5星
懐かしい匂いに包まれて酷く安心した。しばらくまどろんでいたが、記憶の前後があやふやだ。開いた視界の先には誰もいない。
「アクア……?」
身体と頭が重く、思考は鈍い。
引き攣る目元に記憶が一気に蘇った。
「え。あれ。うそ。私、寝てた!?」
一つしかないベッドを奪ってしまったが、その持ち主が見当たらない。アクアの性格上怒って飛び出していったとは考えにくい。
「ヘルプ、いま何時」
『午前三時九分です』
暗がりであげた声に、人工音声が答えた。
「ヘルプ、伝言を再生」
『0件です』
「ヘルプ、最新の外出記録を再生」
『午後5時37分です』
「ヘルプ、リビングに明かりを」
『実行しました』
「ありがとう」
設定されたプログラムに礼を言う必要はないのだが、別に言って悪いわけではない。
ホームヘルプ機能は何でもできる。歩く必要も手を動かす必要も無いくらいに設定できるのだ。風呂も食事の用意も部屋の片付けも、声一つでやってくれるように設定は出来る。だが、そうなると、人は人の形を保てなくなる。要介護者以外はその設定を許可されてはいなかった。人工星内部に重力が設定されているのも同じ理由だ。
じわりと部屋が明るくなっていく。二秒かけて完全な明りを灯した。つっぱる目元を擦りながらソファーに腰掛ける。テーブルの上には几帳面で流暢な懐かしい字でメモがあった。急な仕事が入った旨と、設備を好きに使えとの許可と、飯を食え腹を出して寝るなよ爪は切りすぎるな風呂で逆上せるな等々、小うるさい注意書きがあった。
「ママか、君は」
跳ねる頭を掻き回しながら、ありがたく冷蔵庫の中を物色する。意外なことに自炊をしている形跡がある。忙しいと言っていたので生ものは冷凍に回っていたが。
籠にあった林檎とペットボトルの茶を頂戴して、テーブルまで戻る。
「ヘルプ、公営ニュースを」
『実行しました』
「どうもどうも」
深夜であるというのにニュースは生中継を続けていた。ブループラネットによる襲撃だ。街が静まり返っているのは襲撃のためか、ただの睡眠か。いつもはノルマ達成といわんばかりの惰性的な襲撃だが、今回はしつこい。敵軍の編成も少々大きいというが、街は穏やかなものだ。
のんびりとニュースを流しながら林檎に齧りつく。ちょっと酸っぱい。
「仕事ねぇ……成人してすぐの新人を休みに、しかも夕方から呼び出す公務員…………おじさまの威光を借りての管理職……は、君が最も嫌いとするとこだしねぇ。こなす実力は現職の人よりあるくせに」
トランクを蹴り倒して仕事道具を取り出す。パソコンにパスワードを打ち込む。画面の隅で飛び回る折鶴がメールを知らせるが、開かず全部削除する。チェックを実行している間に風呂に入ることにした。絡まった髪を解しながら、はたと気づいてパソコンに戻って簡単な操作を済ませた。
「あーあ、アクアの誤解を解けないんなら、こんなに育ってくれなくてよかったなぁ」
胸を押さえるサポーターを注文して、ユズリハは鼻歌交じりに風呂に向かった。
パイロットスーツを装着したまま待機室に戻ってきた戦闘員達は、ひとまず息を吐いた。だらだらと長引く戦闘は純粋に疲れる。アクアもヘルメットだけ外して、ソファーに座った。右後ろからひょいっと少年が覗き込んだ。
「なんか飲みますか?」
左後ろから同じ顔がひょこっと現れる。
「今日は待機室にいる部隊多いですから、紅茶はもうなくなっちゃいました」
そっくりの双子、ルカリアとエミリアだ。
今年成人したばかりの十五歳だが、アクアと同じくスキップ組みだ。実家は大病院ユーラ家の双子である。跡取り争いを回避する為に弟であるルカリアは軍に入れられることが決まっていた。ユーラ家の誤算は、跡取りのエミリアまで家を飛び出して一緒に軍に入ってしまったことだ。軍人には貴族や上流階級の子息が多い。大抵は次男以下であるが。
アクアと一歳しか違わない双子は何故かアクアに懐いている。対人戦の成績で常に特Sを叩き出すアクアが顔に傷を作っていて、双子は心底驚いていた。理由を聞きたそうにしていた双子は、それでも話し出さないアクアに、重ねて問うことはしなかった。
「コーヒーでいっすか?」
「ああ、ありがとう」
ふわふわとした癖毛を一つに纏めた髪型まで同じの双子は、飲み物を持ってアクアの左右に収まった。朝焼けの色をした髪が一瞬アクアの視界を遮っていく。
「隊長達が話している。少し待機だ」
「いまは何時くらいですかね」
「こら、ルカリア。行儀悪いよ」
エミリアは、無重力なのをいいことにアクアを乗り越えて兄に絡んで遊び始めた弟を嗜めた。
「三〇〇時だ」
「「げっ!」」
双子の声が重なる。
このメンバーは、隊長であるホムラ・ジーンが率いる第三部隊のメンバーだ。比較的若いメンバーで構成されている。若いが、実力派で揃えられていた。
「怠惰な印象が否めませんでしたね」
激しく消耗しあう戦闘ではなかった。うろついては引いて、引いては現われと、時間潰しのようにも見える。それにしては命の浪費が激しかった。敵兵士の質が悪い。敵の動きはどこか単調で、全機が同じような動きをして至極読みやすいが、今回は数が違いすぎた。
