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序章

 クルクル回る、セルロイドの赤い花。

 遊園地で宙吊りブランコが回るみたいに。

 楽しげにクルクル、クルクル。

 天井から吊り下げたメリーが回っている。

 びっしりと連なった赤い花は、速い速度で回っていると肉眼では捉えられず、色だけがブンブンと回転するが、古ぼけてずいぶんと速度を落としたメリーは、花びらの形状が見てとれた。

 メリーの真下に立って見上げると、チラチラと目で捉えては行き過ぎる花びらは、万華鏡を覗いた時に閃光のように見えては消える模様のようで、ぼくの胸はワクワクと弾んだ。

 メリーは一回転するたび、カチッとかすかに軋みながら、音の割れたオルゴールを奏でる。

 甘くせつない「トロイメライ」

 セルロイドの花房の上には、起き上がりこぼしに似た丸くて赤い人形が乗っかっている。

 人形はギョロッと目を見開き、斜め方向に視線を投げ、口角をキュッと上げて涼やかに微笑みながら、花と一緒にクルクルと回っていた。


 最後にこのメリーを見上げた時、ぼくは七歳だった。

 メリーの下に垂れ下がる紐の先端についた輪っかは、七歳のぼくには手を伸ばしてもまだ届かなかった。

 かあさん回してとせがむと、かあさんはやれやれという顔で輪っかを引っ張っていたね。

「遼ちゃん。もう小学生になったから、そろそろこれは卒業しようか?」

 かあさんがそう言うと、ぼくはいつも嫌だとごねて足を鳴らした。

 メリーが回る。

 そばにかあさんがいる。

 そんな風景が大好きだったんだ。

 永遠に続いてほしかった。

 甘くせつない、トロイメライを奏でながら。


 少年は口を半開きにして、放心した顔で天井を見上げていた。

 留置されてから、ずっとこの調子だ。

 演技なのか、精神鑑定が必要か、警察は様子を窺っていた。

 台風の接近によるフェーン現象で、狭い取調室は蒸し風呂と化していた。エアコンの故障で窓を開けていたが、風はそよりとも吹かない。鉄格子ごしに見える大きい木から、蝉の唸り声が激しい読経のように響きわたり、取調室をさらに蒸し風呂地獄にしていた。

 初老の刑事は流れる汗を拭いながらパイプ椅子に座り、机を挟んで少年と向き合っていた。少年はこの暑い部屋でも汗も流さず、その色白の顔は触るとひんやり冷たいのではと思わせた。

「どうして殺したんや」

 刑事は幾度目かの質問を投げかけた。

 少年は天井を見上げたままだ。

「君のお母さんが家を出て行ったんは、君が七歳の頃やったそうやね」

 刑事は少年の顔を覗き込んだ。

「ずっとお母さんを恨んどったんか?いつか殺してやろうと計画しとったんか?」

 少年はぴくりとも反応しなかった。刑事は立ち上がって机に両手をつき、少年に迫るように訊いた。

「違うやろう?お母さんに会いたて会いたて・・やっと捜して会いに行った。でもお母さんは知らん男と住んどった。それでカッとなって殺した。違うか?」

 刑事は少年の顔をじっと見つめた。見つめていると、刑事はあることに気付いた。

 天井を見上げる少年の眼球が、ゆっくりと動いている。なにか回転しているものを目で追うみたいに。 

「ん?」

 刑事は天井を見回し、少年が目で追っているものを探した。天井にははめ込みのエアコンと蛍光灯、そしてスプリンクラーヘッドがあるだけだ。

 刑事は少年の前に向き直り、視線を合わせようと顔を近付けて訊いた。

「なあ。お母さんに会いに行って、何があったんや?」


 平成五年、夏。

 石川県金沢市で、少年が殺人の容疑で身柄を確保された。

 秋葉 遼 十七歳。

 彼が殺害したと見られるのは、彼の実の母親である沢木久美、三十九歳。苗字が違うのは、久美が再婚したためであった。

 現場となったのは、金沢の奥座敷とも言われる深い山間の里、金沢市湯涌温泉。浪漫的な温泉街から少し外れた場所に、沢木夫婦がひっそりと営む小料理屋があり、事件はその店内で起きた。

