苦悩の果てに
第五十一章 苦悩の果てに
午前零時を過ぎた。遂に約束の日を迎える。小学生の芽依と早寝早起きの小百合はもう床に就いた。マリーはと言うとさっきから芽依の漫画を夢中で読み、
「ちょっと、この作者天才よね」
と、俺に声をかけてゲラゲラ笑っている。どうやら三人とも俺が白魔族の国に戻るという考えは欠片も持っていないようだ。
で、当の俺は未だに迷っていた。どうしても人を裏切る勇気が湧いてこないのだ。俺を信頼して大切な巻物まで持たせたホワイティア。大丈夫かもしれないがブランシェのことも気になる。夜がどんどん更けていく中、俺は眠ることができず、ずっとベッドに座った状態で真正面の壁を見つめていた。いつの間にかマリーも寝てしまったようだ。残された時間はあと二十二時間。妙な緊張感で包まれる。
そんな中、俺はこの空間に違和感を感じた。
「四郎さん」
「え? ブランシェ?」
俺の横にブランシェが立っている。
「会いたかった」
そう言うとブランシェは俺に飛びついた。
「やっと会えた。嬉しい」
「どうして君がここにいるんだ?」
「迎えに来たの。なかなか来てくれないから」
ブランシェは立ち上がると俺に手を差し伸べた。
「さあ、行こう」
俺は何かに憑りつかれたようにブランシェの手を掴んで立ち上がった。
「ちょっと待ちなさい。私のフィアンセをどこに連れて行くつもり?」
ブランシェはマリーの声を聞くと慌てて逃げ去っていった。
「マリー、起きたのか」
「危ないところだったわね。あのブランシェは偽物よ」
「え? まさか」
「もし本物だったら逃げていく必要なんてないわ」
「それは天敵のお前を見たからだろ?」
「天敵って何よ。大好きな人にやっと会えたのにそんな簡単にその場を立ち去れるものかしら」
「それはそうだが」
「他にもおかしな点があるわ」
「おかしな点?」
「ホワイティアがブランシェを一人でここに派遣したってとこ。ホワイティアはブランシェを処刑しようとしているんでしょ。そんな人物を送り込んだら『逃亡しなさい』って言ってるようなもんじゃない」
「じゃあ、今ここにいたのは?」
「まったく違う人物を白魔術でブランシェだと思わせたか。実は誰も来ていなかったか。いわゆる幻覚ね。いずれにしてもマインドコントロールと呼ばれるものよ」
「そんなことができるのか」
「いい? 四郎。あと二十一時間。油断しちゃ駄目よ」
「ああ、わかった」
結局、その夜は一睡もすることができなかった。
究極の寝不足の中、ほとんど気力だけで登校してみたが俺の精神力は一日持たなかった。
分かりやすく言えば授業中寝てしまったのだ。
「バカモーン! 廊下に立っとれ!」
という青い狸ロボット漫画をこよなく愛する先生のジョークを真に受け、教室を出ようとしてみんなに爆笑されてしまった。寝不足でほとんど回転していない俺の脳にとってはきついジョークだったと言えよう。
放課後、学校を出たのは四時前だった。当然、小百合もこの時刻に帰るのだが、まさか同じ家に一緒に帰ることもできず、帰るときは俺一人だ。俺は帰宅途中にある公園に立ち寄るとベンチに座った。
「疲れたな。寝不足でこんなに疲れるか?」
もちろん寝不足の疲れだけではないのはよくわかっている。今日が約束の最終日であることが心の負担を大きくしているのだろう。あと八時間で約束の期限が終わってしまう。
「ふう」
俺は大きなため息を一つつくと地面を見つめた。
『あの巻物がないとホワイティアは困るだろうな。なにしろ国の宝を自己判断で貸してしまったのだから。いくら権力を持っているとはいえ、批判する者も多くいるはずだ。ブランシェはどこまで話を聞かされているのだろうか。命がけで助けた奴に裏切られたらさぞかしショックだろう。まさか本当に処刑されるなんてことはないだろうな?』
俺は自然と頭を抱え込んでいた。人を裏切る。自分史上初めての行為に押しつぶされそうになる。
そして三十分の時が過ぎ、俺は自分に言い聞かせるように、
「そうだ。何も悩むことなんてない」
と呟き、ベンチから立ち上がった。