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9星


 アクアが料理をすることにも驚愕した後輩三人は、食後はぎゃあぎゃあ言いながらチェスに興じていた。その内疲れが出たのだろう。いつの間にか眠っていた。大の字のレオハルト、動き続けるエミリア、その後にぴったりついていくルカリアだ。


 テーブルでパソコンに向かっていたユズリハの前に紅茶が現れる。本を呼んでいたはずのアクアが、自分の分と焼き菓子を持って前に座った。どうりで甘い匂いがしている。

 今更ながら気づいて鼻をひくつかせると、その癖まで治ってないのかと笑われた。


「焼いたの?」

「人数がいるからな」


 アクアの紅茶にはレモンがついているが、こちらにはない。口の中の惨状を考えてのことだ。傷に気をつけながらマドレーヌを齧る。焼きたても美味しい。彼の手作りは冷めたらもっと美味しい。


「レオハルトに何か言ったな?」

「さあ?」

「少し、大人しかった。何を言ったんだか」


 ふわりと現れた笑顔で充分だった。頬に貼った冷却シートをさり気なく撫でる。怪我ばかりしている気がするけれど問題ない。こんな時は男でよかったと思う。そうでなければ彼は全力でかかってくれない。レディファースト、フェミニストを叩き込まれている御曹司。性差で相手を制すことを嫌悪する彼が、喧嘩で女性に手を上げることは無い。

 言動一つで揚げ足を取られる彼が生きる世界。ユズリハは彼が気を使わないでいられる存在でいたかった。全力でぶつかって、あるがままでいい、我慢もいらない、奔放でいい。

 その為にユズリハはやりすぎなくらい奔放に振舞ってきた。結構素の部分もあったけれど。

 喧嘩なら殴り合おう。顔だって腹だって構わない。そして、殴り合ったら仲直りしよう。そうやって全力でぶつかってきた。


「君は相変わらず不器用だなぁと思ったよ」

「別に理解してもらわなくても構わない。それで取るべき行動が変わるわけじゃない」


 どんなに嫌われていようと好かれていようと、相手の立ち位置は変えない。必要がないと判断すれば関らないし、守るべきなら守るだろう。彼は相手の態度で自分の態度を変えたりしない。

 ユズリハは頬を膨らませた。


「私は君が嫌われるのは嫌だ」


 昔から言っている言葉を言うと、昔と同じ返事が返ってくる。


「お前が嫌わないなら充分だ」


 柔らかな笑顔で言われると何も言えなくなる。赤くなった頬を隠すために額をテーブルに打ち付ける。凄い音がした。



 風がカーテンを揺らす。三人にかけたタオルケットがぐしゃぐしゃになっていた。


「君、軍人になったんだね」


 ぽつりと呟く。アクアは動揺しなかった。


「知ってたのか。それとも気づかれたか?」

「君の考えくらい分かる……そんなに、許せなかった? 君の所為じゃないじゃないか」


 遠く離れた地で母親と幼い弟を殺された。ブループラネットは内包する命ごと人工星を破壊した。一歩間違うと冷え切った家庭になっていたガーネッシュ家を支えていたのは、自身も忙しかったニーナだ。何を言われても気難しいジェザリオの背を笑顔で叩いた。彼女があの家に笑顔を咲かせていた。

 彼は許せなかったのだ。母と弟を殺したブループラネットを、その死まで利用した父を、守る術を持たなかった彼自身を。


「私は君に危険なことをしてほしくない。傷ついてほしくない。君が嫌うぬくぬくとした安穏にいてほしい。戦場になんて、いかないで。戦争なんて関らないで。君は優しい。すごく優しい。だから人を殺した自分を許せない。幸せになるつもりなんて、もう、ないくせに。君のことだ。戦場で殺した人と同じように散れたらって思ってるんだろう。泣く人なんていないって、思ってるんだろう!?」


 夕焼けのような髪がユズリハの表情を隠す。綺麗な赤銅色の髪の毛と瞳。アクアはこの色が一等好きだった。


「泣かないでくれ」


 泣き虫は治っていない。苦笑して涙を掬う。いつだってこの涙に救われてきた。泣けないアクアの代わりに泣いてくれた真っ赤な瞳。本当にそれだけで充分だった。


「お前が泣いてくれることくらい分かってる。それでも俺は力がない自分が許せなかった。手も届かない場所で母さんが死んで、泣き虫で寂しがりのウォルターの遺体さえ見失ったまま……平穏なんて戻れない。俺はもう戦争に関っていたんだ。いつもは二度と戻らない。だったら俺もそのままでいいはずがないじゃないか」

