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19星



 いつも通りの朝だった。

 女は口紅を塗って丸い鞄を持つ。男はネクタイを締めて四角い鞄を手に取る。道はいつも通り通勤や通学で混雑していた。親は子の手を引き、子は親に手を振り、友は駆け寄り、仲間は片手を上げる。恋人は頬に口付け、同僚は資料を手渡す。誰かにとっては不幸のどん底で、誰かにとっては幸福の絶頂で、誰かにとってはまんねりで、誰かにとっては新生活の、いつも通りの朝だった。

 しかし、世界は簡単に誰かを裏切る。アクアの日常が永遠に失われたように、ユズリハの明日が二度と来なかったように。日常は呆気なく裏返るのだ。



 風が湧き上がった。

 完璧に管理されている人工星内で突風など有り得ない。工業地域ならば風の出る作業もあるが、ここは街の真ん中だ。女は乱れた髪を抑えて口を尖らせた。

 べちゃり。

 粘着質な何かが頬に飛んだ。無意識に触れた手を見れば真っ赤に彩られていた。鉄錆の臭いに吐き気がするのに臭いはそこだけではない。恐る恐る顔を上げる。同じ顔をした身体がぐにゃりとひしゃげ、そこかしこに降り注ぐ様に、今度こそ女は絶叫した。





 一晩怒鳴り続けたゴルトアは、飛び込んできた阿鼻叫喚の映像に机を蹴り倒した。


「いい加減にしろ! 事態はもうここまで来てんだよ! てめぇらが日和見馬鹿やった一晩に出来たことがあったはずだろうが!」


 手足の捻じ曲がった死体。片腕を失い、残った腕で銃を乱射する。突如現れた歪な軍隊に人工星は大混乱に陥っていた。敵が現れているのは政庁のある中心都市だ。辺境に比べれば武装している人間が多いとはいえ、基本的に抗争は軍が引き受けている。市民が持つ武器は異常に少ない。なのにブループラネット賛同者の武装率が高いのはどういうことだ。理由は簡単だ。動けない兵士から、いつ暴発するとも分からない武器を奪い取り高々と叫ぶだけで事足りる。青き星に帰ろうと。

 送り込まれた量産型の兵士は、ただの武器輸送機と化していた。


「敵の意図が判断できぬ以上、守りを疎かにするべきでない。人工星内は派遣している軍と警察で充分だ。敵の数も限りがあろう」

「なかったらどうすんだよ、おい、てめぇら見えてんのか? 敵に内部まで進軍されてんだぞ! 人工星発足以来の惨事だ。死傷者が既に出てる段階でよくも座ってられるな」


 円卓に座る老人達は動かない。証拠がない。敵の声明がない、思惑が分からない。失策を打つよりは時期を待つ。それが有効な時もあるだろう。だが、火急の用件には不要だ。


「俺は動くぞ」

「待て、ゴルトア。命令は絶対だ」

「俺に命令したけりゃ、納得いく指揮官連れてこい! 保身野郎に付き従う義務も、命を懸ける義理もねぇ! てめぇらの事なかれ主義で死ぬのは俺の部下なんだよ!」


 老人が抜いた拳銃はゴルトアの銃弾が弾いた。更に、天井に向けて威嚇を一発。防音に優れた部屋は外に音を通さない。壁に設置されているマイクを掴む。老人達は皺だらけになった顔を歪ませた。


「こちら第一部隊長ゴルトア・ボストックだ。現在我らが第五人工星はブループラネットによる攻撃を受けている。人工星内部にだ! 未曾有の事態だが、それで恐れる俺らじゃねぇな? こっからの指揮は俺が取る。全員俺についてこい! てめぇの意志に懸けて軍人になった意味を果たせ!」


 入り口が開き、銃を構えた兵士が駆け込んできた。


「すぐに反逆者を捕らえろ! 軽い処罰ではすまさんぞ、ゴルトア!」


 枯れ枝のような指がゴルトアを指す。兵士は老人の予想に反し、銃身を老人達に向けた。


「俺だけが動いてんじゃねぇんだよ。事が始まってもお前さんらは動かねぇだろうと踏んでの行動だ。そう思った奴らが多数派だったことを恥じろ。てめぇらのやってきた結果だ。てめぇらじゃぁ、俺達の故郷を守れない」


