その正体は
だが、不意にワイバーンの動きが止まった。獲物を殺すのを思いとどまったというよりは、何者かに強制的に動作を止められたような様子だ。よく見ると、半透明の鎖のようなものでその巨躯が縛られていた。
不可解に思ってキュリエレーナが上空に目を向けていると、ワイバーンの周りの空間に歪みが生じた。そこから一体の悪魔が現れ出る。実体のない魔力が具現化した黒翼を翻す男性だった。
「遊びが過ぎますよ」
薄明の空に玲瓏とした声が響く。澄み渡っているが、それでいて威厳に満ちた声だ。その空気を震わせる旋律に、キュリエレーナは息を呑んだ。
男性はそっと手を伸ばし、凶暴なワイバーンの体にためらうことなく触れた。すると、ワイバーンを縛めていた鎖が溶けるようにして消え去る。自由の身になったワイバーンは、そのまま男性と空中で向き合った。
キュリエレーナが驚いたのは、ワイバーンが跪くように頭を深く下げたからだ。まるで忠誠を誓った相手に礼をする騎士のような仕草である。
「行きなさい」
男性が静かに命じた。するとワイバーンは頭を上げ、そのまま太陽が昇り始めた方角へと飛び去っていった。
男性はその後ろ姿を見送った後、軽く羽ばたき、森の中へと降り立った。彼が地面に足をつけた瞬間に、その黒翼は消失する。
「ま、魔王……様……?」
誰かがポツリと呟いた。その言葉を意外に思う者は誰もいなかった。この男性は、恐らく魔界で一番有名な悪魔だ。その顔を知らない者などいない。
「その通りです」
男性は頷いた。
頭から伸びる二本の立派な角。身長は高いが、繊細な顔立ちはどこか女性的であり、濡れ羽色の黒髪が背中で揺れている。
瞬きや呼吸をする度に辺りに花が咲きそうなその美しい容姿に、キュリエレーナは目を奪われた。
そのため、逃げる内にいつの間にか負っていた体のあちこちの傷が、魔王様の術によって癒えていくことに気が付かなかった。
「皆さん! 無事ですか!」
「ああ、まったく何ということを……」
聞き慣れた声に、キュリエレーナは我に返った。茂みを縫って登場したのは、サタン組の担任の先生と学園長だった。
学園長は近くにあった枝を宙に投げる。するとそれが小さな太陽の様に発光し、まだ薄暗かった辺りの様子がはっきりと見えるようになった。
その明かりが照らす学園長の顔は憤怒に満ちていた。大きな雷が落ちるのを覚悟して、キュリエレーナは首を竦める。
「なんということをしてくれたんだ……!」
学園長は、怒りが爆発するのを無理やり押さえているような声を出した。その傍ら、あちこちに散らばってしまった子どもたちを、サタン組の担任の先生が一カ所に集める。
「何故こんな時間に無許可で生贄を連れて森にいる!? 私を納得させられるだけの説明を用意しているんだろうね!?」
「先生、一応は生徒の無事は確認できたのですから、事情はもう少し安全な場所で聞いた方が……」
サタン組の担任の先生が恐る恐る切り出す。しかし学園長は、「だまらっしゃい!」と牙を剥き出しにして怒った。
「こんなことは前代未聞だ! こんな……こんな……」
「あ、あの……」
キュリエレーナは勇気を出して口を開いた。キュリエレーナは、先生たちや魔王様を見ながら、怪訝な顔で問いかけた。
「ど、どうして先生たちがここに……? それに魔王様も……」
「事前の打ち合わせをしようかと思いまして」
魔王様がキュリエレーナの質問に答えた。
「でも、私が学園に来てみれば、本来いるはずの者がいなくて、森で魔物が騒ぐ気配がしたんです。心配になったので、私も先生方に同行しました」
「恐れ多いことです」
学園長は震えあがった後、キュリエレーナたちに向けて片眉を吊り上げた。
「君たちは何を考えてこんなことをしたんだ!? 話の内容によっては、恐ろしいことになるぞ!」
そんなふうに怒鳴られながら詰め寄られても、皆黙るしかない。こんなに怒り狂った相手に本当のことなど話さない方がいいとキュリエレーナも思っていた。




