マリーの容赦ない攻撃
第九章 マリーの容赦ない攻撃
結局今日は何もできないまま一日が終わろうとしていた。時刻は夜の十一時をまわろうとしている。
「あのう、小百合さん。いくら何でもそろそろ帰った方がいいのでは?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「嫌よ。帰るならマリーと一緒に帰るわ」
さっきから小百合のスマホが鳴り続けている。
「聞き分けが悪い女ね。私があなたと帰るわけないでしょ?」
「無理やりにでも連れて帰るわよ」
「ほう、あなたは私に触れることができて?」
「そんなの簡単じゃない」
小百合はマリーを掴み上げようとして慌てて手を離した。
「あら? どうしたの? 私を掴むんじゃなかったの? それとも電気は嫌いなのかな?」
悔しそうに眼を閉じ握りこぶしを作る小百合。怒りのオーラが小百合を包む。今は何も話しかけないでおこう。何を言っても怒られそうな気がする。
マリーは、
「あれ? どうしたの?」
と言いながら、小百合の顔の周りをちょろちょろ動き回っている。こいつもしかすると性格悪いのか?
その時、一階から母親の声がした。
「小百合ちゃん、お母さんから電話よ」
小百合はしぶしぶ立ち上がると下へと降りて行った。
「やっと邪魔者がいなくなったわね。ダーリン」
「マリー、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「このくらいでめげるキャラじゃないでしょ。叩ける時には徹底的に叩いておかないと」
小百合は霊にでも憑りつかれたような暗い表情で部屋に戻ってきた。
「私、帰るわ」
「ああ、その方がいい。家の人も心配してるだろうし」
俺は小百合と一緒に玄関へと向かいかけると、
「私も見送りしないとね」
マリーは明るい声で言うと、“ポン”という音と共に人間の姿に変身した。
「やっぱり私帰らない」
と言うと小百合は顔に手を当て泣き出した。
「マリー! 何煽ってるんだよ! さっきから小百合がかわいそうすぎるだろ」
「ライバルが弱ってる時に差を広げるのは常識じゃない。もし、帰らなければ小百合は両親から『この家には行くな』と言われるはずよ。帰ったとしても精神的ダメージを大きくしておけば、この恋に疲れて四郎から離れていく可能性が大きいわ」
マリーの頭脳作戦は予想以上に奥が深かった。もしかして異世界人は頭がいいのだろうか? でも待てよ。本能のまま生きている三号を見るに、とても知能が高いとは思えない。
「大丈夫だよ。小百合さん」
さっきから二人のやり取りをじっくりと観察していた芽依がいきなり話し出した。よく考えたら小学六年生がこんな時間まで起きていたらあかんだろ。
「どうしたの? 芽依ちゃん?」
小百合は涙を拭きながらそっと顔をあげた。
「ちょっと待って。もう少しで三分経つから」
それを聞くとマリーは慌てて尻尾アクセサリーの姿に戻った。
芽依はマリーが尻尾アクセサリーになるのを確認すると、小さな箱を見つけ何やら妙な呪文を唱え始めた。そしてゴム手袋をはめるとマリーをおもむろに掴みその箱に入れた。
「ちょっと何するのよ!」
「この箱に白魔術をかけたの。この箱にマリーさんを入れておけば黒魔術は使えないよ」
「芽依ちゃん」
「更に小百合さんが不安にならないよう、この箱は私の部屋に置いておくね」
「あ、ありがとう芽依ちゃん。私なんてお礼を言っていいか」
「芽依は小百合さんの味方するからね」
「本当! とても嬉しいわ!」
小百合は芽依の手を握り締めた。
「ところで芽依。何でお前はこんなことができるんだ?」
「お兄ちゃんが怪しいって言ってた本に書いてあったの。『邪悪な黒魔術を封じる方法』というページだよ」
「覚えてなさいよー!」
こうして波乱の一日は幕を下ろすのであった。それにしても芽依って意外に頭がいいのでは? となると登場人物で一番頭が悪いのは俺なのか?
次の日、俺たちはやっと本格的な会議を開始することができた。とは言え、今日は夏休み中の登校日とかで芽依は学校へと出かけて行っていないが。
「今日の仕事は単純だけど重要よ」
マリーが長い呪文を唱えるとちゃぶ台の上にたくさんの紙が現れた。
「これは私が調べてきた内容を日本語に転写したものなの。今日の作業はこの膨大な史料を信憑性の高い物と低い物に分けることよ」
そう言い終わるとマリーは二つの箱を机に出した。箱にはそれぞれ「〇」と「×」が書かれている。
俺達は手分けして作業を進めることにした。さっきマリーは単純と言ったが、俺には決して単純ではなかった。第一俺は信憑性なる文字を使いこなせるレベルではない。この二人は頭が良さそうなので作業をすいすい進めているが、俺にはどこを持って高いのか、どの辺が低いのかがさっぱりわからない。さっきから適当に見てわからないものはそっとちゃぶ台の上に戻す作業を繰り返しているだけだ。
しかし、そんな状況の中、俺にも判断できる史料を発見することができた。
「三回まわってワンを一時間毎に繰り返し、全部で三百六十日間行う」
こんなのあり得ねえ。俺は自信を持って没の方にこれを置いた。するとマリーが、
「ちょっと、これは信憑性が高いわ」
「何でだあ?」
「三百六十という数字が問題なの。私達の世界では三百六十を基準に全ての数字が回っているのよ」
そんなのわかる訳ないだろう!
