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20星



 ユーラ家が所有する病院は第五人工星内に点在する。どれもが大病院と名がつく大きな組織だ。中でも一際大きな病院は、医療施設というよりテーマパークのようだった。高級ホテルと見紛う外観から、プールに模擬森林浴まで体験できる。主に上流階級の集客を目的としていた。

 いつもは洒落たカフェが賑わう時間だが、今はさながら知識として知るだけの野戦病院のようだった。限られた資源、土地の中で人類は争ってきた。けれど空気に限りがあれば話しは別だ。あれだけ巨大な惑星さえ壊しつくした人間だからこそ恐怖は大きい。長らく平和で、戦争を知らない人間ばかりの中に突如襲い掛かった脅威に、人々は混乱を極めた。


 その第一病院に五人はいた。双子にとっては飛び出て以来の場所だ。ルカリアはいつもの飄々とした口調がすっかり鳴りを潜めている。幼子が迷子にならないため母の裾を掴むようにエミリアの背に張り付いていた。

 既に意味を成さなくなっている受付での問答をエミリアは切り捨てた。ルカリアは兄の腕に掴まって身体を隠そうとしている。ユズリハは深く被ったパーカーを抑えた。頬にまではみ出した死斑は、医療関係者が見たら一発で分かってしまう。そうでなくとも場所が場所だ。宇宙病と勘違いされたら大騒動になる。

 院長室の隣の部屋のロックを解除して中に入る。部屋に家具はない。エレベーターが真ん中に設置されているだけだ。エミリアは迷わずパスワードを打ち込んだ。天井から切り離されていることから下にしか進まないと分かる。直通なのかエレベーター内に階数を選ぶボタンはなかった。


「こっちです」


 開いた通路をエミリアは進む。幾つかの部屋は無視された。白い通路は人工的な明かりが眩しい。五人が歩いた後には汚れが続く。意に介さずエミリアは突き当たりの扉を開いた。


 一際眩しい部屋の中は広かった。病院の地下を柱だけ残して丸々部屋にしていた。白衣を着た人間達が驚愕の目で五人を見た。アクアとレオハルトが前に躍り出て銃を構える。

 さわさわと声が響く。極秘裏に行なわれてきた研究所が襲撃された事実にパニックになりかけていた研究者達は、左右対称の双子を見て感嘆した。夢見る瞳で熱い息が洩れる。あれが、あれこそが完成品。なんと美しい。粘着質な視線にルカリアは縮み上がった。





「誰の許可を得てここに来た!」


 しゃがれた声が恫喝した。恐ろしい声量にルカリアは子どものような悲鳴を上げてエミリアに抱きつく。エミリアは安堵を誘う微笑みを浮かべてその頭を撫でる。


「お久しぶりです、お父様。医者である貴方が、この非常時に何をなさっておいでです」


 院長は驚きはしなかったが、ルカリアを見て不快気に眉を寄せた。男は五十に届かないはずだが、すっかり老人のようだった。片目が異様に大きく見える。杖をついて尚、身体は傾いでいた。


「人形に執着しおってからに。いい加減人形遊びを卒業したらどうだ。婦女子でもあるまいに。そして人形を我等に寄越せ。安心しろ。殺しはせん。後、友は選べ。ガーネッシュ以外顔も知らぬ下流ではないか」


 こんな時でも変わらぬ男の物言いに、エミリアは逆に安堵した。ああ、変わっていなくてよかった。これで何の悔いもなく別たれることができる。 


「生かしもしないでしょうに。ご安心ください。貴方々のなさること、何一つ許容できぬと僕は知っています」

「愚か者、人形に毒されおって。分かっておるのか、エミリア。それは肌も髪も臓器も命も。全てわたしが作ってやったのだ。わたしが命令しなければ存在しなかった物だ。爪を剥ごうが心臓を抉り出そうが手足を切り落とそうが構わないのだ。わたしが作ったわたしの物をどうしようと、わたしの勝手だ」


 煙管で指されたルカリアは、身を竦ませてエミリアの背に隠れた。


「あれの使用許可は出さん。あれは第五人工星の秘宝…………否、人類の宝だ」

「人を殺して奪い、使いこなせもしない物を宝と仰いますか」


 息子の瞳は冷たい。父と呼びながらそう思っていない子どもの目だった。


「人工臓器生成機器。それが正式名称だそうですね。持ち主に返して下さい。お忘れですか。貴方は医者でありながら命を弄び、私欲の為に人を殺したのですよ」

「我が子の為だ」

「人を殺めてまで生き延びたいと思った事はありません。それに、貴方々は僕など見てはいなかった。所詮僕も所有物だったではないですか。跡取りという名の物だった。だから重要だった、救おうとした。貴方々の子どもだからではなかった。僕の家族はルカリアだけです」


