ブラックテイルな娘
プロローグ
大切にしていた人形には魂が宿るという話を聞いたことはないだろうか?
人形の髪が伸びたり、夜中に動き出したりというのがそれだ。俺はその手の話は信じない主義だ。いや主義だったと言うべきか。今なら信じるのかと問われると信じざるを得なくなったと表現するのが正しいだろう。
俺がこのアブノーマルな世界に支配され始めたのは、忘れもしない一ヶ月前のことだ。一応俺の彼女である小百合が突然交際の一時中断を言い出したことに始まる。
「高校に合格が決まるまで会わないようにしましょう」
俺にとっては衝撃的な言葉なのだが、何故か小百合は笑顔で話していた。
「これ私の代わりね」
と言って渡されたのが、黒い尻尾アクセサリーである。それは長さ十五センチ程の物で百均丸出しの雰囲気を醸し出しているばかりか、本来付いているはずの金具すらもうすでにその存在を失っていっている。こんな尻尾アクセサリーだが、小百合と別れたくない俺はこの黒い尻尾をいつも大切に持ち歩いていた。
すると‥‥
第一章 ブラックテイルな娘
俺の名前は葛城四郎。伊勢宮中学校三年の受験生である。平凡なサラリーマン家庭に生まれた俺はごく平凡な生活を送っている。兄弟は三歳年下の妹が一人。因みに俺の名前は四郎だが四男というわけではない。何故か長男だ。
『葛城一郎より葛城次郎の方が響きが良くないか?(父)』
『あら、葛城次郎より、葛城四郎の方がかっこいいわよ(母)』
単なる親の気まぐれでこうなったらしい。父の意見より母の意見が通っているところに我が家の力関係が出ている。
そして今は放課後。俺は体育館の裏にいる。何故このような場所にいるかというと、人生最大のピンチに襲われているからである。
「おい、葛城。今日は持って来たんだろうな」
いわゆるカツアゲだ。昨日『明日までに三万円を持ってこい』と言われた。もちろんお断りだ。こんな奴らにお金など持って来るわけがない。
今までも何度か同じようなことがあったが、一度もお金を渡していない。その度に殴られたが、それでも俺は自分の拳を封印してきた。もしこの封印を解いて俺の右アッパーをこいつらに炸裂させたら、おそらく宇宙の果てまで飛んでいってしまうだろう‥‥
当然、嘘である。そんな力があればカツアゲなどされるわけがない。俺は喧嘩などできぬ小心者だ。しかし、お金を渡していないのは事実である。何故渡さないのか、それはお金がないという現実もあるが、それ以上に俺のポリシーが許さないからだ。悪い奴ら黒い奴らは大嫌いだ!
「今日も持って来なかったのか?」
三人の不良達は俺に近寄ってくる。二人が俺の腕を持ち、残る一人が動けなくなった俺を殴るのだ。俺は歯を食いしばったその時、天使のように美しい声が聞こえた。
「ちょっと止めなさいよ」
「誰だ!」
慌てる不良達。当然の反応だろう。自分達の悪事を誰かに見られているのだから、これで慌てない人物がいたとしたら、かなりの豪傑か底知れぬバカだ。
「その人を放しなさい。さもないと生徒指導の中西先生を呼んでくるわよ」
美しいながらもはっきりとした声である。
「ふざけんな! そんなことしてみやがれ」
「あ、中西先生~ こっちです。体育館の裏です。早く。早く~」
三人は目を合わせて戸惑った。
「覚えてろよ」
と、捨て台詞を残しながらも、やや早歩きで立ち去ってゆく。やや早歩きというあたり何ともおかしい。結局こいつらも小心者だったのだ。
俺は深呼吸を一つすると、やや大きめの声で尋ねた。
「ありがとうございます。助かりました。どこにいるのですか?」
辺りを見回したがそれらしき人物は見当たらない。
しかし、その直後俺はとんでもない事実を知ることになる。後から思えばこれが運命の始まりだったのだろう。
「ここよ、ここ」
声は意外と近い。
「あなたの鞄のポケットよ」
近くに捨てられるように置かれた鞄のポケットから小百合にもらった尻尾アクセサリーが顔を出していた。
「ま、まさか」
俺は理解しがたい光景に体が固まりかけた。
「ごめんね。いきなり話し出して。本当はもっと早‥‥」
な、なんてことだ。尻尾アクセサリーがしゃべっているではないか! 確かに今まで大切にしてきたが、話し出すなんてあり得えないだろう。
「でも、突然話し出したら驚くじゃない。だからタイミングが難し……」
これは尻尾アクセサリーだぞ。ファーチャームだぞ。こんな科学の法則を無視したことを信じろと言われても無理に決まっている。今まで信じてきた常識はなんだったのだ!
