小百合との将来
第六章 小百合との将来
我が家に対策本部が置かれることになり小百合は毎日のように俺の部屋に来ることになった。
「マリー、お母さんの魔力の最大値を教えてくれる?」
小百合がメモを片手に聞く。
「パパの1.57倍よ」
マリーは変な機械を見ながら答えた。
「これは何だ?」
「魔力測定器よ」
マリーは面倒臭そうな声で答えた。
「通常で1.5倍だから0.07倍上がるのが限界なのかな?」
「もう少しは上がると思うけど0.03倍が限度じゃないかな?」
「もしお父さんが通常の0.9倍の魔力で黒魔術をかけていたとしたら」
と小百合が暗算をしようとするとマリーがいとも簡単に続けて言った。
「現地点で0.23倍足りない計算になるわ。限界まで高められたとしても後0.2倍足りないわね」
俺と小百合はあっけにとられた。
「あなた計算速いわね」
「そうかしら? 簡単な計算じゃない。こんなの猿でもできるわ」
小百合は拳を握り締めてゆっくり数を数えている。今にも『我慢我慢』という声が聞こえてきそうだ。
「そうね。あなたの優秀なのはよく分かったわ」
「あら? 今頃分かったの? 遅過ぎるわね」
マリーのゆっくりと落ち着いた声がより一層刺激するのか小百合の拳が震え始める。
俺が小百合の背後から小さな声で、
「停戦協定、停戦協定」
と呟くと、小百合は大きく深呼吸をすると、こちらもわざと落ち着いた口調で話し始めた。
「すると少なくても0.2倍強は他の方法で魔力を高めなければいけないってことね」
「まあ、パパが0.9倍の力で魔術をかけてたらの話だけど、そうなるわね」
マリーは暗い声で答えた。
「何かないの? 魔力を高める魔術とか」
「伝説的なのはたくさんあるけど、どれも信憑性に欠けるわ」
「つまり嘘っぽいのなら山ほどあるってことね」
「魔力を高める黒魔術は昔から憧れの存在なのよ」
「なるほど私達の世界でいう錬金術のようなものか」
二人の会話は突然途切れた。諦めムードにも似た嫌な雰囲気が流れ始める。
「当てにならないデータかもしれないがやってみようぜ。何もしないよりはましだ」
俺は初めて意見らしい意見を言った気がする。
「駄目よ。時間がないわ。失敗は許されないの。もっと確実な方法を考えないと」
と小百合が言うと、
「ううん。手がないのよ。昔の人の言うことを信じてみましょ」
とマリーが答えた。早速意見が分かれたわけだが、この行方はどうなるのだろうとワクワクしながら見ていると、意外と簡単に決着がついた。
「確かにマリーの言う通りね。言い伝えの中にヒントが隠されているかもしれないし。とりあえずその線で行きましょう」
「わかったわ。じゃあ、私は向こうの世界へ戻って史料を探してくるわ」
「じゃあ、私はこの部屋を対策本部らしくコーディネートしておくわね。机もなくただ座って話すだけでは雰囲気出ないもの」
こうして今日の対策本部会議は無事終了した。
次の日マリーは朝早くから史料探しに裏の世界へと出かけていった。小百合はというと昼過ぎ父親の車に送ってもらいやってきた。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって。なかなか思い通りの物が揃わなくて」
と言いながら俺の部屋にいろいろな物を運び込んでくる。
「まずは資料を整理する書類棚ね」
ちなみにマリーは史料と表現し、小百合は資料と表現しているが、これはどちらも間違ってはいない。マリーは文面による史料を言い、小百合はデータによる資料のことを言っているのだ。
更に小百合はホームセンターで売っているようなプラスチック製の透明な書類棚を置いた。
「そしてこれが昔使っていたノーパ」
ノーパとはノートパソコンのことらしい。
「それと机は適当なのがなかったのでこれで我慢してね」
そう言って置いたのは円形の机、つまりちゃぶ台だった。
「これのどこが対策本部なんだ?」
「余っているのがこれしかなかったのよ」
「これじゃ昔のホームドラマだろ」
などと言っていると、突然三号がちゃぶ台の下に潜って何かをしようとしている。
「おい、何してるんだ?」
ちゃぶ台の下を覗いてみると、三号は一生懸命ちゃぶ台を動かそうとしているようだ。
