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25星




 ひっそりと忘れ去られたかのように置かれたカプセルには、幾度となく殺した青年が眠っていた。オレンジ色の髪は思っていたよりずっと柔らかそうで、眠る顔はひどく優しげだった。


「彼は……生きていますか?」

「これと同じように、大量に生産する為にはオリジナルがあった方が効率がいい。オリジナルとこれは違う。オリジナルはそれだけで大事。これのオリジナルはずっと彼を救いたいと思っていた。これが案内した場所は全てオリジナルが記した場所。オリジナルは彼に申し訳ないと思っていた。研究過程で当てはまってしまった彼と妹を解放したいと思っていた。これらはオリジナルの意志で動いています」


 青年は慎重に運び出されていく。アクアは強化プラスチックの覆いに触れて、目を伏せた。目が覚めたなら話をしてみたい。たくさん殺した相手であり、初めて会う、ユズリハと同じ地獄にいたこの人と。





 厳重すぎるロックをあっさりと解除して、アクアは歩を進めた。


「先はマザーです。オリジナルの研究成果が集約されています。人間もいます。全てはそこにあります。これの役目も終わります」


 アクアは、はっとした。急激に死斑が現れ始めた少女は、掠り傷を見るように気にしなかった。始めから終わることが決まっている故の無頓着だ。

 アクアは思う。終わりが決まっているのは皆同じだ。アクアだっていつか死ぬ。明日死ぬかもしれない事も同じだ。歪でも、神に反した命でも、命は命だ。終わりあるものが無意味だというのなら、この生とて当てはまる。終焉が決まったものを蔑ろにするというのなら、生きとし生けるもの全てがその範疇だ。


「ありがとう」


 先頭を歩く小柄な背に礼を言う。少女は無表情に振り返った。


「これはオリジナルの意志です。それはこれが受けるものではありません」

「案内してきてくれたのは君だろう」


 再度の言葉に、少女は初めて微かな戸惑いを浮かべた。どんな過程で成り立とうと、心があるのならどれほど歪であろうと蔑ろにされてはならない。命が命を差別する権利を、いったい誰が持っているというのだ。命に序列はない。あってはならない。始まって終わる平等を、どんな命も持っているのだから。

 ユズリハから作られたそっくりな少女。けれどユズリハはこんな顔をしない。混乱する戸惑いを表す表情を知らない、こんな顔はしない。目の前の少女は一つの命だ。ユズリハではない。物でもない。心がある時点で、一つの命なのだ。



 拳ほどの球体が広い部屋を埋め尽くしていた。太陽を連想する色を一つ一つが放っている。全て同じ大きさで同じ色をした球体だ。上下すら分からなくなる。

よく見ると中心に塊があった。完璧な球体の羅列の中にあるそれらは、ひどく不完全に見えた。ざっと数えて百人いるだろうか。白衣の人間が半数以上。男の数が圧倒的に多い。


「第五宙域軍ホムラ・ジーンだ。俺達がここにいる理由は分かるな。抵抗するなよ。俺達の神経は、いい加減限界に来てるんだぜ」


 軍人達はマザー内へ駆け込み、周囲を囲んで銃を構えた。固まって震えていた中で一際青い顔をした男が立ち上がった。手に握られているものを見て、人々は動きを止める。


「あ、青き、星へ」


 一様に口に出された言葉に、ぼそりとルカリアが呟く。


「もう青くない」


 だから人類は宇宙にいる。かつて青かった人類の故郷は、もうないのだ。あるとすれば、過去か、遠い未来だ。

 真っ青な顔をして震える手が握っているものは爆薬だった。白衣を着た恰幅のよい男が怒りで耳まで赤くして立ち上がる。風船が膨らむように怒張していく身体は滑稽以外の何でもない。


「貴様らは研究を奪うつもりだな! 我らが人類の希望を懸けて命を捧げてきた研究を奪って、自らの手柄にするつもりなんだな!」


 ふざけるな!