「どうして駄目なのさ!」

「そのまま跡継げって? 冗談じゃない。俺はあの男と同じ道だけは歩まない。絶対にだ」


 ユズリハは唇を噛んだ。この人工星にいる以上父親の影響力からは逃れられない。ならば他人工星に移ればいい。それは彼自身が許容できない。仇を討てる力が、頭脳が、術があるのに投げ出せる性格ではない。良くも悪くも真面目なのだ。いっそずるければと何度思ったか知れない。ずるくて卑怯で凡庸だったらどんなに良かったか。


「どうしたら、辞めてくれる」


 アクアは苦笑した。そんな日は決して来ないと、ユズリハも分かっていた。


「俺が死ぬまでだよ。ごめん、ユズリハ」


 夕日に照らされた優しい微笑みが憎い。優しい人なのだ。憎んだ敵でさえ傷つけた自分を許せないほどに。敵ならいいではないか。彼を戦場に駆り出すほど憎い相手なら、殺してしまえばいいのだ。そうして彼が生きていけるなら、ユズリハはそれで良かったのに。


「ごめんな」

「私は、嫌だ。絶対、すごく、嫌だ!」

「うん、ごめん」


 子どものように笑う彼が生きていてくれるなら、ユズリハはもう何も要らなかったのに。




 夕飯はユズリハとエミリアを除くメンバーで作られた。エミリアはみじん切りにするはずの玉葱を面倒だからと握り潰したし、ユズリハはずっとアクアにおぶさっていた。結果、台所から放り出された。二人は拗ねたが、五分後には楽しげな笑い声が響いてルカリアが混ざると叫びだし、焦がすなバカとレオハルトが怒る。何だかんだと喧嘩する後輩を放置して、アクアは黙々とハンバーグを捏ねた。

 完成後も微量な差で喧嘩する二人を、エミリアは笑顔で殴り飛ばした。アクアが作ったのならグラム単位で同じだと言い切ったユズリハの問題発言に、アクアは普通だろうと首を傾げた。

 風呂はじゃんけんで勝ったエミリアが入ろうとして、一緒に入ると片割れが駄々を捏ねた。煩いと怒鳴り込んでしまったレオハルトと始まった喧嘩を殴り飛ばし、彼は名案を思いついた。エミリアは意外と大雑把だった。


「三人で入ればいいんだ。広くてよかったね」

「よくない!」


 結局騒ぎ疲れた三人は湯中りを起こし、早々に客間に引っ込んでいった。昼寝もしたのにすでに鼾が聞こえてきている。適当に引っ張り出した布団は昼間に干しておいたから問題なく三人は就寝した。

 残った二人はそれぞれ風呂に入り、寝る前に軽くお茶を飲んで話しをした。彼はもう幼かった頃の彼ではない。指先までユズリハと違っている。おやすみと微笑んだ声は記憶にあるものより幾分か低いテノール。頬が染まるのは許されるはずだ。

 昨日と同じようにソファーに寝転がり、固く丸まった。ベッドで寝ろと言いたげなアクアに、成人男性はソファーで寝ても許されると言い切ってここの権利を手に入れた。女だとばれたら彼は自分のベッドを譲ってでも許さなかっただろう。



 身体を縮めて丸まれば、全身がソファーに納まる。ぎゅっと目を閉じて息を吸う。頬が痛い、背中が、身体が軋む。何より心が軋む。耐え切れないほどに痛む。あれは覚悟ではない。歯を食いしばって痛みに耐える。

 必然だと彼は思っている。殺したのだから殺されるのが当然だと何の疑いもなく信じている。きっと彼は、家族を殺されたと銃を向けられたら、抵抗もしないで凶弾を身に埋めるだろう。任務であれば真面目で優秀な彼は躊躇いなくこなす。けれど不器用な彼は自分自身の庇護さえ差別と取るだろう。命は平等だと、当たり前のことを全うに果たすだけだ。

 ユズリハは滲んだ涙をシーツに擦りつけて啜り泣いた。


「私は、君の為に何が出来る……?」


 ユズリハの願いならたくさんある。それは彼にとってエゴとなるだろう。けれど彼が望むことを果たしてやれば、彼は死んでしまう。

 幸せになって。

 ただそれだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。

 

「幸せになって、アクア。お願いだから、幸せに」


 幸せになって。お願いだから。恋をして、愛し愛されて。

 幸せになって。

 

 困ったとき、苦しかったとき、助けを乞い、縋った先はいつも一人だった。

 その彼への願いの先をどこに向ければいいのか、ユズリハには分からない。それでも祈った。身体を丸め、握りしめた掌に祈りを籠める。


 幸せになって、アクア。お願いだから。

 ――と、幸せになって。

 

「アクアっ……」


 ユズリハの祈りは誰に聞かれることなく、しんとした夜の闇に溶けていった。




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