3星
久方ぶりの大親友との時間は楽しい。アクアも同じだったようで、懐かしい笑顔が惜しげもなく溢れていた。
「そうか、ユズリハはプログラマーか。得意だったよな。じゃあ、ここには仕事で?」
「しばらくここを拠点にしようかと思って。もう成人したんだもの。一人暮らしも合法的に許可出てる。一回帰ってきたかったんだ」
「そうか、じゃあ、またこうして会えるな」
アクアは心地よく昔を思い出した。ユズリハはむらが多くはあったが、決して出来が悪いわけではなかった。宿題を溜め込んで両親に怒られ、アクアに泣きついてきたことは数えきれなくとも、真面目にやれば一週間分を一日で終わらせる根性もあった。
ユズリハが組んだプログラムは独創的無茶苦茶な組み方も多かったから、初めて見た者は賞賛を口にするか呻くかのどちらかであった。
にこにことトランクを叩いて、ユズリハはオレンジジュースを一気に飲み干した。
「在宅フリーで承ってます。君なら初回無料だよ!」
「次からはしっかり取るのか」
「言ってみたかっただけ。いつでもタダだ」
「はは、駄目だろ、それじゃ」
綺麗に笑われて流されたが、ユズリハはかなり本気だった。このくそまじめな幼馴染はそうさせてくれないだろうが。
「君は? やっぱり大学?」
高等学校卒業の十五で成人となるが、そのまま大学、院と進む者もいる。成人扱いとして保険や税金などは免除されないから、家庭に余裕のある者が多くなる。上流階級の子どもは政治に関ることが多いため、学ぶことが多くなると言わんばかりにかなりの確率で大学へと進学する。てっきり彼もそうだと思った。アクアは首を振った。
「俺は公務員をしているよ。大学はもう出た。院にも誘われたけど、もう学びたいと思うこともなかったし、十四で学業は修めた。残りの一年間は、まあ、下積みかな」
ユズリハは目を零れんばかりに見開いた。
「スキップしたの!? うそぉ!」
五歳から九歳まで初等部。後は三年ずつ中等部と高等部。これが義務教育だ。
驚きを隠そうともしない幼馴染に、アクアはコーヒーを下ろして苦笑した。
「お前がいなくなって、毎日が本当につまらなくなったんだ。元々学校は違ったけど、時間の進みがやけに遅く感じて、息苦しくて堪らなかった。忙しくしていれば気が紛れると思って、どこまで出来るかと飛び級して、気がついたら大学課程まで修了していたんだ」
親の自慢話、持ち物の希少性、価格の自慢。後は親から刷り込まれた縦横の繋がりの確保。学校なんてそんなものだった。将来も同じ顔ぶれと同じことをしていくのかと思うと、息苦しくて堪らなかった。誘われる茶会やパーティを蹴り、ユズリハと遊ぶ時間を失ったアクアは、心動かすものを無くしてしまったように毎日がつまらなかった。
いつもならユズリハが走ってくる。いつもなら楽しげに話すことを聞いて、聞かれたことに答えた。いつもなら手を引かれて走って、『彼』が見つけた楽しいことに引っぱられた。いつもならくるくる変わる表情と感情に振り回されて、結局は巻き込まれて大笑いした。
いつもなら、いつもなら。
いつもが、非日常となったことに気がついて愕然とした。
ガーネッシュの名も、父の存在も、アクアが意思に関係なく持っているものに影響されない存在は、ユズリハだけだったのだ。
長い指を組んだ上に顎を置いて、アクアは柔らかに微笑んだ。今日でどれだけ笑っただろう。三年分くらいは笑ったかもしれない。
「俺は、お前に会えて本当に嬉しいよ」
「わ、私だって!」
負けじと怒鳴り返したユズリハはどうして怒るんだときょとんとされた。断じて怒ってない。
人工の空が映す天気は今日も快晴だ。曇りはあまり見ない。天気は全管理されていて予報ではなく予告となる。明日の天気は雨だから、23時から00時までの一時間だけが曇りだ。雨が降ると人々に知らせるためだ。
重たいトランクを両手で持って頑張るには少々暑い気温だが、今が雨よりよほどいい。重さに振り回されないように気合を入れて持ち直す。持とうかと言ってくれたが、それは断った。速度を合わせてくれているアクアは、ゆっくりと足を地面に下ろした。
「ユズリハはどの辺りに居住を?」
視線が逃げた。アクアは嫌な予感で足を止めた。
