vs 仇敵7
その年の桜は早咲きで、入学式にはすでに散ってしまい窓の外には春の名残りすら見えなかった。
真壁朝子と初めてあったのは入学式翌日のガイダンス。
大学の講堂でだ。
左翼席後ろから3列目、左から5つ目。
中身のない教授陣の長話を辟易としながら聞いているときに隣に座っていたのが、やつだ。
明るい色のショートカットに長身スレンダーのボーイッシュ。
どこか男にも見えるそんな子が延々と数字で3角形を作っていた。
私はその数列に見覚えがあり、思わず笑ってしまった。
「……なに?」
切れ長の瞳を私に向けて睨んでくる男女。
「ごめん、それ、パスカルの3角形だよね。私も高校の時、つまんない授業でよくやったから」
パスカルの3角形に限らず、フィボナッチ数列とか素数とか、あるいは単純に数字を二乗し続けるとか、そういうのってけっこういい暇つぶしになるのよね。
奴は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「いつもやっているわけじゃないよ。今は時たま携帯の充電が切れちゃったから」
「それもわかる。うちの高校、携帯の持ち込みに厳しかったから」
そういうと、奴はこちらを向き、机の下に手を出してきた。
「真壁朝子。ここにいるからわかると思うけど、1年だ」
私は男女の手を握った。
「永野伊織。同じく1年。一応聞いておくけど、女の子でいいんだよね、いてて」
朝子は口をへの字に曲げると、握手している手に力を入れた。なかなかの怪力だ。
「どうしてそういうこと言うかな、こんな美少女に」
「自分で美少女っていう?」
私は奴の手に爪を立ててやった。
「痛ったい! なんてことするんだ」
朝子は口をへの字から逆のV字に曲げた。
「おかえし!」
私も口をにやりと歪めて言ってやった。
これが奴、真壁朝子との出会いだった。
コンピューターをハッカーの悪意から守る確実な方法、それはネットに接続しないことだ。
そうすれば少なくともネットからのアクセスはできなくなる。
だから情報セキュリティの高い組織ではスタンドアローン(ネットに接続していない)のコンピューターに大切な情報を補完する。
すると、その情報を盗もうとするハッカーはスパイ映画のようにわざわざ敵基地に潜入して直接接触しなければならない、ということになるのだ。
「……朝子のやつ、やってくれるじゃない」
本来絶対に届くはずのないスタンドアローンのノートパソコンに届いたメールの差出人は『your friend』。件名は『パスカルの真ん中』、本文で『解けるかな♪』。
「どういう意味ですか?」
夏木くんがディスプレイを覗き込んで聞いてくる。
「あいつ、昔から人を試すようなことが好きだったのよ」
当時は頭の体操的にあいつのナゾナゾは好きだったが、今は嫌悪感しかない。
そもそもどうやって侵入した?
理屈で言うのならば、スタンドアローンのパソコンに侵入なんてウィザードクラスのハッカーだって無理だ。
デミゴッドクラスなら、あるいはそういうデバイスを作ってしまうこともあるだろうが、それを試作にしたってこんなところで使わないだろう。
なら、理屈に合わない行為によって侵入したってことだ。
つまり、物理的に。
「お嬢様?」
「ン? ああ、大丈夫」
このノートパソコンは私の頭脳だ。
私の持つ情報の多くが、この中に入っている。パスワード解析ツールや違法性の強いウィルスプログラムとかね。
だから、このパソコンはネットには繋がないし、物理的に盗まれないように職場にも携帯している。
にも関わらず、朝子のやつ、やすやすと侵入してきやがった。
「プライド傷つけてくれるじゃない」
当ては、ある。
今日このパソコンを使ったのは2度。
レイカちゃんのデスクトップ診断と専業主婦の携帯だ。
レイカちゃんのほうは除外。あれはOSすら入っていない空のパソコンだったから。
そしてもうひとつ。
携帯のパスワード解析のためにケーブルでつないだ、あの時だ。
思い返せば、今日私が朝子の妄執に囚われたのはあの専業主婦の目を見たときからだ。
「……恨み骨髄の相手を目の前にして気付かないなんて、私も焼きが回ったわね」
私はノートパソコンに保存してあるポルノ写真のフォルダを開いた。
「伊織さん、謎は解けたんですか?」
「謎ってほどのもんじゃないけど」
そのフォルダ内にある通しナンバーの255枚の写真、それから、1、2、6、20、70、252を分別する。
あいつにしては出来が悪いナゾナゾだ。
「いい問題ってのは頭を使えばだれでも、それこそ小学生でも解ける問題のことだね。専門知識がいる問題なんて下の下だよ」
そう主張していたのに。
もっとも、回答者が私だけならその知識もあるので気にならないのかもしれないが。
「お嬢様、説明を」
「あ~っと、パスカルの3角形って知ってる?」
「……聞いたことくらいは」
「めんどいから簡単に説明すると、二項展開における係数を三角形状に並べたもの」
「お嬢様、ぜんぜん簡単じゃないです」
……まじか。
「各行の左右のはしは1とし、それ以外の箇所には左上と右上の和を……」
「お嬢様」
にっこりと笑う美少女。
夏木くんも顎の下に手を当てて考えている。
うん、理解できてないな。
「……これ見んさい」
「「ああ、なるほど」」
私にネットで落ちてる画像を見せた。
2人は一瞬で理解した。
なんかくやしい。
「つまり、これの真ん中ってことは、希数段で頂点の1とその下にくる、2,6,20、70、252ってなるわけ。続けようと思えば延々と続けられるけど、写真の数は255枚までだからね」
「この写真は?」
私はフォルダを開いた。
途端に出てくるエロ画像。
レイカちゃんは物理的にのけ反った。
「伊織さん、これは?」
「メール仕込まれるときに一緒に渡されたやつ」
「いつ仕込まれたのかわかったんですか?」
「今になってみれば、ね」
私はエロ画像を開き、並べた。
「……関連性、ありますか?」
「うん、もうわかった」
「私もわかりました。場所が全部一緒です」
「あ、本当だ。僕、人ばっかり見てました」
……男の子。
「それでお嬢様。ここがどこだかおわかりになられるんですか?」
「うん、これ、大学の講堂だ」
私が首になった大学、あいつと初めてあった平林国際大学の講堂だ。
パスカルの三角形はウィキ参照にしてくだされ。
画像張りたかったけどやりかたわからへん。。。