21星
「ここかぁ。思ったとおり大きいね。さすが今をときめく一大企業」
明るい声でウインクした表情には、既に憎悪は見つけられなかった。全てバレンに注ぎ込んだように、残っていたのは『いつもの』ユズリハだ。
五人は一つのビルの中にいた。巨大なビルは一階が既に突破され、同じ顔した敵兵が肉塊と化している。横から飛び出てきた相手の顔が半分なかったことに躊躇わなくなるくらい、同じ顔を殺してここまで来た。
パソコンを片手にユズリハが指示を出す。狙いはこのビルが所有している百台のスーパーコンピューターだ。全て揃えば簡単にテロくらい行なえる代物だ。電力すら自前で賄っているこの会社は、どう控えめに評しても要塞である。一代にして一大IT企業に伸し上った会社名は敵も把握していたのだろう。真っ先に潰しにかかっていた。自警団が応戦しているが、相手は強化されたコピー人間。既に人間と呼ぶのも躊躇われる外見で這いずってでも目的を遂行しようとする。一企業が敵の猛攻を受けて一階を突破されただけで済んでいることは恐ろしかったが。
「そこ右」
指示通りに曲がった先で三体始末する
「閉まってますが、どうするんですか?」
「私が開ける」
エンター一つでシャッターが開いていく。魔法のようだった。五人が駆け抜けた後に閉まっていく。幾重も下りたシャッターがボタン一つで開いていく様は壮観だった。
先頭を切って曲がろうとしたレオハルトに、アクアが声を上げた。
「双方撃つな!」
死角にいた黒い長髪の男がレオハルトの額に銃を突きつけていた。横にいた雰囲気の似た青年も銃を向けている。冷たく尖った切れ長の瞳が、次の瞬間見開かれた。
「レオハルト、か…………?」
長髪の男は慌てて銃を下ろした。彼こそビルの所有者、ルドルフ・ゼルツだった。一代にして巨万の富と、落ちぶれた家の復興、行政に介入できる力を築き上げた稀代の名君だ。味方には信頼を約束するが、一度敵に回れば恐ろしい。根こそぎ奪って壊しつくす。
その男が、両手をぶんぶん振り回し、全身を使って慌てて弁明を始める。
「ご、ごめんな! これは、その、決してお前と思って銃を向けた訳でなくてだな!?」
「……兄上、あんまりだ。レオが帰ってきてくれなくなったら兄上の所為です」
「アルブレヒト! お前は兄を庇うどころか追いつめるのか!?」
ぽかんと見つめる五人と、背後に控えた部下達の目の前で、責任者の兄弟は必死になってレオハルトへの弁明を始めた。
「兄上方」
ぴたりと二人の動きが止まる。初めて兄と呼ばれたからだ。
彼らは、幼い弟を手放すしかなかった。弟は言葉さえ解さない歳だった。会おうと面会を申し込んでも逃げられ続け、手紙も返事がない。その弟が彼らを兄と呼んだ。全身全霊を懸けて意識を向けなくてどうする。
「人工星襲撃を止めます。スーパーコンピューターと操れる人手を貸してください。後は大きな電力と誰も立ち入らない部屋を」
百台のスーパーコンピューターはゼルツコーポレーションの虎の子だ。乞われてはいどうぞと解放できる物ではない。
社員達は遣い慣れない銃を抱えて、社長副社長を見つめた。二人を兄と呼ぶことを許されているのは実弟ただ一人だ。兄弟間がどうなっているかは知らない。年の離れた弟がいると風の噂で聞くだけだった。
ルドルフは静かに末弟を見下ろす。まっすぐに見上げてくる瞳に自分の姿が映っている。それだけで、全財産差し出しても惜しくはなかった。
「直通エレベーターが生きてる。スパコンは地下だ。部屋もそこのを使えばいい」
「社長!?」
背後から悲鳴が上がった。
「これは俺の判断だ。文句は俺に言え。結果会社が沈没しても、まあ、許せ」
許せるはずもない。レオハルト自身も呆気にとられていたが、呆然としている弟の肩を叩いて、アルブレヒトは先を促した。先頭切って歩くルドルフの周りをわっと囲った社員達の後について歩き出す。
「お前に兄と呼んでもらえて嬉しいよ。兄上もそうだ。まあ、それだけではないけど」