だが、今度のは間違えなくあり得ねえ。
「火の竜の髭を主材料にした薬剤を作る」
俺は今度こそ自信を持って没の方に‥‥
「ちょっと見せて」
またマリーの検問だ。
「これは没にするのは早いわね」
「何故だ! 火の竜なんているわけないだろうが」
「いるわ。私達の世界にはね」
少しの間沈黙が続いた。
「本当なの?」
小百合が沈黙を破って声を上げる。
「本当よ。私も実物を見たことあるの」
とんでもないことに首を突っ込んでしまったことに今更ながら気付く。ドラゴンだぞドラゴン。しかも火を噴く奴だ。冗談じゃない。尻尾アクセサリーがしゃべるレベルで驚いていた時が懐かしい。
ちゃぶ台の上の史料を大雑把に仕分けることができたのは午後一時を回る頃だった。
「少し片付いたわね」
小百合は大きく伸びをしながら言った。
「さあ、お昼にしましょうか」
「じゃあ、何か食べるもの探してくるよ」
「いいわ。私サンドイッチ作ってきたの。二人分あるから一緒に食べましょ」
この言葉にマリーが反応する。
「ちょっと二人分てどういうことよ」
「あら、あなたはご飯食べないでしょ」
「それはそうだけど」
「良かったら私の作ったサンドイッチでも見学してたら? 将来好きな人のためにこんなの作れたらいいわね」
昨夜の反撃とばかり小百合がマリーに攻撃する。
「もう、勝手にしたら。私は没の中に見落としがないか調べてるから」
それを聞くと小百合は袋から可愛いタッパーをいくつか取り出した。
「これが卵でしょう。そしてこっちがハムとチーズ。四郎君のために一生懸命作ったんだから全種類食べてよね」
マリーは小百合と俺をちらりと見た。
「それからね、こっちが凄いんだから。何と蟹が挟んであるの」
「本当か? 蟹蒲鉾じゃないのか?」
「本物よ。嘘だと思うんだったら食べて見てよ。美味しいんだから」
マリーは我慢している。
「更に今日はもう一つあるの。じゃん。胡瓜に蜂蜜のサンドイッチ。メロンの味がするんだって」
「嘘だろ、そんなの」
「本当よ」
「味見したのか?」
「してないけど大丈夫よ。テレビで言ってたもん」
マリーは我慢している。
「じゃあ、小百合から食べろよ」
「ええ、四郎君が食べてよ」
「小百合からだって」
「もう、四郎君が先に食べてったら」
マリーは我慢している。
「もう仕方ないわね。だったら私が食べさせてあげる。はい、アーンして」
「こぉらー! 林郷小百合ー! 黙って聞いてれば調子に乗りおって。許さん!」
またこのパターンだ。マリーって意外に単純なのか?
「ちょっと、マリー止めなさいよ」
そんな小百合の言葉も聞かずマリーは呪文を唱えた。部屋には雷鳴が轟き小百合の上に鍋やらヤカンやらが降り始める。どうやらマリーの黒魔術はレパートリーが少ないようだ。小百合はとっさにちゃぶ台の下に潜り難を逃れた。避難訓練も意外なところで役立つものである。
「卑怯者出てきなさいよ」
「あなたこそ黒魔術使うなんて卑怯じゃない」
「尻尾が黒魔術使ってどこが悪い」
ほとんど理屈が通っていない。俺の部屋はこのままいくと土鍋とヤカンに埋め尽くされそうだ。
「マリー、私に黒魔術を使ったわね。今日から私と暮らすことになるのよね」
「これはあなたに使ったわけじゃないわ」
「どういうこと?」
「浮気をした四郎に使ったのよ」
「本当、口の減らない女ね」
「あなたとは出来が違うのよ」
「尻尾アクセサリーの分際で人間と比較されようなんて百年早いわ!」
小百合は鞄からゴム手袋を取り出すとそれを手にはめマリーを捕まえようと試みた。マリーは捕まるまいとするりと小百合の手から抜け出る。小百合も逃がすまいと手を動かす。まるでドジョウ掬いを見ているようだ。
やがて粘り勝ちした小百合がマリーを握り締める。
「覚悟なさい」
「さあ、それはどうかしら?」
小百合が突然のどに手をやる。息苦しそうだ。
「これは確実に黒魔術を使ったわよね」
「それがどうかした?」
「今日からあなたは私と暮らさなければいけないのよね」
「なんで私があんたと暮らさなければいけないのよ」
「そういう決まりなんでしょ?」
「そんなの私が作ったルールだから、私は破ってもいいのよ」
「な、な、な、何ですってー!!!」
全く作業が進まない。やはりこの二人が協力するなんてありえないのだろうか。