 幼い頃は絶対の君主だった男が今は随分と小さい。年を取って急激に増えた白髪か、皺か、落ちた肉だろうか。軍人であるルカリアが脅える要素は一つもないのに、エミリアより前に出ることは出来ない。彼らに認められなければ消されると刷り込まれている。




「バレン・ユーラ。写真より随分お年を召してるね。奥方ジュリア・ユーラの数多き火遊びが原因か、それとも急激な老化は宇宙病Ⅲ型の兆候でしょうか。片目だけ飛び出すその症状を見るに随分進行していらっしゃる。もう老い先短いのでは?」


 バレンは聞きなれない声に視線を移した。細身の若者が集まる中で一際小柄な少年が、フードの下からこちらを見ていた。


「無礼だぞ、口を慎め」

「は! 君主のおつもりで? 思い通りにならない事ばかりの中で、どうしてそう思えるのか、お幸せな脳でようございました。Ⅲ型はまだまだ未解決。残念、対抗策がない」


 小さな音がしてバレンの額に銃口が突きつけられていた。

 バレンはつまらぬものを見たといわんばかりにため息をつく。


「木偶人形、何をしている。止めろ、愚図」


 びくりとルカリアが震えるが、ぎゅうっとエミリアの服を握り締めるだけで動かない。


「ルカが貴方に従う謂れはありません。僕らに命令できるのは上官と先輩だけです」


 バレンは舌打ちした。ユズリハが引き攣った笑い声を上げる。銃口を揺らしながら腹を抱えて天井を向く。呼吸困難を起こしたような奇怪な笑い声だった。


「エミリアが縁切り宣言したことだし、気を使う必要も無い。さあ、どうやって死にたい? 簡単に死んでも面白くない。元凶は私だけど、発端はあんただ。結果が追いついてきたんだよ、バレン・ユーラ。罪には報いだ。贖う気がないのなら、私が手を下すしかないだろう?」


 隠しようもない死斑にバレンは眉を寄せた。汚らわしい物を見る目だ。ユズリハは安堵した。心の底から。


「良かった。あんたは本物のクズだ。ありがとう、心痛める事が欠片もないよ!」


 手が塞がっていなければ拍手さえしていただろう。

 道端の小石を見るよりも不快感を露わにした瞳に、安堵し、歓喜した。

 ああ、嗚呼、嗚呼! よかった、本当によかった!

 この期に及んで、もし、欠片でも罪悪感など感じてしまうような言動をしてくれなくて、本当に嬉しかった。

 これで心置きなく修羅と成り果てることができる。



「さて、バレン・ユーラ。私をご存知だろうか」

「廃棄物など知らぬわ」

「お前が私の情報をブループラネットに売ってくれたおかげで、得難い経験が出来たよ。どうもありがとう。あれほどの地獄があるとは思いもしなかった」


 男は怪訝な顔をしたがそれも一瞬だった。ユズリハの言葉に耳を傾けるのも面倒だといわんばかりに、犬猫でも追い払うように舌打ちする。


「何を……人でさえない分際で、このわたしに銃を向ける無礼が許されるとでも思っているのか、ゴミめ」


 ユズリハは、男を彼と同じ蔑む瞳で見下ろし、片手でフードを剥ぎ取る。歪んだ瞳は憎悪の成れの果てだ。


「初めまして、両親が大変お世話になりました。娘の、ユズリハ・ミストです」


 初めてバレンが動揺を示した。研究員達も一斉に青褪め、地面に座り込んだ者もいる。

 ユズリハの喉の奥から零れ出る感情という名の唸り声は、がちがちと鳴る歯を突き破って彼らの耳に届く。突きつけた銃口は、彼女の感情の高ぶりと一緒に小刻みに揺れる。それは躊躇いではない。勢いのまま一息に殺してしまいそうになる自分を制しているのだ。



「あれ以来、寝ても覚めてもあんたの事ばかり。写真を見ては吐き気を、論文読めば殺したかった。あんたが憎くて憎くて、死んで尚、憎悪は尽きない。亡霊となってもあんたを殺すって決めてたんだよ、バレン・ユーラぁ!」