「お前の力じゃこれは動かんだろう」
俺が三号に話しかけていると、今度は二号までやって来てちゃぶ台の下に潜った。
「向こうの世界にもちゃぶ台があるのかしら。使い方は随分違うようだけど」
「ちゃぶ台を背負って歩く亀レースとか」
「まさか」
何となく長閑な時間が流れていく。マリーが帰ってくるまでは対策会議は進められそうにない。
「こうしてちゃぶ台を前にのほほんと座っていると平和ねえ」
「平和を満喫している場合じゃないんだろうけど、こういう時間も大事だよな」
「何だかこうしてると‥‥」
「こうしてると?」
「ううん。何でもないわ」
「変な奴だな。言えよ」
二人の会話を聞いて三号がちょこんと顔を出す。続いて二号もちょこんと顔を出して俺達を見ている。そして珍しく二人は会話を始めた。俺はまだこの二人の夫婦の会話というものを聞いた記憶がない。暫く話した後二号が俺に向かって言った。
「うあい」
これを聞いた小百合は当然の疑問を俺にぶつける。
「これって向こうの世界の言葉?」
「これは日本語らしいんだ。子音が出せないそうだ」
「へえ、じゃあ『う』は『うくすつぬふむゆる』のどれかってことね」
「ああ、そうだ。そういうことになるな」
「暗号みたいでおもしろいじゃない」
こう言うと小百合は平仮名の表を書き、暗号解読に入った。
「ええっと『うくすつぬふむゆる』と『あかさたなはまやらわ』と『いきしちにひみり』から一文字ずつ取り出すわけだから‥‥『素足?』まさかね。『臭み?』違うわ」
二号は大きく顔を横に振っている。
「『う・わ・き?』ああ、浮気ね」
二号は顔を立てに振り、一言付け加えた。
「むすめにいうわよ」
な、なんてことを言い出すんだ!? ていうか何でこんな言葉だけちゃんとした発音ができるんだ?
「浮気? 娘に言うわよ? ちょっと、これってどういうこと? あなたまさかマリーと親公認で付き合ってるってこと?」
「そ、そんな分けないから」
俺は慌てて否定した。
「四郎君ひどい! 二股かけてたのね。信じてたのに」
「落ち着けよ。俺が尻尾‥‥」
と言いかけて慌てて口を閉じた。下手なことを言うと呼吸困難に陥ることになりそうだ。
しかし、そんな俺の苦悩も知らぬ小百合は、
「私達もう終わりね」
と言い、立ち上がった。仕方なく俺は小百合の腕を掴むと、
「いいか。命がけで言うからよく聞けよ。俺は尻尾アクセサリーのマリーより人間の小百合の方が好きだ」
言い終わるのを待っていたかのように俺は呼吸困難に陥った。床に転げもがき苦しむ俺を小百合は心配して必死で声をかける。
「四郎君、どうしたの。大丈夫?」
かすれていく意識の中で、俺は壁の一部が黒い渦巻きに変わっていくのを見た。
黒い渦巻きの中心は徐々に大きくなり、奥の方から可愛らしい少女がこちらに向かってくる。肩に掛からないショートヘア。大きく丸い目。背の高さは妹の芽依くらいだろうか。とてもキュートな仕草でこちらに向かってくるのだ。この少女見たことがある。そうだマリーだ。マリーが人間の姿になったというのか。やがて目の前は真っ暗になり俺は気を失いかけた。
「ただいま~」
マリー、助けてくれ。と言いたいが声にならない。
マリーは小百合が一生懸命俺を揺すっているのを見ると、
「え! どうしたの?」
と大声を出した。
「急に苦しみだしたのよ」
マリーはじっと俺の様子を見ると、
「パパ、ママ、どういうことなの!」
と怒鳴った。鶴の一声で俺の苦しみはスーッと消え、目を開けることができるようになった。
「よかった。もう、四郎君、死んじゃうかと思ったよ」
小百合はそういうと寝ころんだままの俺をぎゅっと抱きしめ涙を流した。
「ちょっと! 何してるのよ!」
マリーが怒りの叫びを上げた時、二号は追い打ちをかけた。
「うあい」
「え? どういうこと?」
二号と三号が事の真相をマリーに話すと、
「貴様ら許さん!」
というマリーの雄叫びと共に俺の体にはいつもの倍ほどの電撃が流れた。俺に触れていた小百合も感電したらしく悲鳴を上げている。この電気はマリーの仕業だったのかとふと思う俺であった。