 通報してきた久美の夫の証言によると、いきなり店に入ってきた少年と、困惑した久美が口論となり、カッとなった少年が店の包丁を奪って久美を刺したとのことだった。久美の夫は少年と面識がなかった。店はまだ準備中の時間帯であり、店内に居たのは沢木夫婦だけであった。久美の夫も切り傷を負っており、「少年は錯乱状態で、とても制止できなかった」と言葉を詰まらせていた。

 警察が現場に駆けつけた時、店の入り口付近で仰向けに倒れて絶命している久美の上に、抱きつくように少年がしがみついて放心していた。少年の手には、しっかりと包丁が握られていた。

 久美には少年が振り回した包丁で、顔、腕に無数の切り傷があり、刺し傷は腹部に集中していた。執拗に何度も刺したと見られ、それは「刺した」というより「切り裂いた」状態に近かった。

 返り血で顔を真っ赤に染めた少年は、目を見開いたまま微動だにせず、切り裂いた久美の腹にじっと耳をあて、まるで鼓動を聞いているかのようだった。

 西日が照りつける店内は、凄惨さを見せつけながらも異様なほど「しん」と静まり返り、遠くからひぐらしの声がひそやかに響いていた。

 もはや何も映さない久美の瞳は開眼した状態で天を見つめ、うっすらと開いた唇は今にも言葉を発しそうなまま停止していた。

 今わの際で久美が如何なる心情であったのか、その顔から窺い知ることはできなかった。

 切り裂かれた腹部から溢れ出る血液がタイルの目地をつたい、まるで幾筋もの赤い川のように流れていた。


「なにがあったんや」

「なにがあったんや」

 遼の頭の中に、遠くその声はこだました。

 遼の瞳は、遠い日のメリーを映していた。

 刑事はため息をついて椅子に座った。

「どうしておっかさんをメッタ刺しにできるんや」

 刑事は沈痛な面持ちでつぶやくと、机に肘をついて頭を抱えた。

・・と、急にバタバタと激しい羽音がした。

 大きなオニヤンマがいつのまにか部屋に入り込み、出口を探して窓に衝突している。

 刑事は舌打ちして立ち上がり、トンボを手で追って、窓から出そうとした。が、トンボは窓の内側にはめ込まれた鉄格子にぶつかっては下に落ち、再び飛び上がって激突を繰り返した。

 遼はハッとした表情でトンボを見た。

 メリーが回る風景は突然掻き消え、小学校の教室の風景へと擦り替わった。教室の窓に、大きなオニヤンマが激突を繰り返している。・・あれは音楽室だ。

 遼の口から「あ・・あ・・」と声が漏れた。

 窓際に立っていた刑事はその声に振り返り、遼を見た。遼は食い入るようにトンボを見つめていた。


───── あの夏。

 放課後の音楽室には、トンボがよく迷い込んでいた。激突するトンボの羽音が痛々しく、もがいているさまに胸がしめつけられ、ぼくはピアノを弾く手を止めた。

 ぼくの中に、人情というものがまだ残っていたのかと複雑な気持ちになった。冷淡な子供のつもりが、心の中は実はこのトンボのように、必死にもがいているのかもしれない。 

 このぶざまで哀れな姿が本当のお前なんだと、真実を突きつけられているような気がした。

 ぼくはトンボを助けなかった。そして自嘲的な眼差しで、じっとトンボを見つめていた。


 ───── かあさん。

 ぼくがかあさんに会いに行ったのは、今が初めてじゃない。

 昔、一度、行ったことがあるんだよ。

 初めてかあさんを捜して

 そして、かあさんを見つけた夏・・・


 昭和六十二年 夏。

 ぼくは小学五年生だった。かあさんが家を出てから、四年が経とうとしていた。

 かあさんがいなくなってから、ぼくはすっかり笑わない子供になっていた。

笑えるような可笑しなことは特になにもなかった。まわりにつられてついうっかり笑ってしまっても、それで心がなごむこともなかった。笑った顔を人に見られるのが堪え難く屈辱的に思えた。