 怒鳴ったのは誰だったのか、アクア以外の全員だったのか。殴りかかろうとした後輩を止めたのはアクアだった。


「お前達を連行し、研究データは全て廃棄する。ここまでの過程でそうしてきたように」


 男達は信じられないものを見る目でアクアを向いた。


「神の研究を、廃棄しただと!?」


 切れ長の瞳が嘲りを浮かべた。


「確かに研究は素晴らしい。神の英知だ」

「ならば、何故だ! 何故、そんな愚行を! 人類史上最大の暴挙だぞ!?」


 口元を吊り上げ、美しい少年は凄惨な笑みを浮かべた。


「神の御業を手にするにしては、お前達があまりに矮小だからだ」


 狂いのない精巧な美しさを持つ少年は、完璧な笑顔を浮かべる。髪先から爪先まで歪みのなく構成された少年だった。男はごくりと唾を飲み込んだ。正に神の御業。そう呼んで差し支えない精巧さだ。その、少年とも青年ともつかぬ美しい男が神の御業を廃棄した、そう言った。


「ロックが! ロキのロックがあったはず!」


 しなやかな指が軽やかに、宙に浮かべだボードを叩く。気難しく扱いは難しいがとても優秀なブループラネットのマザー。時の人、プログラミングの天才と呼ばれたユーリック・ジャンが作った。気位の高い貴婦人のようなブループラネットの女王が、まるで恋も知らない小娘のように開いていく。

 目の前の美しい少年が女王を暴いていく。指先でくすぐるだけで女王が開かれていく様は、まるで戯曲のようだった。


「誰が名づけたか、あいつがロキで、俺がユグドラシル。ロキを作ったはきっと俺で、ユグドラシルを作ったはあいつで。俺達がそうと決めたなら仮令互いと知らずとも俺達にしか紐解けない。あいつが女王を誑かし、俺が落とす。女王は意外と腰が軽い」


 如何なる防御壁も悪戯の如く引っ掻き回すロキと、情報の海を支配したユグドラシル。女王はあっという間に彼らを受け入れた。

 ユズリハが蒔いた種を開花させ、女王を陥落させたアクアを前に、男はへなへなと崩れ落ちた。



 爆薬を手にした男に双子が飛び掛り、あっという間にねじ伏せる。彼らは抗わなかった。虚ろな声でぶつぶつと呟く内容を拾い、アクアは湧き上がる怒りを無理やり抑え込んだ。


 壊滅した故郷。ならば青き星で生を終えよう。自分達だけでは資源も技術も足りない。連合には叶わない。遠き距離も越えられない。ならば周囲を巻き込もう。自分達だけが滅びるなんて、あまりに理不尽ではないか。賛同を得られないのならば消してしまえばいい。どうせ己達は滅びているのだ。同じ宙域で生きている他人工星が健在なのは、どう考えても不公平ではないか。僅かなワクチンで生き残った特権階級の人間達は、『格下』の人間が平穏を得ていることが許せない。

 そんな理由で、十億近い人間が死に、病に冒された人々を救うはずだった光が悪魔の所業となった。

 弱弱しい人間達だ。いつからこんな大掛かりで大それた目標を掲げたのかは知らないが、システムだけだ。システムだけが強く優秀で、それを操る人間は矮小で汚らわしい。


 ホムラがアクアの肩を叩く。軽い力で崩れ落ちてしまいそうだった。殺すことは、きっと、容易い。けれど、最大級の憎悪をもってしても殺す価値もないと思えてしまった。

 虚しさだけだ。この場全ての人間に怨みをぶつけても、きっと彼らは受け止め切れない。計画して行動したのは、人間に作られて目標を設定されたマザーだ。誰を恨めば本質に近いのか最早分からない。コンピューターが暴走したといえば早いが、設定したのは人間だ。唯々諾々とそれに従ったのも人間だ。べそべそとすすり泣く惨めな人間を見下ろし、アクアはやり場のない渦を内に閉じ込めた。



 甲高い声が響いた。大人達の中で幼い少女が立ち上がり、奇声をあげて笑い転げていた。


「ざまぁみろ。ざまあみやがれ! あれだけ殺して、てめぇらが手に入れたのは手錠だけだ! ざまあみろ! あはは、あはははハははハハハハははははハははハハはははハは!」


