006 - a Girl who is Outlaw
部屋の中にいたのは、紛れもなくスーザンだった。
青い瞳には恐怖の2文字を浮かべており、割れた窓から射し込む日光に反射して、彼女の短い金色の髪は静かに輝いていた。彼女の身に付ける真っ白な孤児院の制服には、まだ新しい血液が染みを作っている。
左手首の皮膚が引きつっている部分は、チップを抜き取った痕だろう。今回、そうされたことによって捕獲作業は難航したのだ。
「きみの名前は、スーザンだね」
「どうして知っているの?」
スーザンは一瞬目を丸くし、しかしすぐに訝しげな表情を浮かべた。
「きみを助けにきた」と、おれが質問に答えるよりも前に、彼女はこう言った。
「そうね、そう。あなたはシーカーズでしょう?」
アウトローは単独行動を好むという調査結果があることを思い出す。それが事実であれば彼女には仲間なんてものはいないため、こんなところまで理由があって追いかけて来るのはシーカーズだけであろう。しくじった。
「邪魔をしないで──でも、ちょうどいいわ」
スーザンの表情はまた直ぐに、今度はニコリと、とても12歳の少女が出せるとは思えない、すべてを理解しきっているかのような不気味な笑みへと変わった。彼女の幼さの残る瞳には、生気は浮かんでいない。
「わたし、今、とても、人の、肉を、引き裂きたくて、たまらないの」
口の端から唸り声を出すように吐き出されたその言葉は、血と暴力を求めた、あまりにも残虐な色をしていた。
まずい!
おれはウエスト部分に引っ掛けて背に隠していた手錠を素早く取り出し、スーザンの左手首に嵌める。彼女が素早く反応したことにより、右はあと数センチメートルのところで外してしまい、気付けば拳が振りかざされていた。間一髪のところで避けるが、流石はアウトローだ。疾い。
「ルイス!」
「ロイド、動かないで。バッテリーが尽きてしまう。きみが行うのはスキャンだけでいい」
先程の静かな会話とは打って変わった激しい物音にロイドが慌てて飛び出してくるが、おれは彼を制した。オートマタは所有者の指示に逆らうことができない。彼はそこで、スーザンの行動をスキャンしているしかなかった。
スーザンが後ろを向いたおれの一瞬の隙をついて左腕を捻り、そのまま背負い投げをしてくる。咄嗟のことにしまったと受け身の体勢をとるが、強く叩きつけられた背中でフローリングの床が砕けた。
素早く脚を引っ掛けようとするが、彼女は跳躍し、起き上がろうとするおれを正面から回し蹴りしてくる。後ろに跳んで躱したが、痛む背中の所為で完全にとはいかず、タートルネックの首部分の布の表面が裂け、ピリッという音がした。
「ロイド! 北支部の応援は」
スーザンの攻撃を躱しながら、おれは声を張り上げる。
任務に出た者の中で、必ず1人と1体はいつでも帰還できる状態にしておかなければならない。なぜならば、もしも任務に出た者が全滅という事態が起こってしまえば、誰もデータを提出することができないからである。
今回はヤマトとデューイがその役目を担っているため、応援に駆け付けられるのはエイデン兄妹だけだ。
ダメだ。幼いが故に小回りが効く彼女に、おれはこちらから攻撃をすることが出来ず、守りの体勢に入る他ない。左腕を振り回され、頑丈な手錠が武器と化す。
「あと530メートルといったところだ」
ロイドの返答に、彼らがここへ着くまでの時間を計算しようとするが、それすらも不可能なほどスーザンの攻撃のひとつひとつが強かった。
避けきれなかった手錠が頭を直撃し、くらりと目眩がする。シーカーズがこの程度でやられていてどうする? すかさず手錠を掴むが、思うように力が入らなかった。
その隙をついて、彼女の両腕が飛んでくる。今日は隙を与え過ぎだ。一体どうしたものか。
