ここが異世界
第十四章 ここが異世界
ファイヤードラゴンがゆっくりと近付いてくる。俺はライフルを撃ちながら逃げるが一向に当たらない。ファイヤードラゴンのスピードが徐々に上がってきた。俺はライフルを撃つのを止め必死で走る。やがて俺の上空が暗くなってくる。ドラゴンの影だ。俺が上方を見上げたと同時に巨大なドラゴンの足が俺の頭上へと向かってきた。
プチッ
俺は飛び起きると辺りを見回した。
「何でドラゴンに踏みつぶされる夢を見るんだ?」
時計の針は午前三時を指している。起きるのにはまだ早い時刻だ。今夜のマリーは芽依の部屋ではなく、両親と一緒に『川』の字になって寝ている。マリーがここに来てから初めて見る光景だ。それだけ今日が重要な日であることを示しているのだろう。
このまま逃亡してしまおうかという考えが脳裏に浮かぶ。しかし、そんなことをしたら小百合や芽依に何と言われ続けることか。もし小百合と結婚しないのなら将来的に大した影響はないだろう。しかし、芽依はそういうわけには行くまい。実の妹である以上、一生言われ続けるのは必至だ。
俺はマリーの寝ている方を向いてもう一度目を閉じた。
朝になるとほぼ全員眠そうにしていた。きっとみんなもよく眠れなかったのだろう。
「よし、暗記完了」
いや、約一名は遠足にでも行くように元気だが。
「いよいよ出発する時が来たわね。今からでも遅くないわ。反対する者はいない?」
「俺は反対だ」
「じゃあ、出発ね」
「人の話を聞けよ!」
マリーが呪文を唱えると黒い渦巻きが現れた。
「これが異世界への入り口よ。一歩入ればみんなは罪人になるわ」
「わかってる。不法侵入でしょ?」
「そうよ」
「早く行こうよ」
「一応安全な場所につないであるつもりだけど、死角の部分に何がいるかわからないわ。最初に入るのは一番強い人か一番どうでもいい人が入るのがベストね」
「一番強い人ってどうやってわかるの?」
「はっきり言ってわからないわ。だから一番どうでもいい人で行きましょう」
そういうと三人は一斉に俺の背中を押した。おい! どういうことだ!
俺が飛び込んだ場所は草原だった。少し離れた所に大きな森が見える。遠くの方からは獣の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
「まったく好きだとか言いながらなんなんだこの扱いは」
俺がぶつぶつ呟いていると、他のみんなも恐る恐る入ってきた。
俺はそれを見て少しドキッとする。マリーが尻尾アクセサリーではなく美少女の姿になっているからだ。
「こちらの世界では私は常にこの姿よ」
視線を感じたのかマリーは突然言った。この光景に小百合はやや不服そうな顔をしている。
「ここはドラゴンが住む森の入り口よ。森と言っても木は少なめだから安心して」
マリーはキュートな笑顔で話す。こんな笑顔をされたら誰だって恋に落ちてしまうだろう。別に俺が特別なわけじゃない。男なら当然のことだ。
それを察してか小百合は俺を睨みつけている。
「今から戦闘服と武器を渡すわね」
マリーは俺達を並ばせ、得体のしれぬ粉を振り掛け呪文を唱えた。すると今着ていた服が一瞬にして変わった。
俺は中世ヨーロッパの騎士が着る鎧の格好だが何故か兜はない。小百合はお姫様がきそうなドレスに透明なローブをつけている。芽依はいかにも魔法少女と言った感じの服装だ。マリーは黒いワンピースに大きなベルトを締めている。
「俺の姿はわかるがお前たちはどうしてスカートなんだ?」
「あら、あなたたちの世界に合わせてコーディネートしたのよ。若い女の子が魔法や魔術を使って戦う時はスカートにしなければいけないって習ったわ」
「それにしても身を守るための服には見えんのだが」
「魔法少女とかいうのは機能性よりファッション性を重視した服装でなくてはいけなんじゃなかったの?」
やはり日本の文化が間違って伝わっているようだ。いや、これは文化というのか?