「ちょっと、私の話聞いてるの?」
「あ、いや、ごめんなさい」
言い忘れたが、俺は女の子にきつく言われるとたじろぐタイプだ。
こういった怪奇現象に遭遇してしまった場合、どこへ通報すればいいんだ? 国立科学研究所か? ていうかだいたい国立科学研究所なんて存在するのか? などと考えながら俺は帰宅の途についた。
「で、それでね。ちょっと、また聞いてなかったでしょ」
それにしてもよくしゃべる奴だ。
尻尾アクセサリーがしゃべり出してから、俺の周りでは変な現象が起き始めた。やたらと運の良い日と悪い日が繰り返されるのだ。何故このようなことが起きるのかについて分析してみると、前日に尻尾アクセサリーのおしゃべりに付き合ったかどうかで決まるような気がする。
で、今日はというと、昨夜‥‥
「ところでお前、何て名前なんだ?」
「もう、言ったじゃない。聞いてなかったの? というより今更名前を聞くなんて信じられないわ。私が話し始めて五日が経ってるのよ。どれだけ私の話を適当に聞いてきたの? もう一回だけ言うけど、これが最後だからね。ちゃんと覚えてよ。マリーアントワネット。マリーと呼んでくれればいいわ」
とマリーを怒らせてしまったのだ。当然今日は運の悪い日になる。
今は朝の登校中、一日で一番眠くてだるい時間帯だ。しかし、今日の俺は眠気など全くない。それもそのはず、朝から何度か死にかけているのだから。
まず玄関を出てすぐ中華鍋が上空から俺の後頭部めがけて落ちてきた。命中はしなかったから良かったものの当たれば死にそうな重さだ。更に大通りではすぐ後ろで大型トラックが事故を起こした。『やれやれ』と思っていると、車からはずれたタイヤがまっすぐ俺に向かって来るではないか。俺はとっさに逃げたが結局タイヤに轢かれてしまった。というわけで現在ぼろぼろの状態で学校正門に到着している。
「おっはよう!」
こんな俺に明るく声をかけてくるのは一応彼女の小百合である。背中まで伸びた長い髪は綺麗なストレートヘア。顔はやや面長の美人タイプだ。性格は細かなことは気にしないさばさばした性格で、おそらく俺が今ここで倒れでもしない限り、手足の怪我や制服のほつれには気付かないだろう。
「私、志望校決まったわよ」
「そうか。で、どこなんだ?」
「第一志望が伊勢山田高校よ。で、第二志望が倉田山女子。四郎君も志望校合わせてね」
「おい!」
小百合は言いたいことだけ言うと校内に消えていった。
伊勢山田高校というとこの地区では一番の進学校だ。この俺がどれだけ勉強しても合格などできそうにない。しかし、この世の中には奇跡というものが存在する。もし奇跡が起きれば合格できる確率が全くないとは限らない。だが、第二志望の倉田山女子はどうあがいても無理だろう。俺が男である限り願書を出した段階で没だ。
やはり今日は運がない日だと痛感していると、学校がなにやら騒がしくなった。
「野良犬だ! 気をつけろ!」
突然、大きな声がしたかと思うと、校内から犬が飛び出してきた。他の生徒達はみんな身構えたが俺はすぐに走り出した。例え生徒が百人いようが二百人いようが追いかけられるのは俺に決まっている。今日の俺はそういう運命なのだ。案の定、犬はまっしぐらに俺の方に向かって走り出した。
俺が学校に戻って来たのはそれから二時間後のことだった。
やっと平凡な学園生活に戻れた俺を更なる不幸が追い打ちをかける。
「誰かクラスのために働いてくれんか」
俺の所属する一組の担任である久保先生だ。
「重い荷物を持たなければならないので、少しだけ大変な仕事だが」
クラス全員が先生から視線をそらす。
「何だ? 立候補者はいないのか。じゃあこちらから指名するぞ」