 フードの下にあったのは、四年前に見た教授によく似た顔だった。輝く赤がね色の特徴的な髪色は博士のものだ。

 首から頬に伝った死斑は彼女の言葉を肯定していた。既に死した身でバレンに銃を突きつける、その執念。




「……でもあんた、勝手にⅢ型なんかに罹っちゃって。はは、笑える」

「何が、おかしい」

「Ⅲ型とⅦ型、症状は違えど分類的には同じ。やっぱり遺伝が関係してるのかな。私、Ⅶ型の新薬作ったけど、続けてればⅢ型も作れたかもね。両親が殺されたから止めちゃったけど。つまり、あんたの所為で、あんたは死ぬ」


 ユズリハの腕が掴まれる。縋るようでいて篭る力は握り潰さんばかりだが、死斑の広がった腕は痛みなんて感じない。笑いが止まらない。腹の底からおかしくて堪らない。人を憎むと些細なことが楽しくて堪らない。相手の不幸に限るのだが。

 ひゅうひゅうとバレンの呼吸が乱れた。ただでさえ悪かった顔色がどす黒くなっていく。


「あんたは自分が齎した行動の結果で死ぬんだ。はは、傑作だ。世の中うまく出来てる! あんたは一応腐っても医者だ。あ、腐った医者だ。Ⅲ型の特徴知ってるね。肺の縮小による慢性的な酸素不足、味覚異常、脳神経異常による猛烈な幻痛、よって薬が効かない。緩やかに機能停止していくⅦ型に比べ圧倒的に苦しくてつらい。痛くて気が狂う。麻酔も麻薬も効かない。脳神経が勝手に痛みを作り出す、処置の術がない。苦しいだけの生だ。苦しくて痛くて痛くて痛くて、気も狂わんばかりの苦痛の海に溺れて、それでも死ねない」


 がちがちと煙管で黄ばんだ歯が音を鳴らす口元から泡が溢れ出る様すら愉快だ。

 ああ、幼い少女の気持ちが分かる。あの憎悪、もっと長く受け止めるべきだった。

 症状が色濃く出た眼球に銃口を突きつけ、ユズリハはうっそりと微笑んだ。


「自らの痛みに溺れて死ね、バレン・ユーラ」


 一瞬で終わる死などくれてやらない。こちらの手を汚しもしない。余命半年。狂うには充分な時間だ。存分に苦痛を味わって死んでいけ。

 ぐるりと白目を向いた男を見下ろし、ユズリハは汚らわしいと眉を顰めた。

 隣にあるパソコンに向かって素早く指を走らせる。一通り眺めた後、安堵した。


「良かった。第五出身者とは思えないほど無能だ。私が作ったブロック全く壊せてない。データも取り出せなかったのによくもまあ、こんな施設作って。ま、こいつが資金を無駄にしていくのは楽しいけど。いいよ、アクア、そいつら殺さなくていい。すぐに使える状態に保って掃除してたと思えばいいくらい、何一つ使えてない。はは、笑える」


 小さなメモリをパソコンに差す。それはと尋ねれば、ユズリハは悪戯っ子の目で笑った。


「私が作ったウイルス。データ破壊だけじゃなくて、物理的にも壊しちゃう優れもの。まあ、モータフル回転させて火を出させるだけだけどね。これだけ金ある所の地下だもん。多少の火じゃ上まで被害はないでしょ」


 研究員達は悲鳴を上げた。レオハルトが銃で頭部を殴りつけて黙らせた。


「なんて、なんてことを! これは人類の叡智だ! 未来の結晶だぞ!」

「私の物をどうしようと私の勝手だ。あんたらの親分の持論だろ。叡智だと言うのなら生み出した人達を殺すべきじゃなかった。これから幾らでも続けてくれただろうに、あんたらは殺したじゃないか。ねえ、知ってる? あんたらが犯した罪の重さに怯まない理由を」


 凄惨な笑みが浮かぶ。古い本に載っていた能面という民俗物がこんな顔をしていた。


「贖う気がないからさ。犯した罪に怯まないのは贖う気のない奴だけだ。けれどそれは私が許さない。最も効果的だろ? あんたらが心酔した研究を完成させられる唯一がぶち壊す。二度と再建できないくらい徹底的に壊してやるよ。言っておくけど生かしてやるだけだよ。研究に群がった奴ら全員同罪だ! 全員殺してもいいくらいだ! ……この身は既に死者の物。思考も人から外れていいんじゃないかと思うけど、流石にアクアの前で魔物に成り果てたく無い。だから、あんたらが大事にしてたデータ消滅でいいや。それで充分、絶望してくれるだろ」