「おい……お前、まさか」
半眼となった切れ長の瞳が怖い。
「ち、違うよ!? 家出じゃないよ!? ただ、仕事ばっかりで何やってんだろう、私、とか考えたら急に虚しくなって発作的にシャトル飛び乗ったとか、そんなことはないよ!?」
「パスポートは! 不法入港か!? 流石に見逃せないぞ!? 俺は公務員だって言ったぞ!」
「あ、それは大丈夫。現実逃避がてら作っといたんだ。君に会えるって保険があるだけで、煮詰まった頭もスムーズに動く動く」
「それはってことは、他の件は大丈夫じゃないってことだな……」
「だ、だって、二週間栄養パックで、十日寝ずに風呂も入ってないとか、もう人間の生活じゃないだろ? 三ヶ月喋らないとか、おかしいだろ? 私にパソ子と結婚しろってか!?」
拳と額が壁を打った。しばしの沈黙後、友の額も壁と仲良くなる。お互いに酷く疲れた。
「…………俺の家に泊まれ」
「え!? いやぁ、それはちょっと」
さっき恋を一刀両断されたばかりだ。穏便に断ろうとへらりと笑ったユズリハは、そのまま表情を凍らせた。眼前には見目麗しき幼馴染の極上の笑顔がある。ただし、先刻見たものとの決定的な違いとして、幼馴染の勘が知らせた危機感を纏っていた。
「今だけでも説教を山のように抱えてるんだが、さっきの言葉だけに留めた俺の苦労、お前なら分かってくれるよな?」
「勿論ですとも閣下――!」
大抵苦笑で許してくれるアクアが本気で怒ると、シャトル内の空調異常より怖いと、幼馴染であるユズリハは身を持って知っていた。
連れて行かれた先は閑静な住宅街だ。巨大マンションが立ち並ぶ中、小高い場所で光を存分に浴びた庭と家があった。お屋敷ではないが凄まじい贅沢だ。場所に限りのある人工星内で、医療技術の発展と人類の適応能力で出生率は上がり続けている。結果、建物は上へ上へと伸びた。決まったスペースに詰め込むとそうなるのだ。高級住宅地でさえそうなのに、一人暮らしでありながら一軒家を持つアクアは事も無げに門を開いた。
「父から成人祝いとして頂いた。一人だからいらないと言ったんだけどな」
人を雇っているのだろう。庭も家の中も手入れは行き届いていた。部屋のほとんどのスペースは布をかけられている。小さなアパートでも事足りるスペースしか使っていないらしい。物の種類は極端に少ない。あるのは紙媒体の本ばかりだ。幼い頃から彼の部屋はそうだった。子どもらしい雑然とした箇所はなく、整然と並べられ、不必要な物は一切なかった。そこにお菓子や玩具、拾ってきた石、蝉の抜け殻を放置していたのはユズリハだ。
親子三世代が楽に暮らせる家に一人で住む幼馴染を見上げて、ユズリハは頭を掻いた。何処の御曹司だと言ってやりたいが、正真正銘、ガーネッシュ家の御曹司だ。
「確か来客用の布団が何処かにあったんだけどな……ちょっと待ってろ」
片っ端からクローゼットを覗いていく姿に首を傾げる。
「おばさまの事だから、月数回は泊まってると思った。夫婦喧嘩の度に家に来てたから」
アクアの母親は、忙しくてなかなか家に帰らない夫と喧嘩をしては親友であるユズリハの母に会いに家に泊まりにきていた。彼女が泊まりにくると、ユズリハの母は学生の頃に戻ったようだと嬉しそうに夜遅くまで話していた。ユズリハはアクアとベッドに潜り、これ幸いと夜更かしして遊んだ。気づいた母親達が、自分達も飲むからと温かい飲み物をくれたものだ。
気さくで朗らかなアクアの母親は、相手を区別しなかったし、驕らなかった。テレビで見る彼女は冷たく強気な女に見えたが、クッキーを焦がしたと飛び込んでくる姿は、子どもの目から見ても可愛らしい人だった。そんな彼女が、一人暮らしをしたアクアの家を訪ねないはずがないと思った。
手伝おうと隣に並んだユズリハは、ぎょっとした。いつの間にか立ち止まっていたアクアの表情に見覚えがなかったからだ。そこにいるだけで振り向かずにはいられない存在感を放つ彼が、影に溶けてしまったようだった。
「アクア……?」
思わず声に出して、後悔した。かろうじて残っていた表情も消えた。無表情で立つ彼は、まるで闇そのものだ。
「母さんは死んだよ」
呪いのような声だった。