「次に武器ね」
マリーは小百合に日本刀を、芽依に杖を、そして俺にライフルを渡した。
「今渡したのは只の武器じゃないわ。魔力が封じ込められている武器よ。心から念ずることで様々な力を発揮するわ」
マリーが空中に向かって手をかざすと幾つかの的が現れた。
「今から黒魔術の練習をするわよ。まずは小百合から。あの的を狙って」
「私の武器は刀よ。どうやってあんな遠くの的に当てるのよ?」
「刀から何かが飛び出すイメージを思い浮かべて。火でも氷でも何でもいいわ」
小百合は言われたように的に向かって立ち、目を閉じた。
「なるべく詳しくイメージして」
「やあー」
大きな声と共に刀を振り下ろすと風がブーメランとなり的に当たった。的はゆらゆらと揺れている。
「最初にしては上出来よ。何をイメージしたの?」
「かまいたち。風を切り真空を的にぶつけようとしたの」
「刀の軌道から真空を造るまで、そして真空が的を切り刻むまでをもっとリアルにイメージできたら黒魔術の完成ね。基礎的な魔力は十分備わっているようね」
小百合は何かを得たような感じで、今のイメージの復習をするかのように素振りを始めた。
「次は芽依ちゃん、やってみる?」
「任せて」
芽依は自信満々で的に向かって仁王立ちした。
「我が杖に宿りし暗黒の雷よ。邪悪なる的を射よ」
杖を大きく振り上げ的へと振り下ろすと、杖の先から光がほとばしり電気の束が的へと飛んでいった。そして的は見事に砕け散ったのである。
「すごい!」
まさか芽依にこんな能力があろうとは。
「すごいわ。上級魔術師並みの魔力よ」
「芽依ちゃん。やったあ」
芽依と小百合は喜び合っている。
「どういうことなんだ?」
「たぶん黒魔術を使えると思い込んでいるのが良かったのかな」
人の思い込みというのは時に凄いパワーを発するものだ。
しかしこれはまずいことになったぞ。この雰囲気の中で俺の番が回ってきた。ましてやこの雰囲気を作ったのは妹だ。的を破壊することはできなくてもせめて的には当てておきたい。でないと何を言われるか分かったもんじゃない。
俺はライフルを構えた。照準がぴたりと合う。そして引き金を引いた。カチ‥‥
何も出ない。
「何かイメージした? そのまま弾を出そうと思ったらそれをイメージしなきゃ」
何て面倒なライフルだ。
一体全体何をイメージすればいいんだ? そうだ。ファイヤードラゴンと戦うわけだから水にしよう。俺は必死でライフルから水が出るのを想像した。しかし、想像に熱中すると照準がずれる。照準を合わせると想像があやふやになる。ここまで二人は的に当てている。俺だけ外すわけにはいかない。
俺は思いきって引き金を引いた。水が出た。ライフルの銃口から水が出た。ちょろちょろと。
「それじゃ水鉄砲じゃない」
三人は笑った。これでもかというくらい笑っている。
「たぶん雑念が入ったのね。もっと集中すればできるようになるわよ。きっと‥‥」
マリーは涙を拭いながら話した。
俺たちの練習は二時間ほど続いた。小百合と芽依はみるみる上達をしている。しかし俺は‥‥
俺たちは練習を終え森の入り口に並んだ。何とも言えぬ緊張感が湧き上がってくる。俺たちは本当にファイヤードラゴンと戦おうとしているのだろうか。自分でも今の状況は信じられない。ここが異世界でドラゴンがいるなんて。
「いよいよね」
突然、小百合が森を見つめてぽつりと言う。
「私、自信がないから言うね」
「どうしたの急に」
マリーが落ち着いた口調で聞く。さすがに地元だけのことはある。マリーはあまり緊張してないみたいだ。
「みんな今まで優しくしてくれてありがとう。私、友達作るの下手なのかな。今まで心を許せる友達っていなかった。でも、みんなに出会ってから本当に楽しかったわ。マリー、いつも酷いことを言ってごめんなさい。本気で口喧嘩したの初めてだった。自分の言いたいことをそのまま口にするなんてなかったから。私ずっといい子でいることに慣れてしまって、そのキャラを通し続けていた。そうすればお母さんも怒らないし、先生にも褒められる。友達もできるって思い込んでたの。でも違うんだよね。マリーに思いっきり言えたことが嬉しかったわ。勿論その時は腹が立ったけど、今考えると良かったなあって。でも私が良かったと思う分だけマリーは嫌な思いをしてるんだよね。本当にごめんなさい」
「それはお互い様よ。私だって酷いこと言ってるし」
「ありがとう。私ってドジだからドラゴンにやられちゃうかも」
小百合は涙を浮かべながら胸の内を語った。
「それなら俺だって死ぬかもしれないじゃないか」
「大丈夫。死なせはしない。私が守ってみせるわ。このメンバー全員怪我一つさせない」
マリーは自分に言い聞かせるように力強い口調で言った。
「お兄ちゃんは芽依が守ってあげるから大丈夫だよ」
芽依は俺の腕にしがみついた。
俺達が向かおうとしている森の上で大きな鳥が飛んでいる。
「あ、飛竜だ」
「ひりゅう? 何だそりゃ」
「その名の通り空を飛ぶドラゴンよ。この森はドラゴンの森と呼ばれ、多くの種類のドラゴンが生息しているわ」
ファイヤードラゴンだけ警戒すればいいんじゃないのか。大体何だよ空飛ぶ竜って。爬虫類じゃないのかよ。
「飛竜飛ぶ所に不幸ありって言うんでしょ」
「何でそんなことを知ってるんだ?」
「この本に書いてあるもん」
「図書館とかに行ったけど、結局は芽依ちゃんの本が一番詳しく書いてあったみたいね」
小百合に笑顔が戻ってきた。
「確かに昔から飛竜が多くいると不吉だと言うわ。日本で言えば烏のようなものかしら」
「そういえばあの竜は白いな」
今から向かおうとする場所が不吉だなんてとんでもない話だ。
「それじゃ、行きましょうか」
小百合は先頭に立ち、より明るい声で言った。
森に入ると木が密集していないこともあり意外に明るく感じられた。時折木々の間から日が差すこともあるくらいだ。
俺たちは小百合を先頭に進んで行ったが、物音がするたびに身構えた。しかし、マリーは動じることなくたんたんと進んで行く。この可愛らしい小さな体のどこにこんな勇気が存在するのだろうか。
やがて俺たちは大きな原っぱに出た。別に森の出口というわけではなさそうだ。
「マリー、少し休憩しないか?」
と俺が声をかけると、
「静かにして」
と返された。更にマリーが身構えると、俺は慌ててマリーの後ろに隠れた。
「ちょっと何してるのよ」
「急に身構えるから」
「情けないわね。実の妹や元彼女も見てるのよ」
「誰が元彼女よ!」
「ドラゴンが出たのかと思っただけだ。怖いわけじゃない」
「出たわよ」
「えっ!?」
俺はキョロキョロと辺りを見回しながら銃を構えた。