先生は教室中を見回した。俺は下を向き軽く目を閉じた。教室中が緊張感に包まれる。先生の目にとまったら重い荷物を運ばされるのだ。『ここで動いたら負けだ』俺はそう自分に言い聞かせた。だが、先生の視線を感じる。
先生が俺を見ている気がする。
先生が俺を見ている気がする。
先生が俺を見ている気がする。
「はい、わかりました。俺がします」
緊張感に耐えられず俺は自爆した。今日の俺はそういう運命なのだ。
「お前この頃一日おきに不幸になってないか?」
「ああ、その通りだ。よくわかったな」
声をかけてきたのは近所に住む荒木田一郎という宮司の息子だ。因みに彼は次男である。
「何だったら俺がお祓いしてやろうか」
「お前にされたらもっと不幸になりそうだから遠慮しとくよ」
これ以上、運が悪くなったらたまったものじゃない。
「そうか。じゃあ、今日は部活に顔を出せよ」
「ああ、わかった」
尻尾アクセサリーがしゃべり出して以来、いろいろな騒ぎに振り回されて部活のことをすっかり忘れていた。
俺は囲碁部というマイナーなクラブに入っている。特に強いわけではないが、小学校の時囲碁教室に通っていたので成り行きで入部したのだ。
放課後、囲碁部の部室に行ってみると、ちょっとした歓迎を受けた。
「葛城君、辞めたのかと思って心配したよ」
囲碁部は部員不足で、常に絶滅の危機に瀕している。
「じゃあ、早速だが、部長である僕が対戦してあげよう」
「いや、先輩。僕が打ちます」
部員のほとんどから対戦の誘いを受けた。なんて素敵な光景だろう。みんなが歓迎してくれている。だが、俺は敢えてもっとも勝てそうな相手を選んだ。一見卑怯な気がするかもしれないが、それは勘違いというものだ。復帰第一戦というのは勝たなくてはいけない。勝つのと負けるのとではこれからの勝敗に大きく影響する。だから俺は苦渋の決断でこのような選択を‥‥
「卑怯者」
俺の鞄から小さな声がした。俺はみんなに気付かれぬよう鞄に顔を寄せ小さな声で聞いた。
「お前俺の心が読めるのか」
「読めなくてもこれぐらい流れでわかるわよ」
「そ、そうか」
俺はホッとして、碁盤の前に座ると先手か後手かを決める『握り』をした。
「これは何?」
鞄からちょこっと顔を出したマリーが再び尋ねる。
「これは囲碁というゲームだ。白石と黒石で陣取りをするんだ」
「白と黒」
マリーの目が少し輝いた。
「あなたは黒なの?」
「まだわからないよ。相手が握った石の数を奇数か偶数か当てるんだ。当たったら普通黒になる」
「当てなさい」
「え?」
「当てて黒にしなさい」
「そんなことを言われてもこれは運次第だし」
「わかったわ。私に任せて」
マリーは意味不明な言葉を残し鞄に潜っていった。
「葛城君。どうしたの?」
対戦相手が鞄に向かったままの俺に声をかける。
「ああ、悪い。何でもない」
俺は慌てて、奇数を示す黒石一個を出そうとしたが、何故か指が動かない。
「あれ?」
まるで金縛りにでもあっているかのように動かないのだ。仕方なく石を二個持つと手がスムーズに動いた。
「ええっと。偶数だから葛城君が黒だね」
不思議なことはこれだけではなかった。俺は手堅い碁で有名だったが、この日は何故か相手の白石を攻めまくって自滅した。
「葛城君にしては珍しいね。攻めすぎて負けるなんて」
と、部長兼宮司の息子の荒木田は言った。
次の試合も俺は黒番になり、白を攻め続けて自爆した。そして三局目。俺が黒石を打とうとすると小さな声が聞こえて来るではないか。
「白を殺せ。白を殺せ。白を殺せ」
そして自分の意志とは違う方向に手が動く。
「ちょっと待ってくれ」
「どうしたんだい?」
「俺はマインドコントロールされている気がする」
