俺、完全に詰みました。
第九十章 俺、完全に詰みました。
「凄い匂いね」
「これ食べられるのかな?」
どうやら匂いに異常を感じたのは俺だけではなさそうだ。
「これ美味しいのよ!」
満面の笑みでマリーが言い出す。正気か?
「いい匂いでしょ? 早く食べなさいよ」
こいつらの嗅覚はどうなってるんだ? これがいい匂いなら納豆はこの世で一番香しい食べ物になるぞ。
「おそらくこれがメインディッシュ。後はデザートが残るのみ。確率は二分の一よ。さあ引いて」
小百合が自作のくじを差し出す。そろそろ俺のくじ運の悪さも終わりを告げる頃だろう。俺は小百合が握るくじに手を伸ばした。いや待てよ。二度あることは三度あるという諺がある。俺はすでに四度目だ。まさかこの流れで今度も何てことはないよな。俺は思わず手を引っ込めた。
「何してるの?」
小百合が俺を見る。
「ああ、わかってる」
だが、なんか胸騒ぎがしてならない。こういうときはブランシェだ。
「なあブランシェ。この料理を知っているか?」
「知ってる。私たちの世界では有名な方」
「そうか。美味しいのか?」
「かなり美味しい。材料を調達するのが難しいから超高級品」
「珍しい肉なんだ」
「ポイズンドラゴンという全長五十メートルの竜からわずか三百グラムしかとれない肉だから」
「何か毒々しい名前だね」
俺の顔は自然と引きつっている。
「猛毒で肉を嘗めただけで即死するレベル。だから特殊な調理師免許を持つものだけが調理できる」
「え!? もしかして素人がこの料理を調理しているとしたら?」
「おそらく私たちは全滅」
冗談じゃない! こんな死に方をするなんて絶対に嫌だ。これならホワイティアと結婚した方がましじゃねえか!
「どうしたのよ。早く食べなさい」
マリーはやたらとニコニコしている。まさか・・・・。しかし待てよ。そんな危険なことを調理場の人達がさせるか? さすがにそれはなかろう。だったらこの料理は大丈夫だ! ただ気になるのはこの匂いで本当に美味しいのか?
「ブランシェ。本当にこれって美味しいのか? 凄い匂いだけど」
「かなり美味しい。匂いが気になるのは口に入れるまで。食べ始めたらこれほど美味しいものはないから」
本当かな? でもドリアンの例もあるし大丈夫か。
俺はくじ引きに手を伸ばして一枚の紙をとった。もちろん赤い印がついている。なぜこうなる!?
俺はナイフとフォークで肉を切るとその一切れを口に持って行った。
「心を込めて作ったのよ。しっかりと味わってよね」
え??? 俺の手は急ブレーキをかけて止まった。
「どうしたの? 早く食べなさいよ。こんな肉城内でもそうそう食べられるものじゃないわ」
「この肉って毒があると聞いたのだが・・・・」
「あるわよ。かなりの猛毒がね。でも大丈夫よ。毒がない部分をよって調理したから。あなたたちも河豚を食べるでしょう?」
今『調理した』って言ったよな。
「お前って調理師免許を持ってるのか?」
「突然何言い出すのよ。そんなもの私が持ってるわけないじゃない」
終わった。
「もし毒に当たったらどうなるんだ?」
俺の声はかなり小さく震えている。
「当たるわけないわよ。私を信じなさい」
信じなさいって言われても。肉を刺したフォークが明らかに震えている。俺が横を向くと小百合が祈るような目で見つめているではないか。反対を向くと芽依とブランシェも食い入るように注目している。今更後に引けない感じが漂う。
でも、もし客人である俺らに何かあったら調理担当者はただではすむまい。それを敢えて出してきたということはきっと大丈夫なのだろう。素人に調理をさせて出してくるなんてことは絶対にあり得ないはずだ。
俺はそう自分に言い聞かせて肉を頬張ろうとしたとき視線の端に白いものが飛び込んできた。俺は慌ててそちらを向く。入り口付近に白衣を着た人が数名待機している。
「マリー、あの人達は何だ? 医者に見えるのだが」
「救急隊よ」
「この肉を食べても大丈夫だって言ってたよな。じゃあどうして医者が待機してるんだ!」
「もしもの時のためよ。0.003ミリでも毒が混ざると即死するんだから仕方ないでしょ」
「そんな危ないものを食わすなよ!」
「危険を冒してでも食べる価値はあるわ」
「危険を冒してでもって・・・・」
やはりここはマリーには悪いが体調が悪くなったことにして食べずにおこう。それが一番の対策だ。
「この肉を手に入れるのに一年かかったのよ。二十三人もの兵士が負傷したわ。有り難く食べてよね」
仮病が使えねえ。完全に詰んだな。俺が口を大きく開けると小百合や芽依はもちろん部屋中の人が俺を見つめた。
恐る恐る肉を口に入れそっと噛む。その途端身体中が宙に浮かんだかのような心地になる。天にも昇る心地だ。
『俺は死んだのか?』
俺が目を開けると小百合と芽依とブランシェの顔が近くで見えた。
「もう四郎君たら急に倒れるんだもん。心配しちゃったわよ」
何で倒れたんだ? 口の中にはもう肉はない。口から転げ落ちたのか? いや違うみたいだ。口中に広がる芳醇な香り。まさかと思うが美味しすぎて倒れたのか?
「お兄ちゃん、そんなにまずかったの?」
「いや美味しすぎて倒れたようだ」
それを聞くと三人は俺を投げ出して肉を食べ始めた。何なんだこいつらは!
「美味しい。こんな肉を食べたの初めてだよ!」
「口の中で肉がとろけるわ。信じられない!」
彼女らの嬉しい悲鳴を聞きながら俺は得も言われぬ孤独感を味わうのであった。