 ぼくはいつも無表情で、冷酷な眼差しで人を見ていた。人と人が心を通わせる場面は、ひたすらしらじらしく見えた。この世のことすべてが馬鹿らしかった。

 放課後、ぼくはいつも音楽室で一時間ほどピアノを弾いた。家の電子ピアノが壊れて以来、学校に頼んで音楽室で練習するようになったのだ。

 ピアノはかあさんの勧めで、小一から習い始めた。かあさんは昔、音大を出て、しばらくはピアノ教室の先生をしていたと言っていた。オヤジと結婚して団地に住むようになってから、かあさんは教室を辞めた。団地の部屋は狭くてピアノが置けないから、かあさんは卓上用の電子ピアノを買って、ぼくにいろんな曲を弾いて聴かせてくれた。電子ピアノの音色はいささか重厚さに欠けていたが、それでもかあさんが奏でる音楽は、ぼくの心を強く揺さぶった。なかでも大好きなメリーの「トロイメライ」をかあさんにリクエストして、よく弾いてもらったものだ。

「これがド、これがレよ」

 かあさんはぼくにピアノも教えた。

 教室に通うようになってからは、毎日かあさんと家で練習した。

 部屋に入り込むやわらかな陽射し。やさしい風。回るメリーの下で、かあさんとそんなふうに過ごす時間は、ほんとうに幸せだった。

 かあさんが出て行ったあとも、ぼくはピアノを辞めなかった。ピアノを辞めてしまったら、かあさんと訣別してしまう気がしたからだ。ピアノを弾いている限り、どうにかかあさんと繋がっていられる気がした。


 音楽室で、いつまでも力尽きないトンボを眺め、このままトンボは激突を繰り返し、明日の朝には紙のようにペラペラになって、窓の下に落ちているのかもしれないと思った。

 ぼくはため息をついて、ピアノの蓋を閉じた。

 鬱々とした気分はトンボのせいじゃない。

 今日から夏休みということが問題なのだ。

 家に帰れば、オヤジが公休日で、だらしなく横になっているんだろう。すぐに家に帰るのが嫌で、こうしてピアノを弾いていたのだ。

 夏休みなんかいらない!

 あいつと顔を突き合わせる時間が増えるかと思うとうんざりだ!

 ぼくは重い足取りで校舎を出た。荷物もずっしり重い。ランドセルの中には、夏休みの宿題のプリントやドリル。大きい紙袋の中には内履きズックや、一学期の工作作品などが入れてある。

 ぼくは学校の裏庭に回り、焼却炉の前に立った。空はかんかん照りだ。不快な汗が垂れ落ちる。蝉の声が耳をつんざくようだ。

 ぼくは焼却炉の取っ手に手を伸ばして掴んだ。熱い!慌てて手を引っ込め、ポケットから取り出したハンカチで取っ手を掴み、重たい扉を開けた。

 さまざまな物を焼き尽くした炎は、まだ弱弱しく燃えていた。ぼくは紙袋の中から、絵を描いた画用紙や工作作品などを取り出して、焼却炉の中へ投げ入れた。作品はパサッと灰の上に落ち、じわじわと炎に包まれていった。

 ぼくは内履きズックだけ取り出すと、紙袋ごと焼却炉へ放り込んだ。

「全部いらん」

 吐き捨てるようにぼくはつぶやいた。

 返されたテストや作文の束が燃えていく。息を吹き返してカッと燃え上がる炎を冷やかに見つめながら、ぼくは扉を閉めた。

 工作も作文もなんの意味もない。ただのくだらないガラクタだ。こんなものを見て親たちは喜んだり大事にしまったりするのだろうか。ふん。馬鹿馬鹿しい。うちのオヤジは興味もないだろう。ゴミが増えるだけじゃないか。

 ゆらゆらと陽炎が立ちのぼる道を、軽くなった荷物と相変わらず重たい心を引きずって、ぼくは家に向かって歩いた。


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