 けらけらと笑うユズリハは酔っ払いのように足元を崩した。


「まずい、興奮しすぎて足にきた。はは……復讐ってどこまでも酔えるから嫌だね」


 歪みきった精神が澄んでいくとさえ思える。しっくりと納まって平穏をくれる。復讐だけを糧として、きっとどこまでだって走れる。

 それでも、それ以外の何かのほうがユズリハには大切だった。復讐に満たされた平穏よりよほど。


「何て、ことを、何てことを!」

「動くな!」


 ふらりと立ち上がった男はレオハルトの制止も聞かず、ユズリハに近づいていく。


「いいよ、アクア、止めないで。何だよ、話くらい聞いてやろうか?」


 男は神経質な顔を驚愕に見開いたまま、よろめいた。


「これは、歴史に残る大罪だ。人類が青き星に帰る為に必要な、価値ある、人類の為の神の授かり物だったのだ。その為に必要な犠牲に何を憤ることがある。何百年もかかる移動が一瞬で終わる。人類は第一人工星が独り占めした青き故郷に帰ることが出来るんだぞ! どうしてそれを邪魔をする! お前はあの星が恋しくはないのか!?」


 ユズリハは表情なく立ち上がった。


「そうか、あんたブループラネット賛同者か。どうしよう、生かしたくなくなってきた」


 男はユズリハの胸倉を掴み上げた。ユズリハはそれでもアクアを制した。感情を映さない瞳で男を眺める。


「地を覆う海、果て無い空、人間の管理が効かない自然、プロペラのいらない風、培養の必要ない食料。嘗て我らが失ったあの楽園を、どうしてお前達は忘れて生きていけるんだ! 青き星は我々人類共通の故郷ではないか!」

「壊したのも人間だろうに。可哀相に。あんたには大切なものが何も無いんだね」


 ユズリハは自分を支える腕にそっと触れ、憐れみの瞳を向けた。


「私は、文献でしか知らない過去が壊した故郷なんて要らない。場所より人だ。どんな場所でも、大切な人がいればそこが楽園となる……ああ、可哀相、可哀相に。あんたには場所しかないんだね。遠い昔、人類が自ら壊して追い出された楽園に縋らなければならないほど、あんたには誰もいないんだね」


 可哀相に。可哀相に。憐れな男。

 ユズリハは謳うように言葉を紡いだ。


「私にはアクアがいるよ。ここが楽園で、明日で、今で、全ての幸福なんだよ」


 ユズリハは歩き出した。部屋の中心で高い台座に掲げられた装置へと手を伸ばす。丸みを帯びたフィルムの中心は培養部分だ。小さく気泡が立つ特殊な液体は手入れが行き届いていてすぐに使える。


『色はどうしましょうか。貴女の好きな色にしましょうね』


 母からの問いに、青が好きーと軽い気持ちで答えたままの外観に苦笑する。命を救って心を繋げるをモットーにした母は、青の中に桃色のハートをあしらった。愛らしい外見がお披露目される機会は永久に失われたのだ。


「これが……?」


 よろめいた背を支えたアクアは、一つの機械を見つめた。一人入れば一杯になる小さな機械。これが全ての始まりであり、ルカリアを救える唯一。


「私の青はここにあるんだよ」


 深い深い青の瞳。海はきっとこんな色。これこそがユズリハにとって生命の色であり、故郷だ。他に帰る場所なんて要らない。

 研究者達に銃を向けたまま、台座に装置を乗せる。扉が閉まるまで銃を突きつけ続けた。


「ついてきたら殺す。生かしたのは慈悲じゃない。邪魔するなら仕方ない。殺してやるよ」


 呆然と立ち尽くす男の足元に一発。男はその場から動かなかった。

 軽い音をたてて扉は閉まる。追ってくる者は誰もいない。自らの命を失ってでも奪い返したいという者は一人もいないのだ。ユズリハは渇いた笑い声を上げた。


 研究より、人類の叡智より。

 今を生きる命が大切だと知っていたのなら。


 どうして両親を助けてくれなかった。

 



 アクアに抱きしめられて、ユズリハは声を上げて泣いた。








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