ある温泉街にて
魔界の中心にそびえ立つ大魔界火山の麓には、小さな温泉街がある。その街の一角にある小さな茶店では、店員がてんてこ舞いしながら注文を取っていた。
「店員さん、お茶のお代わり!」
「メニューがないよー」
「ドラゴン焼き一つください!」
店内は満席だ。観光シーズンでもないこんな時期の客の多さに店員たちは悲鳴を上げているが、店主は大喜びで自らも店頭に出て、「はい、魚人サンド一丁あがり!」などと接客をしている。
「あっ、それ、この間発売したのだよねー。あたしも欲しかったんだけど、本屋さん行ったら売り切れでさー」
「そうなの? 今度貸してあげるよ」
入口近くに座る若いカップルの悪魔が、茶を啜りながら何やら話し込んでいる。女性悪魔が、恋人の持つ本を興味深げに眺めていた。そのタイトルは、『一年サタン組のよい子たち、生贄聖女を育てます!』となっている。
「確か実話が元になってるんでしょ、 生贄の人間を育てた小学生たちの。その話、マジなの?」
「まあそれは、これから分かるんじゃない?」
このカップル以外にも、店内にはこの本を読んでいる悪魔たちがちらほらいる。彼らは大魔界火山で行われる、いつもよりずっと遅い時期に開かれることとなった、『生贄の儀』を見に来たのだ。
本来の『生贄の儀』は、魔王様をはじめとした一部の悪魔たちしか参加することを許されていない儀式だ。
しかしながら、魔王様は今回は特例として、魔界に住む全ての者に参加権を与えると言い渡したのだ。この季節外れの観光地がにわかに客で賑わっているのは、魔王様が『生贄の儀』の一般参加を許したからだった。
しかも、魔王様はその場で何やら重要な発表をするようであった。と言っても、『生贄聖女』を読んだ者ならば、その内容に大体の察しは付いていた。
「俺はここが好きかな。巻末に『ニエちゃんの図鑑』ってコラムみたいなのが付いてるんだけど、書いた奴は、本当にその生贄が大好きっていうか、仲良くしたいって思ってるのが分かるっていうか……。一緒についてる挿絵も、よく見ると意外とクセになってくるような……」
男性悪魔が本の最後の方のページを指さしながら嬉々としてそう言うと、女性悪魔は「ネタバレやめてよー!」と目を瞑って、先の尖った耳を指で塞いだ。
「っていうか、人間と仲良くなんて、そんな展開もあるの? 意外ー」
「そんな展開っていうか、ずっとそんな感じの話だよ。悪魔と仲良しの人間のさ」
男性悪魔は一旦本を閉じて、運ばれてきたフルーツゼリーに舌鼓を打ち始めた。彼が微かに笑っているのは、これが『生贄聖女』のヒロインの好物と同じものだからだろうか。
「何かさ、これ読んでると、人間と仲良くするのも悪くないって思えてくるんだよね」
「えー。人間なんて、棒切れを振り回すような野蛮な生き物でしょー?」
「さあて、どうかな?」
男性悪魔はニヤニヤしている。この本を貸した後の恋人の反応を想像して、楽しんでいるようだった。
食べ終えた二人は会計を済ませ、儀式が行われる祭壇の方へと向かって行った。彼らだけではなく、外を歩く悪魔たちは皆、そちらに向かっている。
儀式が始まるまで、もう間もなくだ。傍らに小さな書を携えた悪魔たちは、これからのことを考えて、密かに気持ちを高ぶらせていた。