 十前後の少女は、けたけたと所々ひっくり返る歪な笑い声を上げ、蹲る大人を蹴り飛ばした。やせ細り、異様に大きく見える眼球を見開きアクアを指差す。


「滅ぼせ! こいつら全部滅ぼせ! てめぇは地獄の使者だろう? こいつら地獄の釜に引きずり落としに来た悪魔だろ? ほら、殺せ、さっさと殺してしまえ! 人類史上最大の愚行はこいつらだ! こいつらが存在したことだよ!」


 少女は愛らしいワンピースを着ていた。やせ細った手足を出して、ふわりとした桃色のワンピースを翻す。アクアの記憶の中、どこか見覚えのあるワンピースの模様が違う。赤い花があしらわれている。すぐに違うと気づく。あれは血だ。桃色にあしらわれた、誰かの命の欠片だ。

 奇怪な音で笑い狂う少女に、大の男が情けない悲鳴を上げて逃げ惑う。自然と輪が崩れて少女の周囲に空白が現れる。

 横たわるカプセルがあった。たくさん殺した青年が入っていたものと、よく似ている。

 光の反射で中が見えない。

 マザーが次々と光を消していくと、光の角度が変わり、ようやく中が見えた。


 何と音を発したのか、何も発せなかったのか。自分の耳でも判断できなかった。

 長い長い赤がね色の髪。やせ細り血管すら透けて見える薄い肌の身体。薄く開いた口からこぽりと漏れでた空気が彼女の生を知らせていた。


「ユズリハ…………?」


 アクアは男達を突き飛ばして走り寄った。片手に握っていたナイフが当たったのか、悲鳴が聞こえたがまるで気にならない。閉じられた瞳を見て、急に力が抜けて膝をついた。


「ユズリハ……生きて…………生きている、のか?」

「あんた、博士の知り合い?」


 少女はぼんやりとアクアを見た。

 熱に浮かされたように整った顔を見つめる。


「博士の言ったとおりだ。宵の空に昼の海。あんただ。あんたがアクアだ。博士の海だ」


 すとんと軽い体重が隣に座った。


「あたしはあんたに謝らなくちゃならねぇんだ。あんたの博士をあたしが殺したんだ。博士の精神は死んだ。肉体はここにあっても精神がない。死ねばどこにいくかなんて知らない。宗教が言うようにあの世にいくのか、宇宙を彷徨うのか、身体に戻るのか。でも、身体がいくつもあったらどうなるんだ。博士が博士であるために必要なものは死んだ。あたしが殺した。博士は兄貴を巻き込んだ。博士があんな研究しなければ、成功させなければ、兄貴はあんな目に合わなくてよかったんだ。博士のせいだ。博士が悪いんだ。博士がいなかったらこんなことにはならなかったんだ。全部博士のせいだ。博士が全部悪いんだ」


 少女ミナはぶつぶつと呟いた。

 虚ろな目で抜け殻となったユズリハを見つめている。


「兄貴はバカみたいに優しくて、ぜったい怒らなくて、いつもへらへら笑ってて、損ばっかりしてて。けど優しい、いいやつなんだ。博士のせいであんな目に合ったんだ。なのに兄貴言うんだ。博士のせいじゃないって。でも博士のせいじゃねぇか。全部、博士が。なのに博士言うんだ。恨んでいいよって、あたしに言うんだ。兄貴みたいな、バカみたいに優しい顔で言うんだ。兄貴は博士好きだって言ったんだ。二人だけで生きてきたのに、博士好きだって言うんだ。こんな目に合ったの全部博士のせいなのに。なのに博士子どもの頃の大事な服、あたしにくれたんだ。こいつらから逃げ回ってても、ずっと持ってた大事な服だって言ってたのに、あたしにくれたんだ。あたしはそれを博士の血で汚したんだ。洗っても落ちなくて……博士のせいなのに」