「ぐッ!」
いちばん初めの攻撃で痛めた背中が、再びフローリングの床に叩きつけられる。これだけ近距離ならば麻酔銃は確実に中るが、それを引っ掛けているガジェットポーチは生憎手の届かない範囲にある。
ロイドが悲痛な表情をするが、彼に今動いてもらっては困る。バッテリーが尽きてしまえば、その目を逸らせば、スーザンのこの行動データすべてをスキャンすることができなくなってしまうのである。
首をめいっぱいの力で絞められる。息が詰まる。しかし、耐える。
先程、ロイドはエガートン兄妹がここから530メートルの地点まで来ていると言った。ならば、彼らはもう暫くでここへ辿り着いてくれることだろう。
スーザンの左腕に嵌めた手錠は東支部のもの。彼らが駆け付けてそのエリートぶりを発揮してくれたとしても、手錠を完全に嵌めてしまえば成果はこちらのものだ。もう暫くの辛抱だ、とおれは目を閉じる。
ふと、首を絞める手の力が緩んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
薄らとまぶたを持ち上げると、はじめてその姿を目にした時のように、スーザンは怯えきった瞳をしていた。「ごめんなさい」と壊れた機械のように繰り返す声はか細く、頼りない。腕は震えている。
おれはそっと腕を持ち上げ、右腕にも手錠を嵌める。彼女は抵抗しなかった。
あまりにも呆気なかった。
「こちら、東支部地上グループ。A・“スーザン”・パーカー、捕獲完了です。繰り返します──」
ロイドが全員通信の無線を使い、捕獲完了と繰り返す。「やったね」「成果を奪われてしまったよ」「黙りなティモシー。狩れたからいいじゃん」と、皆口々に言う。先程までのピリピリと張り詰めた様子は、そこにはもうなかった。
「帰らなきゃ」
そこにふと、スーザンが口を開いた。
おれはあくまでも穏やかに、彼女にこう伝える。こうして捕獲されたアウトローが入れられる施設については、何も言わずに。
「そうだよ。中心区に帰るんだ」
「違う、わたしの居場所はそこじゃない。そこは冷たくて苦しいだけ。でも、外周区は違う」
どういうことだ。
中心区が冷たくて苦しい場所であり、外周区はその反対であると言うのか。
「離して! わたし、リックの所へ帰らなきゃならない!」
スーザンは、「無断で出て行ってしまったから」「彼らが心配している」「もう中心区には帰りたくない」と次々にまくし立てた。
リックって誰だ? 彼ら? 何故そこまで外周区に執着する? 様々な疑問が頭を過るが、今はそれを気にしている暇はない。
ロイドがスーザンを押さえる。おれが全員通信の無線を入れようとした丁度その時、ヴォン、とタイミングよく北支部の車両が到着する音が聞こえた。が、しかし。
ザリザリと砂を削るような不可思議な気配が近付いてきたかと思えば、それを耳で捉えた直後、キキーッという耳障りな音と同時に、ガシャンと勢いよく何かがぶつかる音がした。
スーザンの怯えきった表情が、ぱあっという効果音がしそうな程明るいものに変わる。
おれはそれを見逃さなかった。
ロイドにそのままスーザンを押さえているよう伝え、割れた窓から下を覗く。北支部の車両は、たしかにそこにあった。しかし、見たこともない歪な形をした何かがその側面にぶつかっており、その衝撃からか、車両は見るも無惨な形に変形していた。
ゲホゲホという咳が聞こえたかと思うと。へしゃげた車両の内部からエガートン兄妹が出てくる。力無く目を閉じているダコタを抱えるティモシーの視線が、おれを捉えた。
「急げ、ルイス!」
何が起こったかなど、何を急ぐのかなど、おれには何も分からない。
しかし、ティモシーの言葉とほぼ同時に階下から聞こえてきた幼い悲鳴を捉えたおれは、気が付けば部屋を飛び出していた。