待機している時間すら惜しい。
喋りながら誰の足も早足になる。
「上に?」
「エレベーターの搭乗口が上だ……さて、お前は見覚えがあるな。確かガーネッシュ家だ」
「アクアです。こちらがレオハルトと同期のエミリアとルカリア、そして私の幼馴染の」
説明の途中で本人が遮った。
「ユズリハです。通称はロキです。宜しく」
動揺が走った。本人はけらけらと笑ってパソコンを叩いている。
「名がないと私の指示で動いてくれないでしょう? 大丈夫です、貴方々のデータに一切興味ありません。恩を仇でも返しません。私は故郷を守る為に帰ってきました。これ以上の混乱は私の望む所ではありません。貴方の弟さんの面子に泥を塗るつもりもありません」
「レオの名を出すとは意地が悪いな、お前」
彼らが上がってきたときに使用したのか、既に待機していたエレベーターに乗り込む。大人数が乗り込んでもまだ余裕がある大きさだったので、荷の運搬にも使用されているのだろう。
どんどん階数が下がっていく中で、ルドルフは汚れた頬を高いスーツで拭った。
「レオハルト。こんな時になんだが、少し話は出来ないか?」
アルブレヒトもスーツを脱ぎながら向き直った。破れて汚れた上着は役に立たない上に動きにくい。緩める暇のなかったネクタイに指を捻じ込む。いっそ外してしまおうかとも考えたが、止血帯に使えるので持っておくことにした。
「俺達はお前を家に戻したいと考えている。その旨は手紙にも書いたが、読んだか?」
頷きが肯定を示す。
ほっと頬を緩ませた男は、すぐに緊張した面持ちとなる。
「受けては、もらえないだろうか」
一般人の年収を指先で転がす男は、社運を懸けた戦いのように言葉を紡いだ。
不躾に見ないよう壁に視線を向けていたアクアの袖を、レオハルトが掴む。驚いて視線だけ向ければ、まるで小さな子どもが縋るようにぎゅっと握りしめていた。
「なんで、今更。オレは軍人で、マクレーン家からも廃棄物宣言されたんだ。それを今更、同情か? 拾ってやるつもりか!?」
「違う!」
「幸いスキップできる位の実力はあったみたいだし、家なんざなくても困らねぇんだよ! 同情なんかいるか! 今更、何も、いらねぇんだよ!」
その他の可能性全て潰されて進んだ道を、実子の誕生で放り出された。厳しいだけの養父母だったが、それでも期待に答えていればレオハルトを見てくれた。それだけの為に頑張り続けたレオハルトに向かって、もう要らないと養父は言い切った。売られた子どもと関って歪んだら困ると養母は言った。
同情をくれるなら、誕生日の雪の日、地べたで蹲るレオハルトにかけてほしかった。
アクアの袖を握る力が強くなる。
「レオハルト。兄さんの話を聞いてくれ」
「…………止めろ、アル」
「止めません。僕達はお前を捨てたりしない。言い訳と思っても聞いてくれ。兄さんは当主となってすぐにマクレーンに出向いた。けれど格下のゼルツ相手にマクレーンは言い切ったよ。実子が出来たからと放り出しては外聞が悪い。そう言って、手離そうとしなかった。愛すつもりはないが帰すつもりも無いと……殺してやろうと思ったよ」
兄の剣幕を今でも覚えている。顔を真っ赤にして、マクレーン当主の豚のような喉笛を今にも噛み殺しそうだった。頭が煮えたのはアルブレヒトも同じだが、兄はそれ以上だった。交渉は受け入れられず、せめて会わせろとの要求も却下された。戸籍をマクレーンが持つ以上、権限はこちらにない。実弟であろうが会う為に法的手続きを要求された。
「この会社、大きくなっただろう。兄さんがそうしたんだ。マクレーンが文句を言えないくらいの力をつけ、マクレーンを格下にする。そうでもしなければマクレーンはお前と会う権限すら渡さなかった。さっきお前は協力を要請した。兄さんはそれを受けた。どうしてか分かるかい? この会社はお前を取り戻すために作って、大きくしたんだ。お前が壊すならそれもいいと思ったからだよ」