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。本気で心配してくれた小百合の態度。ほんわかと幸せだった昼間の会話。小百合との仲が一層近付いたという気持ちが俺の脳を興奮させて眠れないのだろう。マリーは機嫌を悪くしたままふて寝状態で俺の横で眠っている。
俺は何度も寝返りを打ち、ようやくうとうとと眠りかけた時、横に人の気配を感じ飛び起きた。そこには黒い服を着た少女が寝ている。その少女は今まで見た誰よりも可愛かった。整った顔立ちに透き通るような肌。どれを見ても超一流だ。小百合が俺にとって美人系の頂点ならこの子は可愛い系の頂点と言えるだろう。
でも何故こんな所に女の子が突然現れたんだ? 肩まで届かないショートヘア。どこかで見たような。暗くてよくはわからないが、今日の昼に黒い渦巻きの中で見た少女と似ている。もしかしてマリー? まさかマリーが人間の姿になったというのだろうか。信じられない。しかし目の前に少女がいるのは事実だ。
「マリーなのか?」
俺は思わず少女の頬に触れようとした時、『ワオーン』という犬の遠吠えが聞こえた。すると俺の意識がなくなり深い眠りに陥ってしまった。
翌朝、目覚めるといつも通りの日々が始まっていた。俺の横には尻尾アクセサリーのマリーがいる。昨夜の少女はやはり夢だったのか。マリーが人間の姿でいるわけないものな。
「なに、ボーっとしてるの?」
目覚めたマリーが寝ぼけた声で尋ねる。
「いや、ちょっと変な夢を見て」
「変な夢? どんな夢よ」
「ああ、お前が‥‥何でもない。今のは忘れてくれ」
「ちょっと、気になるじゃない。私が夢に出てきたの? ねえ、どんな風に出てきたの?」
「何でもないったら」
「もう、教えてよ」
どうやら機嫌は直っているみたいだ。
「お前が寝ている時、人間の姿に戻ったりすることってあるのか?」
「そんなことあるわけないじゃない」
「そうだよな」
ベッドから立ち上がり部屋を見回すとちょっとした変化に気付いた。部屋の真ん中にあったはずのちゃぶ台が部屋の隅に移動している。俺がちゃぶ台の下を覗き込むと予想通り二号と三号がちゃぶ台を持ち上げようとしているところだった。二人が協力しているためかちゃぶ台の一本の足が少し上がり移動していったようだ。
「マリー、向こうの世界にもちゃぶ台ってあるのか?」
「あるわよ」
「へえ、すごい偶然だなあ」
「違うわ。元々はなかったんだけど、こちらの世界にあるのが真似されて今大流行してるのよ」
「じゃあ、何でお前の両親はちゃぶ台の下に潜ってるんだ?」
マリーはちゃぶ台を見ると、
「これが本物のちゃぶ台なのね」
と感激の言葉を発した。
「でも、思ったより大きいわね」
「そうか? どちらかというと小さい方だと思うけど」
「まだ大きいのがあるの? 流石本場は違うわ。では、私も早速」
と言うとマリーもちゃぶ台の下に潜ってしまった。
「だから何やってるんだ?」
俺はちゃぶ台の下を覗き込んでマリーに尋ねた。
「え? これってひっくり返して遊ぶものでしょ?」
「何だそれ? これは食事をする物だ」
「ああ、そうね。茶碗や皿がないとひっくり返してもおもしろくないわよね」
「そうじゃなくて。これは純粋に食卓として使う家具なんだ」
「うっそう! 私達の世界ではひっくり返して茶碗や皿がどれだけ広い範囲に飛び散るかを競う遊び道具よ。大会だってあるわ」
どうやら使い方が間違って伝わっているらしい。
それにしてもこいつらはこっちの世界のことをよく知っている。俺達はマリーの世界のことなど何も知らないのに。
俺はマリーに素朴な質問をしてみた。
「お前達ってこっちのことをよく知ってるよな」
「それはそうよ。研究してるもの」
「研究?」
「ええ、だから私のような研究生がいるんじゃない」
「お前研究生だったのか」
「表の世界をこよなく愛する者の一人よ」
「俺達はお前らの世界のことは全く知らないのに」
「それはまだ発見してないからよ。だから私達も自分の世界のことを詳しく教えることができないの」
「どうしてだ?」
「禁止されているのよ。これ以上は言っては駄目だっていうラインがあるの」
「なるほどな」
俺は少し謎が解けた気がした。それにしても不思議なことに関わってしまったものだ。