 アクアはパイロットスーツから独立している手袋を外し、虚ろにユズリハを見つめる小さな頭に手を乗せた。


「博士のせいなんだ」

「そうか」

「全部博士のせいだ。こんなとこつれてこられたのも、たくさん死んだのも、おふくろがあたしら捨てたのも、あたしがおふくろの顔も覚えてないのも、兄貴がバカなのも、服が汚れたのも、たくさんの人間が泣いたのも、マザーがあるのも、あたしらの人工星がこいつらに捕まったのも、ピーマン苦いのも、兄貴が博士好きなのも、あたしが博士きらいなのも、博士がひどい目にいっぱいあうのも、あたしら人間が地球から追い出されたのも、博士が温かいのも、全部博士のせいなんだ」

「そうか」


 少女の顔がぐしゃりと歪んだ。


「でも、博士が死んだのは、あたしのせいなんだ」

「そうか」

「博士、怒ってるかなぁ……」

「そう思うか?」

「博士、もう、ミナおいでって、言ってくれないかなぁ……も、もう、おりがみ、おしえて、くれないかなぁっ……」


 ぐしゃりと歪んで少女の顔が幼くなる。涙が溢れて呼吸が危うくなるほどしゃくりあげていた。


「はかせのせいなんだぁ!」


 震える身体をそっと抱きしめる。少女の小さな身体には、ここ数日で急激に嗅ぎ慣れた血の匂いが染み付いていた。


「ユズリハはきっと君の事をとても好きだ。怒ってなんていないよ」


 ミナは全身を震わせ、首筋まで赤くして泣きじゃくった。


「ぜんぶ博士のせいなんだ。ぜんぶ、みんなが不幸になったのは全部博士のせいだ!」

「そうか」

「でも、でもでも! ぜんぶ博士のせいなのは、博士のせいじゃないのにっ……!」

「ああ……そうだな……」


 ここから出よう。ここは人の気配がしない。コンピューターが支配し、狂いが合理化されている。怨む先が定まらないまま嘆きを積み重ね、罪だけが膨大に膨れ上がった虚城だ。

 ミナを抱き上げたアクアは、後輩が呑んだ息の音を聞いた。軽い音がする。何かが開く音だ。アクアの足元で、薄い強化プラスチックの蓋が開く。調整液独特の匂いが広がる。


「……なに、して、てめぇ、解剖用のコピーが、なんで、自発的に動いて」


 死斑を浮かべた少女は、いつの間にかその手に銃を持っていた。既に片手では狙いを定められないのか、両手で死斑が浮かんだ腕をカバーしていた。


「やめろ、なに、やって、博士、やめて、とめて、はかせ、はかせ」


 引き金の音は、命を左右するにしては、やはり笑えるほど軽かった。

 焼けた銃口を掴んだまま、アクアは微動だにしない。逸れた軌道は床に当たった。肉の焼ける音がして肌が銃口に張り付く。


「離してください」

「許容できない」


 少女は困ったように首を傾けた。


「オリジナルはこれに指示しています。研究データの完全廃棄。世話が主だった助手は除外、以外の全データの廃棄。コピーの脳を含め、完全なる削除を」


 開いた手がユズリハを指差す。


「データが残っています。これはオリジナルの命を完遂します。これは時間がありません。これはオリジナルの指示を実行します」

「博士は精神が入ってないんだよ!」

「データが残っています。完全なる削除をオリジナルは指示しました。これは削除を実行します。削除を失敗しました。問題を検索します。問題を確認しました。問題解決の作業を選択します」

「この、ぽんこつが!」


 アクアは銃口に皮膚を焦げ付かせたまま微動だにしなかった。このまま少女を蹴り飛ばすことは簡単だ。ミナをそっと床に下ろすことも投げ出すことも、どの選択肢を選んでも無傷でユズリハを守りきれる自信がある。相手の武器は押さえている。後は壊れかけの身体に一撃叩き込めばいい。

 どれも、相手がこの存在でなければの話だが。


「……困ったな」

「これもです。これはオリジナルの意志を完遂しなければなりません」


 アクアは苦笑した。


「こんなとき、呼ぶ名前を知らない」


 少女はゆらりと瞳を泳がせた。


「これはこれです」


 玩具用でなければ一人称すら必要ない。優劣をつけて弄ぶ際、相手は人間に近ければ近いほどいい。少女は解剖用だ。己を示す言葉は始めから必要なかった。

 それでは困るとアクアは言う。だから少女は困る。これはこれだ。それ以外に必要ない。

 宵の空など見たことはないが、宵闇色の髪。光る水など見たことはないが、澄んだ瞳。比べるほど他者を見ていないが、誰よりも美しい笑顔。全てオリジナルが少女達に植え付けた感情だ。オリジナルが自身に刻み込んでいた記憶より大切なものを持って、少女達は作られてきた。大切な人。美しい人。清廉な人。優しい人。大好きな人。彼を傷つけるな。彼を嘆かせるな。幸福を。祈る。祈るという行為は知らないが、オリジナルは祈る。