いつもと違う戦闘状況に、上層部も結論を出しかねている。結果が出るまでパイロットも帰れない。敵の数はいつもの五倍は多く、必然的にこちらの戦闘員も増える。いつもは余裕のある控え室も、今日ばかりはぎゅうぎゅう詰めだ。気にしないと思えるほどの疲れもないので、狭さが中途半端に身に染みる。
「狭い」
帰還した部隊が戻り、間を開けずに席が埋まる。ルカリアは隠そうともせず眉を上げた。エミリアの膝の上に移動してくる。穏やかな性格のエミリアは、困ったように眉を下げた。
「こら、ルカ。仕方ないだろう」
「隣を使えばいい」
「え――、嫌だよ、僕は」
隣の控え室も同等の広さが確保されている。ここにいるメンバーが少しでも移動すればお互いに適度なスペースが確保されるだろう。だが、部隊の大半はこちらでのぎゅう詰めを甘んじて受け入れていた。
「あいつらだけで使うのは勿体ない。固くむさ苦しい軍人に密着されて嬉しいことなど何もない。僕、ちょっといってくる」
「あ、こら、ルカリア!」
ソファーを一蹴りし、密集する人々の上を飛び越えたルカリアは、にやりと笑って部屋を出て行った。隣は貴族の子息達の待機室だ。定められているわけではないが、いつの間にかそうなっていた。大抵が跡取りにもなれず、家にいても利益にならないと追い出された面々なのに、プライドだけは宙域より広い。
アクアはまずいコーヒーを飲み干して、くるくるとチャンネルが変わっていくテレビに目をやった。暇を持て余した隊員が面白い番組を探しているのだろうが、如何せん時間帯が悪い。どんどん局が終了していく。
遠い昔、終に故郷を壊した人類は、人種も性別も身分も関係なく等しく人類として故郷を脱した。それがいつの間にか上下が出来上がり、貴族がのさばった。貴族なんて元を正せば故郷を失くした同じ人類だ。貴き残すべき血統なんて結局どこにもない。なのに人は上下を決めたがる。違うものを作りたがる。そして、できるならば自分が上のほうがいい。平となった人類の条件は、結局人間自身が凹凸を作り直した。
隣はそんな子息の溜り場だ。貴族でないものを見下す。たとえ実力で敵わないとしても、血だけに価値を見出す。アクアも誘われていたが、そんな連中との馴れ合いに飽き飽きしてスキップしたのだ。加わる気はなかった。
五分も待たず入り口からルカリアが顔を出した。兄が決してしない人の悪い笑顔を浮かべている。
「エミ、こっち使おうよ。先輩も!」
「は!? お前、何やったんだよ!」
エミリアは慌てて弟の横に並んだ。
「代表が到着だ。媚び売りに行かなくていいのかい? って、言っただけだよ」
「代表がこのスザクに? 上層部が集まってるゲンブならともかく、何でまた」
「嘘だもの」
「は!?」
けろりと笑ったルカリアは、アクアにも手を振った。
「隣行きましょうよ。人数が減れば、こっちの部屋も使いやすくなりますよ。いっそのこと、あっちに人数詰めときましょうか」
それはいいと、ぎゅうづめに辟易していた面子がぞろぞろと隣の部屋に移動していった。身体を鍛えた軍人で押し合いへし合いしていても楽しくないのは、皆同じだったようだ。
「まずいよ、ルカ。そんな事ばかりして!」
「大丈夫さ、エミリア。躍起になったあいつらが戻ってくる頃には、待機はきっと解かれてる。やっこさんはもう撤退したって確認も入ったし、とっても面白い話を聞いた」
ふっと真面目な顔になった途端、双子の区別はつかなくなった。
「サイバー攻撃。それも、中から外から大忙しさ! 噂じゃロキも現れたって!」
けらけらと笑うほうがルカリアで、その様子に困って眉を下げたのがエミリアだ。
「またお前は、そうやって面白がって」
「楽しいじゃない。エミは楽しくないの?」
「楽しくないよ」
心底不思議そうに首を傾げたルカリアは、やっぱりけらけらと笑った。
「それにしても、あいつらもおかしいな。代表に媚を売りたいのなら、ここにガーネッシュ家ご子息がいらっしゃるというのに」
アクアは反応を示さなかった。
「折り合いが悪い息子だということ、知らない奴はいないさ」
吐き捨てるような声が聞こえてきた。歳若い軍人だった。双子と同期に第四部隊に入った少年、レオハルト・マクレーンだ。何かと合同となることが多い隊だ。
「レオハルト」
咎めるように名を呼んだエミリアを無視して、レオハルトはアクアに詰め寄った。
「折り合いが悪かろうが、こうして目の前に立った相手を見もしない奴でも、嫡男であるだけで跡取りか。いいよなぁ、人生楽に渡っていける奴は」
レオハルトの実家は貴族で、彼は三男だった。産まれてすぐに養子に出されている。
「……何か言えよ、おい」
アクアはようやく固定されたチャンネルから視線を外さない。無駄にテンションの高い男女が、よく考えれば特に必要のない機能が沢山ついた家電を必死に宣伝している。
「跡取りでない相手は見る価値もないってか? ああ!?」
コーヒーを掴もうとした手を押さえられ、アクアはようやくレオハルトに視線を向けた。何の感情も見つけられない深青の瞳に、激昂したレオハルトが映っている。まるで海に沈んだようだった。
「必要性を感じない」
レオハルトはかっと首まで赤くなった。淡々とした声音は感情を見つけられない。
「ここにいる貴族は、多かれ少なかれ折り合いが悪い息子さ。お前もその口だろうに」
ルカリアは肩を竦めた。折り合いの良い子など軍に入れない。それが親というものだ。