 内部は腐敗が始まっているが、まだリセットが効く範囲内だとゴルトアは思っている。戦争が加速していくにつれて増えるスキップ組。豊富な人材が溢れている今なら、まだ間に合うはずだ。時代は動き続けている。いつまでも今まで通りだと思い、願い、停滞を望む者が上を占めていては若者が死ぬ。時代に取り残されることを選ぶのならば自分達だけで沈んでいけ。

 目の前にいる彼らが、同じような人間達が、第四人工星を犠牲にする決断を下した。その結果、最後まで反対していた議員の妻と幼い息子が死んだ。アクアの母が弟が死に、一つの家族が壊れた。

 あれが正解だったのか、ゴルトアは今でも分からない。ただ一つ分かるのは、大人の決断で泣いて苦しんだのは、その下の世代だということだ。


 子どもが泣いている。レオハルトもエミリアもルカリアも、アクアもユズリハも。

 子どもが泣いている。大人が垂れ流した責を負い、子どもが泣き叫ぶ。

 それが正しいと、どうしていえよう。その様を眺めながら、次の世代が頑張れとどうして傍観を決められよう。ああするしかなかったのだと。その言い訳を合言葉に砕いたガラスの上を、素足の子ども達が歩いている。血を流し、泣き叫びながら、今尚敷き詰め続けられるガラスの道を歩いているのだ。

 老人達は、ああするしかなかった、その言葉を免罪符に子ども達から剥ぎ取った靴で悠々と歩いていく。後ろ手にガラスをばら撒きながら、道を傾けていく。

 それが正しい形だというのなら、ゴルトアは道ごと廃棄することを躊躇わない。致し方ないと砕いた狂気ならば、己より前にばらまくべきだ。そうして自らが血を流して均した道を後世に残せ。そうできぬというならば、せめてそれを正しさと呼ぶな。



 第一部隊隊長は、第十八まである部隊を纏める大隊長の名も持っている。大隊の指揮に怯む性格でもない。

 部屋を出てすぐにホムラとヒノエが並んだ。


「七割が賛同、一割が反対、二割が傍観ですが、これはすぐに動くでしょう。反対派は暫定処置で捕らえました。俺達もすぐに出ます。何部隊か連れていきます」

「好きに持ってけ。ロキから連絡は?」

「転移は情報を送受信する一対の装置がないと不可能だと。あちらにある装置を壊すことは現段階では難しいですが、こちらの宙域に対となる装置があるはずです。物質の移動はほぼ完璧に行なえる可能性があり、いたちごっこになる、侵入を止める根本的な手段は自分が何とかすると言っていますが、装置は一つだけ残すようにとのことです。アクア達を借り受けたいと。許可を」

「だけでいいのか?」

「彼ら四人で小隊分は動けます。ルカリアの不調も処置を受けて回復していますし。あまりこの件に詳しい人員を作りたくありません」


 ロキは犯罪者で、彼女は事件の当事者だ。意思に関係なく事実は変わらない。


「後、どれくらいだ」


 ヒノエは痛ましく眉を寄せた。


「一週間、保てばいいと。動ける日数はもっと少ない……痛ましいことです」

「そうか…………」


 本人が既に死亡している。両親を殺され、監禁され、強要され。若い命は散った。死して尚、事態を収めようと動く少女を罪に問えなかった。甘いといわれても彼女は充分追いつめられた。罪にさせられた業を償った。贖っている。贖っているとも。

 発明したことが罪なのか。善良なる想いであったとしても、利用した側に罪はなく、世に作り出した者だけが罪に問われるのか。

 結局利用者次第なのだ。核は兵器とすれば非道で、力とすれば莫大なエネルギーを生み出す。争いに向けるか生活の向上へ向けるか、結局使う側の理性にかかっている。


「ブループラネットへの断罪は俺らで下す。同士への暴挙、しっかり贖ってもらおうか」


 大きな軍靴で廊下を歩く男は感情全てを重たい靴底へと籠めた。前方から部下が走り寄ってくる。


「宙域に多数の部隊出現! 戦闘許可を!」

「ぶっ潰せ、二度と明日がねぇくらいにな!」


 化け物だと公私共に謳われ、歩く砲台の異名を持つ男の本気が始まった。







 街は既に阿鼻叫喚と化していた。内部を戦場としたことがない歴史の中で、市民が初めて感じる戦場だった。日常的に宙域では軍人が命を懸けて戦っていたが、所詮他人事。避難警報を疎ましくさえ思っていた。

