
「ルインも、もうちょっとニエちゃんと遊んでいこうよー!」
「そうだよ! ニエちゃん、たくさん言葉を覚えたんだよ!」
皆がルインを引き留めようとする。しかし彼は、「今日は塾があるから」と言って、早々に教室から出て行ってしまった。
「がり勉だなぁ、相変わらず」
コーマックは、こんなに可愛いニエちゃんにルインがまったく心を動かされていないという事実に驚愕しているらしかった。それを、「まあまあ」と言ってレジーがなだめる。
「ルインのパパとママは魔王城に勤めてるエリート悪魔だから、ルインにいっぱい勉強させないとって考えてるんだよ」
「……それにしてもニエちゃん、家が分からないんだ」
ルインの家庭環境はさておき、今のマリリンは、『生贄は記憶を全部消されている』という彼の発言に気を取られていた。他の皆も複雑そうな顔になっている。
「僕、お父さんやお母さんのこと忘れちゃったら嫌だな……」
「うん。あたしも……」
「それってすごく悲しいことだよね。……ニエちゃんは寂しくないの?」
「かなしい? さみしい?」
ニエちゃんはきょとんとしている。
「みんな、ともだち……かなしい、ない。さみしい……ちがう、です」
意外な返事をするニエちゃんに、マリリンは驚いて、皆と顔を見合わせた。
「……私たちがいるから寂しくないってことかな?」
「ニエちゃん……そんなふうに思ってるんだね……」
ニエちゃんが辛い思いをしていないのは自分たちの存在によるものだと知って、マリリンの胸の中が少し暖かくなる。皆の顔がゆっくりと綻んでいった。
エドが密かに職員室から拝借したまま隠し持っていた鍵で檻を開けると、皆は一斉にニエちゃんに抱き着いた。もちろんマリリンだって例外ではない。
「あたしたちもニエちゃんが大好きだよ!」
「ニエちゃん! 大好き!」
飛びついてくる子どもたちに混乱しながら、ニエちゃんは「だいすき?」と尋ねている。マリリンは、「こんなふうにぎゅってしたいってこと! 一緒にいたいってことだよ!」と説明した。
「だいすき……ぎゅ……。いっしょ……」
ニエちゃんは口の中でしばらく言葉を転がした後、にっこり笑って、「わかった、です」と言って皆を包み込み返してきた。
「わたし、みんな、だいすき……ます! えっと……ともだち!」
いつの間に『ともだち』という言葉を覚えたのだろうかと、マリリンは疑問に思う。だが、傍で感じるニエちゃんの体温があまりにも温かくて、そんなことはすぐにどうでもよくなってしまった。
「うん、友だちだよ」
柔らかな温かさに包まれながら、マリリンは幸せな気持ちでそう返した。