本物の『人間』
「コ、コーマック! しっかり!」
レジーが慌てふためきながら、ニエちゃんの檻の近くに倒れている机を元通りにしていたところだった。その下敷きになっていたのは、コーマックだ。
「うう……。痛いよぉ……」
どうやら机の上に乗ってふざけていたところ、足を滑らせて落下してしまったらしい。コーマックは左手首を押さえながら、エビの様に背を丸めてべそをかいている。
音にびっくりしたのか、ニエちゃんはゼリーをひっくり返して服をベタベタにしていた。
「これ、折れてるんじゃない?」
ルインが変な方向に曲がっているコーマックの手首を見ながら、冷静に呟いた。「大変!」とキュリエレーナは顔を引きつらせる。
「お、俺、保健の先生呼んで来る……!」
レジーが教室から出て行こうとする。回復の魔法は中等科で習う内容なので、まだ初等科の彼らにはコーマックの傷は癒せなかったのだ。
「でもまだ朝早いよ。先生来てるかな?」
ルインが首を傾げた。「じゃあどうするんだよ!」とレジーが怒鳴る。コーマックのすすり泣きが段々と大きくなり始め、「死にたくないよぉ!」と喚いた。
「ちょっと、皆落ち着いて……。このくらいで死んだりしないから……」
学級委員長としてこの場を収めねばと、キュリエレーナは男子たちの間に割って入ろうとした。だが、それよりも早くコーマックに手を差し出した者がいる。
「え……? ニエちゃん……?」
ニエちゃんが檻の中から腕を伸ばし、コーマックの手首を華奢な手のひらでそっと包んだ。優しく漏れる淡い金の光。気が付いた時には、コーマックのねじ曲がった手首は元通りの正常な方向を向いていた。
いつの間にかコーマックの涙も止まっている。コーマックは、「痛くない……」と指を曲げたり伸ばしたりしながら不思議そうな顔をしていた。
「治したんだ……」
ルインが呟く。キュリエレーナがニエちゃんをまじまじと見つめると、ニエちゃんはいつも通りの愛らしい顔でにっこりと笑ってみせた。
「あ、ありがとう……ニエちゃん……」
コーマックが消え入りそうな声でニエちゃんに礼を言った。
「……いじめてごめんね」
「……俺も……ごめんなさい」
コーマックとレジーは自分たちのしたことを、心底恥じ入っているようだった。やれやれという顔でルインがそれを見ている。
「……!」
言葉は通じないが、二人が反省しているということはニエちゃんにも伝わったのだろう。ニエちゃんは檻から手を伸ばして、気にしてないよとでも言いたげに二人の頭を撫でた。
「優しいね、ニエちゃん」
自分をいじめた者を助けたニエちゃんに、キュリエレーナは感心していた。ふと、ルインの図鑑で見た『人間』を思い出す。
あの図鑑では人間は凶暴そのもののように描かれていたが、実物はまったく違った。『人間』は――少なくともニエちゃんは、思いやりと優しさに溢れた生き物だ。
「ねえ、ルインもそう思わない?」
図鑑の持ち主に尋ねてみれば、「さあ」というはぐらかした返事が返ってくる。だがキュリエレーナには、その答えは、渋々ながらも肯定しているように聞こえたのだった。