 戦争なのだ。銃を持った敵兵が目の前に現れてようやく、人々は理解した。ブループラネットの理念に賛同した人々は銃を持ち、建物を爆破した。青き星に還ろうと思わないものは悪だと、人工星住人同士での諍いが武力を介してしまった。今まで散々討論されてきたことが口論となり、諍いとなり、血を流す。

 戦争なのだ。戦争はこうやって起こったのだと、人々は思い出した。

 




 銃はユズリハと双子が持ち、アクアとレオハルトは出来る限りナイフで対応した。一般人の避難が完了していない市街戦では、出来る限り銃を使いたくなかった。必要ならば躊躇いなく使うとしても。


 動揺するなんて今更だ。アクアは頬に散った血を乱暴に擦り取った。今更、動揺するなんて遅すぎる。この手は既に血みどろだ。軍人になると決めた時から覚悟していたことに今更気づいて、そのことに動揺した。

 動揺しようとする感情を力尽くで押さえ込んだ。敵機を落とした事は多々あった。もう何も思わない。けれど直接心臓に突き刺したのは初めてだった。相手がコピーであろうと肉体は人間だ。血を撒き散らして苦悶の表情を浮かべる相手に止めを刺す。軍人になると決めた時から覚悟していたはずなのに、思っていたよりつらかった。

 荒い息をついて肩を震わせるレオハルトの額を小突く。驚いて見上げる後輩にいつもの顔を返す。上が動揺して戦場が成り立つはずがない。意地でも何でもいい。今は走るしかないのだ。





「ミスト博士、お戻りを。博士、研究を続けてください。博士、これが最終警告です」


 青年は左半身を失った状態で這いずった。残った右手でユズリハの足首を掴む。聞きなれた言葉の羅列だ。彼らは思考しない。精神が入っていない状態では脳があろうが思考できない。脳の再現は細やかに行なう必要がある。そんな手間隙かけた一品ではない、ただの消耗品だ。言動はチップで管理される。人間である必要がないほど、ロボットに近かった。


「警告を終了しました。反抗基準Bランク。電流レベル1、殴打レベル1、精神重圧レベル1。罰タイプを選択してください」

「うるさいよ」

「反抗基準Aランクになります。電流レベル2、殴打レベル2、精神重圧レベル2、罰タイプを二つ選択してください」

「うるさい」

「反抗基準Sランクになります。電流レベル3、殴打レベル4、精神重圧レベル3。終了後一時間半の療養を許可します。本日の睡眠時間が一時間半減少されます」


 淡々と続ける青年の額に銃口をつきつけるユズリハにも表情はなかった。


「もう、黙れ。君がギルバートだったなら話は聞くが、お前に従う謂れはないんだよ」

「両手を保護します。頭部を保護します。速やかに指示に従ってくだ」


 サイレンサーの軽い音で、青年は壊れた。

 死体を見下ろし、ユズリハはだらりと両腕を下ろす。小さな肩を左右から双子が叩く。同じ動作で左手と右手を伸ばし、左右から突進してくる青年の頭に銃弾を叩きこむ。


「あなたの周りには僕らがつきます」

「露払いはあの二人でじゅーぶん。型が似てますしね。嫌い嫌いと言いながら、結局は先輩に憧れてたんだ」


 身体が大きくない二人はしなやかに相手の懐へと入りこみ、相手の力を利用してバランスを崩し、ナイフを捻じ込んだ。白兵戦の代償で返り血は多い。なのに美しい。汚れていても穢れは見えない。ユズリハは眩しそうに見つめる。血の汚れ一つない自分の手が、酷く穢らわしいものに見えてならなかった。










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