5. ネネムゥ・デアは感謝する
翌日。
宿屋で一泊した僕たちは、体力も魔力も完全に回復していた。
今日はどうしようか。
「サトルちゃん、今日は孤児院に行こうね」
「お使いをこなして信頼を集めることが、序盤では大切なんですよ」
予定は既定だった。
僕たちは朝遅くに宿屋を出発し、すぐ隣にある孤児院にやって来た。
ファイアメロン・フィールド真意の家。
おばあちゃんが一人で経営している孤児院で、赤煉瓦の大きな建物も、広々とした芝生の庭も、手入れが行き届いている。
リンディが正面の扉をノックする。
扉がちょっと開いて、そのすきまから小さな目がひとつこちらを見上げている。
「おはようございます、リンディ・マレットです。お使いに来ました」
と口元に手を当てて伝えると、
「どうぞ、おはいりください」
扉が開き、子供が奥へ通してくれた。
案内された先の広間には、孤児たちがわあわあと遊んでいる。
それを見守っていたおばあちゃんに歓迎される。
「いらっしゃい、勇者さん」
優しい声に、しっかりした姿。
「勇者!?」
孤児たちが手を止めて、おばあちゃんとこちらを交互に見る。
「勇者……?」
僕たちは顔を見合わせる。
「ええ、勇者さんじゃ。昨日はうちの裏で大活躍じゃった。のう、ネネムゥちゃんや」
「うん、かっこよかったの!」
飛び上がるように答えた子には見覚えがあった。
昨日、宿屋の裏で寝ていた子だ。
燃え上がるような真っ赤な髪。
ちっちゃいけれど孤児たちの中では一番のお姉ちゃんらしい。
「ネネムゥ・デアといいます。きのうは、助けてくれてありがとうございました」
ぺこりとお辞儀。
勇者という言葉に惹かれた子供たちが僕たちを興味津々で見ている。子供は勇者が大好きだ。
ネネムゥはその期待を代表するかのように、
「ねえ、昨日の、もう一回やって」
目を輝かせて、手を組んで無邪気に要求する。
「昨日の?」
「昨日わたしを連れ去ろうとした悪い人がサトルを襲って逆にやっつけられちゃったのをやってほしいの!」
ネネムゥが勢い余って結末まで言ってしまった。
「ええ、では早速開演といきましょうか」
リンディが仕切り始める。
「それでは、よい子のみんなは見やすいように並んで座ってくださいね」
「はーい」
9人の子供たちが一列にお行儀よく座る。おばあちゃんも端に座る。
「わたしが悪役をやるから、サトルちゃんは勇者をかっこよく演じてね」
明日架は広間の隅で僕に囁いてから、子供たちの前に登場する。
仰々しい悪い声で演じ始めた。
「わっはっはっ、この孤児院を乗っ取って、世界を征服してやるのだー」
世界を征服するときた。
この時点で史実が大幅に改変されているのは、ネネムゥにネタをばらされてしまったからだろうか。
「うがおー、食べちゃうぞー」
明日架が客席の領域に踏み込んで脅かすと、子供たちがきゃあきゃあと逃げ回る。
楽しげで、いつまでも眺めていたい光景だ。
「アナタが止める役ですよ、サトル」
そうだった。
「やめるんだ、明日架!」
「むっ、誰だ、オマエは!?」
僕も子供たちの前に出る。
「僕は雛形サトルだ」」
「なに、パッシブホルダーのサトルちゃんだと? 何故ここに居る、学校と寮を往復しているだけの生活ではなかったのか?」
「僕は今日から冒険者だ、今夜はここの宿屋に泊まる」
固唾をのんで展開を見守る観客たち。
だが、その次はどうしたらいいものだろうか。
明日架が僕を攻撃しても跳ね返るだけだし、逆に僕が明日架に手を出すこともない。
話が進まないピンチである。
すると、そのピンチにリンディが救いの手を差し伸べた。
「みなさん、ピンチのサトルを大きい声で応援しましょう。がんばれ、サトルー」
「がんばれー、サトルー」
「負けるなー」
子供たちが声援をくれる。
その声援に勇気をもらった明日架がついにアクションを起こす。
「サトルちゃんも食べちゃうぞー」
僕にガバリと襲い掛かる。
が、当然体がぶつかった時点で跳ね返されて、
「ぐわー、おーのーれー」
よろよろと回転しながら倒れた。
「わーっ」
「やったー、サトルー」
歓声に包まれる。明日架が立ち上がり、
「今度は必ずお前を食べてやるからな、サトルちゃん。覚えていろーっ!」
と捨て台詞を吐いて部屋から退場すると、会場は拍手に包まれ、臨時勇者ショーは好評のうちに幕を下ろすのであった。
リンディに整列された子供たちと握手しながら、僕は懸念していた。
好評なのは嬉しい。しかし、健全な子供ならもっとアクティブな勇者のお話を楽しむべきではないだろうか。
「いいものを見せてもらったねえ。楽しかったよ。それで、お使いのことなんじゃが」
ご機嫌なおばあちゃん。
「街の人はみんな優しくて、うちは昔からいろんな人が助けてくれるんだよ。ありがたいねえ」
孤児を育てるという立派なことをしているのだから、尊敬されて寄付が集まるのは当然だ。
「ほら、この子も」
おばあちゃんが視線を落とした足下には、黒くて丸い物体がごろごろごろごろ転がっている。清掃ゴーレムが床を掃除しているのだ。
「ゴーレムさん、お掃除えらいえらい」
ネネムゥがしゃがんで清掃ゴーレムの頭? をなでる。
「それでの、このゴーレムを贈ってくれた人にお礼をしたいのじゃよ」
おばあちゃんがリボンのついた箱を取り出す。
「お任せ下さい」
と返事したものの、箱を持って行くだけか。
こんなものは、わざわざ僕たちにお使いをさせなくても、おばあちゃんが直接渡しに行けばいいようなものだが。
「それから、もう一つお願いがあっての」
「わたしも、いっしょに冒険に行きたいの!」
ネネムゥが手を挙げてアピールする。
「うん、がんばろうね、ネネムゥちゃん」
「アナタの可能性を信じていますよ、ネネムゥ」
明日架とリンディは即答し、ネネムゥと握手を交わした。
「よろしくな、ネネムゥ。存分に活躍して欲しい」
突然のお願いに戸惑った僕も、一呼吸遅れてネネムゥと握手する。
「うん、わたしは、立派な勇者になるの!」
素晴らしい志だ。僕には真似できない。
「この子を一人で街の外には出す訳にはいかないし、私も年だから一緒に行ってあげられなくてねえ」
おばあちゃんは保護者のサインが入ったパーティー拡大申請書をリンディに託した。
「決してネネムゥを危険な目には遭わせませんから」
そうして、僕たちは庭で、出発を見送られることになった。
ネネムゥの冒険が始まる第一歩だ。
「育ててくれてありがとうございました、おばあちゃん」
「うう、気をつけて行ってらっしゃいね、ネネムゥちゃん」
「うわああん、ネネムゥお姉ちゃん!」
「がんばってすごいスキルをいっぱい覚えてね、ネネムゥお姉ちゃん!」
見送るおばあちゃんも子供たちもみんな泣いていて、まるで僕たちがネネムゥを誘拐しようとしているみたいだ。
「もう、みんな泣いちゃダメ! またすぐに会えるんだから」
ネネムゥはちゃんと涙をこらえていてえらいな。
「それじゃあ、行ってきます!」
僕たちはせいいっぱいに手を振った。