この言葉に部室のみんなが笑った。
「本当なんだ。さっきから『白を殺せ』と言う声が耳鳴りのように繰り返し聞こえてくるんだ」
俺は耳を手でふさぎ頭を大きく振った。
「その声なら僕も聞いたよ。きれいな女性の声だろ?」
きれいな女性の声? 俺は慌てて自分の鞄に耳を当てた。するとやはり聞こえる。白を殺せというマリーの声が。
「鞄がどうかしたの?」
「あ、いや、その、俺疲れているみたいだから今日はこれで帰ることにするよ」
俺はマリーの声が外に漏れないよう鞄を抱きしめて部室を飛び出した。
慌てて帰宅した俺はマリーを鞄から取り出して尋問した。
「一体何をしたんだ!?」
「何のこと?」
「俺をコントロールしただろ」
「コントロールって? 尻尾アクセサリーに英語を言われてもわからないわ」
「アクセサリーも英語だろうが。何誤魔化してんだよ。俺の体が自由に動かなくなったのは、お前の仕業だろ?」
マリーは大きくため息をついた。そして、
「仕方ないわね。全て話すわ」
と言うと、俺の手から離れ空中に浮いた。慌ててのけ反る俺に、
「今更驚いてどうするのよ」
と笑った。
確かにその通りだ。尻尾アクセサリーがしゃべった段階で異常なのだから、何が起こったっておかしくない。しかし、これでまた地球の物理法則が崩れていく。
「私は黒魔術が使えるの。だからあなたの意志をコントロールできたのよ。でも、もうしないわ。ごめんなさい」
俺は唖然として言葉が出なかった。たかが尻尾アクセサリーと思っていたが、こんな恐ろしい存在だったとは。これからは逆らわないようにした方が良さそうだ。それにしても黒魔術って何だ?
「驚いた?」
「ああ少し。いやかなり」
「本当はこの能力はずっと隠しておきたかったのよね。でも、白には負けたくなかったのよ」
「ずっと隠しておきたかった割には、しょうもない理由で能力使ってるじゃないか」
「だって、私たちにとって黒は神の色、白は悪魔の色なのよ」
我々地球人類とは随分感覚が違うようだ。
「ところでマリー、お前は一体何者なんだ?」
俺はこの機に一番聞きたいことを口にした。
「異世界人かしら」
「異世界というと二次元とか三次元とか?」
「それは異次元でしょ。また違った世界なの」
「じゃあ、何光年も離れた惑星から来たとか」
「それは宇宙人」
「一体どういうことだよ」
「この世界には全く違った世界が存在したりするのよ」
「まったく違った世界?」
「今あなたがいるこの世界が表の世界だとしたら、私が生まれた世界は裏の世界なの」
「何言ってるんだ?」
これ以上聞くと俺の頭がパンクしそうなので質問を変えることにした。
「ところで、その黒魔術って何ができるんだ?」
「能力が高ければ何だってできるわ」
俺は少し小さな声で言ってみた。
「例えば不良を懲らしめるとか?」
「そんなの簡単よ」
「じゃあ、この前の不良達を懲らしめてくれないか」
「私は能力が低いからたいしたことはできないわ」
「例えばどんなことができるんだ?」
「そうねえ。空から中華鍋を落としたりとか、犬に追いかけさせたりとか」
「おい、それって」
「例えばの話よ」
焦るマリーをもっと問いつめたかったが、俺は落ち着いて話を戻した。
「あいつらこのままにしておくとエスカレートしかねない。俺以外の犠牲者が出るかもしれないじゃないか」
「それはそうだけど」
マリーはしばらく考えてから答えた。
「わかった。じゃあ、強い味方を呼ぶわ。いいわね」
「ああ、頼む」
『いいわね』の部分が気になったが、取り敢えずオーケーした。
この時俺が妙な正義感に囚われていなければ、俺はまた違った人生が送れたかもしれない。そう、ノーマルな人生を。