「これは困りました。オリジナルはデータ破棄の意志をこれのチップに刻みました。データ破棄は絶対です。他に同等の意思が存在しています。アクアを悲しませてはならない。アクアを傷つけてはならない。アクアの幸福を最優先に行動しろ。オリジナルの意思です。これらはオリジナルのコピーです。オリジナルに反した行動はできません」

「君は君の意思で動けばいい」

「これはこれです。これはオリジナルの意思で存在します」


 アクアはそっとミナを下ろした。不安げに見上げる瞳に笑顔を返す。ミナはぐしゃりと顔を歪ませて泣きじゃくる。

 その頭を軽く撫でて、視線を戻す。手を放した銃口は地面を向いていた。


「君はユズリハじゃない。俺は君と過去を過ごしていない。けれどここまでの道程を君と来た。君は君であればいい。そうして出した結論が俺が望むものでなくても、それはそれで仕方がない。俺は全力で阻止しよう」


 少女は困惑を表情に乗せた。緩慢に視線を彷徨わせ、アクアとユズリハを交互に瞳に収める。じわりと広がった死斑に初めて躊躇いを見せた。まじまじと死斑を見つめていた星色の瞳が困惑を揺らしている。


「これがオリジナルを破壊したら、アクアは悲しむのですか」

「そうだな」

「これがオリジナルを破壊しなければ、オリジナルの意志に反します」


 生きながらに死んでいく組織。死斑は生者には浮かばない。


「ユズリハなら易々とデータを取られたりはしないだろうし、ユズリハは帰ってくるかもしれない。どうなるかなんて分からないが、俺はそうだったらいいと思う」


 アクアは待つ。そこに希望があるのなら何十年だって、死ぬまで待っている。

 少女はかたりと首を動かす。支えているのがつらいのだ。明日までの期限だと思っていたが、一際出来の悪いといわれた身体は明日まで保たないらしい。少女はオリジナルが何より好きだった人間を見つめた。


「アクアを困らせても悲しませるな。オリジナルの意思です。データを完全削除しろ。オリジナルの意志です。これはオリジナルに反しません。これはオリジナルです。これはオリジナルの意を進行します。これはオリジナルに反しません」


 銃口が少女のこめかみに触れる。はっとなって伸ばした手を避けるように、少女の身体はふわりと傾く。


「待て!」

「これは、これを使うのがアクアなら、オリジナルに反しないと、これは思います」


 銃声が響いて少女はチップごと自らの脳を破壊した。

 脳髄の独特の臭いを感じ、アクアは倒れる身体を受け止めながら目を閉じる。軽く開いた少女の口元は僅かに微笑んでいるように見えた。願望がそう見せたのだとしても。


 何が正しかったのか分からない。どの選択肢を選べばよかったのか、何が誰にとっての正解で、どこに求めればいいのか。そもそも正解などあるのだろうか。スタート地点から間違った物事に正しさを求めても虚しいだけだ。正しさなど求めず、幸せだけを求めても、何を基準として幸福とみなすのか。

 強欲な人間が混迷した理由でエゴを押し通し、人の手を離れた有能なコンピューターが倫理を通さず膨大な人間が死んだ。数多の人間が人生を狂わせた。なのに責任の在り処は曖昧だ。明確な指導者は存在せず、巨大な計算機であるマザーが無機質で合理的な指示を出していただけだ。

 それでもユズリハは贖った。贖い続けた。だから、アクア達は進んでいくのだ。

 少女の身体を抱き上げて、アクアは静かに立ち上がった。



 そうして、首謀者は存在しないまま、宙暦最初の戦争は幕を閉じた。








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