柔らかな声音はヒノエに似ていた。けれど微笑みがとても寂しそうだった。
「……兄上、それは、本当ですか?」
長い髪を揺らして、ルドルフは長く息を吐いた。万感の想いを吐き出したのかとても長かった。肺が空っぽになるほどだ。ぐしゃりと前髪を握り締めて、かっこわるいなと呟く。
「お前を養子に出した時、俺はガキだった。今のお前よりもっとガキの頃だ。傾いていても名は貴族。親類一同は名に固執し、叔父上は決して権限を譲らなかった。既に屋敷や家具、連なる土地も質にとられ、借金取りが押し寄せる毎日だった。……愛して大切にするとマクレーンは言った。このまま家にいるよりまともな暮らしが出来るかもしれないと、思ったんだ。だが、誤りだった。マクレーンはお前を虐げた。人生の選択を奪い、尊厳を蔑ろにし、尚且つ飼い殺しの憂き目に合わせた。許されぬ所業だ。愛さないなら帰せと言っても業突く張りの守銭奴め。星予算並みの額を要求しやがった。ただ、言質は取った。つまり金があれば帰すと言ったんだ、あいつは。だったら金を作ればいいんだろう。過程で叔父上が死のうが商売敵が宙海に消えようが、些事だ」
ルドルフは男性には珍しくリボンで髪を結んでいる。青いシンプルな細いリボン。結び目が色褪せたそれに見覚えがあった。唯一手元に許された家族写真の中で、レオハルトがしゃぶっていたぬいぐるみの首を飾っていたものとよく似ている。似ているどころか、そのものかもしれない。身なりがきちんとした男が身につけるにはあまりに不釣合いだったからだ。
「レオハルト。お前が今の暮らしに満足しているなら屋敷に帰ってきてくれなくてもいいんだ。けれど、困った時に助ける権利をくれないか。お前を心配する権利を、お前を愛する権利を、真っ先に駆けつけていい権利を、俺達にくれないだろうか。守れなかった俺を憎むならそれでもいい。金だろうが会社だろうがゼルツだろうが、全部奪っていっていいんだ。構わないけれど、もし、もしもお前が許してくれるなら、俺は兄弟揃って食事がしたい。お前と話したいし兄ぶりたいし、甘やかしたい。レオハルト、俺達はお前と兄弟でいたいと切に願う」
アクアは、歯を食いしばって軍服に皺を刻み込んでいる手を解く。捨てられた犬のような目で見られて苦笑する。今まで散々噛みついてきた相手でも、年下の後輩だ。振り払うような無情な目に合わせるつもりはない。
それでも、彼が握りしめる裾はここではないと思うから、そっと掌に触れる。
「レオハルト、俺がどうこう言う権利はない。だが、間に合うならそれが一番いいんだ…………間に合うことは幸福なんだよ」
どんな思いで紡がれた言葉なのかレオハルトには分からない。彼が感情を露わにするところを初めて見た。彼が……彼女が現れて初めて。
ユズリハが彼にとってどういう存在か、どれだけの影響を及ぼすのか、見るだけで分かった。その相手を失おうとしている人がそう言った。
彼は、彼らは、間に合ったのだろうか。
ふと蘇る記憶があった。
青いリボン。無理矢理結ばれた短い黒髪。横に並ぶ似た雰囲気の少年。雪の降る、寒い寒い日に見た、涙。
義弟の誕生日パーティで屋敷から追い出された。祝い事に陰を指すと放り出されたレオハルトは、雪の降る日、帰る場所も行く当てもない。外の世界を知らされなかった子どもが放り出されたとて、逃げ込む場所があるはずもなかった。
膝を抱えて雪を積もらせ、このまま無音の世界に溶けていくのもいいと思った。年に数回だけ設定された雪の日。寒さが心地いいと、雪と同じほど白くなった頬を膝につけて、レオハルトは誰も遊んでいない公園の片隅でぼんやりと座り込んでいた。他の子どもがはしゃぐ光景を通りすがりの車の中から眺め、あれほど遊んでみたいと願っていた公園は、寒く、寂しいだけの場所だった。
