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再会

 しばらく無言で見つめていると、錯乱状態の少年の目は徐々に刑事の顔を捉えて焦点が定まり、じっと見つめ返してきた。そして重要なことを思い出したような表情になって大きな口を開け、慌てて刑事にすがりついて訊いてきた。

「かあさんは?かあさんはどこ?どこ行った?」

 刑事は驚いて身じろいだ。

 少年は演技をしているようには見えなかった。母親がどこに行ったのかサッパリ見当がつかないという様子だった。

「おかあさんがどうなったのかわからないのか?憶えてないのか?」

 刑事はすがりつく少年を制して訊いた。

 少年は涙を浮かべ、必死に訊いてきた。

「かあさんはどこ?かあさんは?」

 刑事はスッと息を吸い込み、慎重に少年に告げた。

「きみのおかあさんは死んだよ」

 少年は愕然として固まった。

 やがて首を横に振って髪を掻きむしり、「ヒイィィ─ッ!」と叫んだあと、ガクッと膝を

ついた。


 真っ赤に染まるかあさんの顔。

 ぼくの手。ぼくの顔。

 なにもかも真っ赤に染まったあの日・・


 どうしてもう一度かあさんに会いに行ったんだろう。

 十一歳のあの時は、あれこれ思いを巡らし、躊躇しながら会いに行ったのに。

 

 今回はほとんど何も考えていなかった。

 会いに行く意味も。かあさんの反応も。


 何も想像せず、期待もせず、全く自然にかあさんの元へ向かったんだ。

 あたりまえのように。「ただいま」と家に帰る感覚で。


 前日、ぼくはオヤジと大喧嘩した。

 ぼくとオヤジの関係は、中学、高校と進むにつれ険悪になる一方で、喧嘩もしょっちゅうだった。

 オヤジは酒の量が増え、公休日は昼間から泥酔し、だらしなさ極まりなかった。

 ぼくはオヤジのデリカシーのなさや空気の読めなさにほとほと嫌気がさし、オヤジから漂う情けなさや侘しさを直視するのが恐怖でさえあった。

 ぼくは食事以外はひたすらオヤジを避けて過ごしていた。

 

 あの日はオヤジが公休日で、ぼくが学校から帰ると、とぐろを巻くように部屋で寝ていた。酒の瓶やつまみが散乱し、すえた臭いが充満していて、ぼくは顔をしかめ、舌打ちした。

 ・・と急にオヤジがむっくりと起き上がり、どす黒い顔で目だけをギラギラ光らせてぼくを睨むと、「なんやそれ」と低い声で言った。どうやら舌打ちが勘に触ったらしい。

「なんやそれ、はこっちの台詞や。自分はしょっちゅう舌打ちして、かあさんを責めてたくせに!」

 ぼくはカッとなって怒鳴った。

「かあさんやて?」

 オヤジは眉をつり上げた。

「へっ!なにがかあさんや!淫乱女が!若い男にのぼせ上ってよ!」

「やめろ!」

 ぼくは驚いて叫んだ。

 こんなにあからさまにオヤジがかあさんを罵るのは初めてだった。

 かあさんのことは暗黙の了解で、お互い今まで口にしなかったのだ。

 ぼくが先に口に出してしまったからだ。しまったと思ったが遅かった。

 オヤジはずっと堪えてきた思いを吐き出すかのようにわめき散らした。

「お前はいつもいつもわしのことを見下した目で見やがって!わしが働いた金で飲んでなにが悪い!ちくしょう!必死で働いて食わせてきたがに、だらにしやがって!どいつもこいつもわしをだらにして!」

 オヤジは立ち上がり、フラフラとぼくに迫ってきた。ぼくはオヤジを睨んで身構えた。

「お前みたいな可愛げない奴、育てとってもクソも面白ないわい!いっそあいつと一緒に出てけばよかったんや!あのクソ女と!」

「やめろ!」

 オヤジはぼくを見据えて、決定的なことを言った。

「お前はな!捨てられたんや!あいつはお前より男を選んだんや!最低の母親や!ふん!わしだってお前にだらにされておるがも、もうたくさんや!わしもな、わしもお前なんかいらんわい!いらんわいや!」

 ぼくは目を見開き、ゆっくりと後ずさりした。言葉はなにも浮かばなかったし、出てこなかった。ぼくはクルッと背を向け、財布だけ引っ掴んで家を飛び出した。


 行くところなど何処にもなかった。一晩、公園のベンチで横になった。

 ぼくは身も心も凍りついたように固まり、思考が完全に停止して全くなにも考えられず、ただひたすら白い月を睨んでいた。


 夜はいくぶん涼しかったが、日が昇ると気温が一気に上昇した。

 制服のまま飛び出して来たから、カッターシャツやズボンが汗で肌に張りつき、窮屈で不快だった。

 ぼくは公園の水飲み場で顔を洗い、水を飲んだ。暑くてクラクラする。

 いつしか公園には幼い子供とその母親で溢れ、楽しげな声が弾んでいた。

 子供らは遊具や砂場で思い思いに遊び回り、そばで母親たちが談笑していた。

 昔、団地の下でいつも見かけていた光景だ。あのガキどもは大きくなったし、最近は団地で小さい子供は見かけない。

 ぼくはベンチに座り、うつろな目で親子を眺めた。

 そのうち子供の一人が何かで泣き出し、自分の母親の元へと走って抱きついた。

 母親はよしよしとなだめ、子供を抱き上げた。

 しばらくして子供は落ち着き、母親が下に降ろすと、また元気に遊びの輪に戻って行った。

 安心して母親から離れ、また遊び出す子供。

 そばで見守る母親。

 強い信頼関係が見てとれた。それはぼくの胸を打った。

 遠い昔、ぼくが失った大きな支えがそこにあった。

 やりきれない思いで目を逸らすと、ぼくのとなりにいつのまにか一人の女性が座っていた。腹が大きく膨らんで、前にせり出している。妊婦だ。

 女性はハンカチで顔の汗を拭いてふうっと息をつき、お腹を手でさすった。幸せに満ちた表情だった。胎児はすでにもう母親の愛に包まれている。

 親子の絆や母親の愛情を見せつけられたぼくは能面のような顔をして、気がつけばバスに揺られていた。


「ただいま」とあたりまえに家に帰るように、ぼくは店の戸を開けた。

 六年前はどうしても開けることができなかった扉を、ぼくはやすやすと開けたのだ。

 かあさんは困惑した顔で立ち尽くしていた。

 カウンターの中で、見知らぬ男も茫然としていた。

 かあさんは昔とほとんど変わらず、若々しく美しかった。

「かあさん」

 ぼくは声をかけた。

 かあさんは恐れおののいた目でぼくを見た。

「かあさん。ぼくだよ。わからないの?」

 かあさんは黙ってぼくを見つめた。

「名前呼んでよ、かあさん。ぼくの名前」

 遼ちゃんと呼んでほしかった。せめてそれだけでもよかった。

 だけどかあさんは完全に言葉を失っていた。

 その時、急に背後から「ママ」と声がした。


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