皮肉にも己も誕生日だったレオハルトは、生まれた日に死ぬのも悪くないのではないかと思った。死ねば、きっともう寂しくない。なんにも悲しくない。どうせ誰も迎えになんて来てくれない。いなくなったほうがいいんだ。そのほうがお父様もお母様も喜んでくださる。きっと笑ってくれる。一度だってレオハルトに笑いかけてくださることはなかったけれど、レオハルトがいなくなればきっと、初めて、よくやったと褒めてくれる。
ふわりふわりと柔らかな動きで深々と降り積もり白い雪が、最後に見る景色だ。
そう思って目を閉じたレオハルトを何かが揺さぶった。二人の年上の少年が何かを叫びながらコートを脱いでレオハルトを包んだ。マフラーに帽子、手袋、全部二重に巻かれた。他者の体温に抱きしめられて初めて、さっきまで心地よかった寒さが衝撃となって身体を襲う。がたがた震える頬は静かな少年が包み、動かない足は口の悪い少年が包んでくれた。足なのに、口を近づけて息を吹きかけてくれる少年の髪で青いリボンが揺れるのをぼんやりと見つめていると、ふいに泣きたくなった。
けれど、年上の二人が泣いていたので泣けなくなった。何が悲しいのかぼろぼろ泣くから、思わず慰めてしまった。誰かにあげるつもりだったのか、綺麗にラッピングされたケーキをくれた。フォークがないと言えば、手掴みでいいよと笑われた。
幼い身で死が一番の幸福に見えたあの日、泣けないレオハルトに代わって泣いてくれた『お兄ちゃん達』は実兄だったのだ。
「……そっか。あれ、あんたらだったんだ」
音をたてて扉が開き、長い廊下は自動で照明がついていく。先には大きな部屋があり、等間隔に整列したスーパーコンピューターが陣取っていた。ユズリハはすぐに駆け出して座り込んだ。常人外の速度で打ち込み、インカムに言葉を羅列している。あれだけ指を動かしている癖に、足らないとばかりに音声入力もするつもりらしい。当然のようにアクアも引っ張り出され、双子も同じコンピューターを陣取った。一人だとそれほどではなくとも、二人揃えば並のハッカーでは手をつけられない暴れん坊と化す双子だ。
ルドルフはすぐに腕のいい社員を協力体制に入らせた。指示を出している二人の背中を、レオハルトの指が軽くつつく。すぐに振り向いてくれた。当たり前のような動作がひどくくすぐったかった。
「ん?」
「…………俺、成人した、から」
「ああ、おめでとうを直接言いたかったんだけど、受け取ってくれるか?」
「…………自分の意思で戸籍の移動可能なんだけど」
兄二人は動きを止めた。フリーズした。瞬きすらしていない。
再起動は次兄が先だった。歓声を上げて長兄を揺さぶる。
「嗚呼っ、レオ、レオハルト! 兄さん、呆然としないでください!」
何度も反芻してようやくルドルフも起動した。
「レオ……本当に? 帰ってきて、くれるのか?」
レオハルトは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「でも、返品すんなよ!? 今はよくても状況変わったらまた捨てるとか、なしだかんな!? 金払わないから愛着ないとか言うなよ!?」
「当たり前だ……嗚呼、レオハルト!」
二十代後半に突入した兄二人に挟まれると、レオハルトは軽く命の危機を感じた。
けれど、自分の存在を手放しで喜んでくれる存在がこんなにも嬉しいと知らなかった。持ったことがなかったからこの安堵も想像できなかったのだ。条件なく認めてくれることが当たり前で、捨てると鬼畜と評される。そんな絶対の存在をレオハルトは信じてみてもいい気になった。幼い子どもみたいに喜んでくれる兄を見て、レオハルトの心は恐る恐るでもそう思う。
アクアに目をやる。互いをその位置に置いていた二人は既に終わりが決まっている。ユズリハは頬にまで死斑を広げていた。何も変わらぬ様子で笑うアクアは、どれだけの気力を要しているのだろう。間に合うことは幸福だ。どんな思いで口にした言葉なのだろう。
自分は間に合ったのだろうか。取り返しがつかなくなって後悔する前に、逃げていた臆病な子どもは一歩踏み出せたのだろうか。