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16星




 突然大きな音がしてユズリハは振り返った。何を思ったかアクアがユズリハのトランクを引っ掻き回している。


「何やってるのさ」


 一応乙女のトランクを引っ掻き回すなんて言語道断、君なら許す! 所詮惚れた弱みだ。

 背を向けていて何をしているかは分からないが、彼のことだからと絶対の信頼の元、ユズリハは呑気にその背に手を掛けた。


「え、何」


 何が起こったか理解したのは、天井を見上げているときだった。


「あんた何やってんすか!? ここで喧嘩なんかすんなよな!? 相手は女ですよ!?」


 慌てて立ち上がったレオハルトの前で、アクアはユズリハの服をたくし上げた。はっとなったユズリハが抗うことを思い出した時には、あっという間にサポーターまで外された。混乱した視界に開け放されたトランクが入る。ああ、見てしまったのか。少しだけ、泣きたい気持ちになった。

 割れないよう特殊な入れ物に並べられていた注射器。ルカリアに使ったのは三本。後二本分、入っているはずの窪みだけが残っていた。

 呆気にとられた一同は息を飲んだ。白い肌と乳房が露わになったが、目を奪われるのは少女特融のしなやかさではない。

 どす黒い死斑が散った身体は、既に生者のそれではなかった。


「……どういうことだ」

「アクア、聞いて」

「何だこれは!」


 顔を挟んで拳が叩きつけられる。食いしばった歯の音が聞こえてくる。震える吐息が唇にかかり、ユズリハは瞳を閉じた。


「アクア、私にはもう時間がないんだ。ねえ、聞いて? 私を見て」


 優しく頭を抱きかかえる。柔らかい少し癖のある髪、彼の香り。死ぬならいま死にたい。

 いま、死にたかった。



「ごめんね、私、死んじゃったんだ」



 充分だ。本当に、充分だった。息のなり損ないを吐く彼が救ってくれたから。






「どうしてもやらなきゃいけない事があったから、精神を移してここにいるだけなんだ。これもそろそろ朽ちる。これは三ヶ月しか培養してないから、保って二週間程度なんだ」


 悔いなどない。もう二度と幸福を得ないと誓ったはずなのに、こんなにも世界は美しい。


「これから忙しいよ。すぐにブループラネットが襲撃してくる。おかしな進軍があっただろ? 全員コピーのおかしな軍が転移してきてるはずだ。人体の数値化の最後が解けてないから大半死んでいただろうけど。ねえ、聞いて。時間がないんだ。議会との掛け合いは私には出来ない。君達がするしかない。父さん達が死んでから、私が捕まった先はブループラネットだ。あそこはもう滅んでる。生きてるのは一部だけだ。磁場嵐の中で、宇宙病Ⅳ型が猛威を振るったんだ。死滅型で菌は残らないけど消えるまで猛威を振るう。あそこにあるのは僅かの人間と、大量の脳だ。ほとんど機械が動いてる。十二人工星が襲われたのは、地球を模した環境づくりに特化した故に出来たレアメタルが必要だったからだ。死んだ人間は蘇生を求めて脳だけ保存され、ほとんどマザーが支配してる。マザーは精神を数値化出来なかった。両親と私はそれを完成させてしまったんだ」

「ユズリハ、待て、待ってくれ……」

「聞くんだ。今の磁場嵐はあいつらが作った巨大なウイルスだ。十二人工星が第二の地球、第八人工星が医療大国、第四人工星が軍事国家、我らが第五人工星は才の宝庫だ。出来るよ、必ずあいつらに勝てる。転移に必要な最後のデータは私がロックをかけた。必ず破壊して。私にはもう出来ない。人が人である以上、この技術もデータも滅びなければならない。兵士はコピーしやすい遺伝子から作った人形だ。命の消費など考えていない。人工星内部にも送り込んでくる。百体送って一体使えればいいくらいしか考えてない。あれは物だ。ルカリアとは全然違う。心が入っていない人形だ。壊すを躊躇わないでくれ」

「待ってくれ、ユズリハ……」


 ユズリハがアクアの頬を張った。


「しっかりしろ! 私達の故郷が滅びるかどうかの瀬戸際だぞ! おじさまがおばさまを犠牲にしてまで守った、私達の星なんだぞ!?」


 今度こそ、アクアの動きは止まった。


「この件に関して、私は君に怨まれるかもしれない。ブループラネットは議会に打診していた。第四人工星とここ、どちらを襲うかをだ。距離は同じ、奴らは真ん中。あの頃の第五人工星の軍事力では太刀打ちできなかった。議会は第四人工星を売ったんだ。こちらからは手出しをしないという条件で、奴らの行動を見逃した。それが、あの頃の議会が下した決断だ」

「あそこには母さん達がいたんだぞ!?」


 第五人工星の議員としては正しかったのかもしれない。だが、第四人工星を見殺しにした所業は人ではない。アクアの父はその議員の一人だ。母がいると分かっていて、幼いウォルターがいると知っていて、そう言ったのであれば夫でも父でも無い。


「本当は、まだ時間があったはずだったんだ。でも、ごめんね、アクア。私の所為なんだ。追われた私が逃げ込んだ先は第四人工星だったんだ。あの星で私は捕まってしまった。おばさま達が人工星を出立する前に。待つ理由がなくなったあいつらは、早々に戦線を開いてしまった。第五人工星との密約を破って」


 目の前が真っ赤になった。何を信じればいいのか分からない。淡々とした母と弟の葬儀。何の感情も浮かばない父の瞳。切々と語られる代表になるための演説。そうだ、どちらにしても事実は変わらない。


「だからなんだ。あいつは母さんとウォルターの死を利用した! それは変わらない!」

「利用しないと死が無駄になってしまうって思ったんだよ!」


 ごつりと額がぶつかる。血を吐くような叫びだった。


「せめてその死を利用しないと、おばさま達は何の為に死んだか分からないって思ってしまったおじさまが正しかったとは言わないけど、それでも、そう思ってしまった気持ちは分かるだろっ!」


 乗りかかるアクアを突き飛ばし、ユズリハは小さなメモリを投げつけた。


「政庁をハックして四年前の議会の様子を抜き取った。第四人工星が襲撃された時のおじさまの顔をしっかり見とけ! あの人は不器用だけど、家族を愛してたって他人の私でも分かることが、どうして君には分からないんだ! この馬鹿! 頑固者!」


 何を考えればいいのか分からない。父が家族を愛していたこと? 認められないと反発する心? ブループラネットが攻めてくること? 第四人工星が落ちた事に父が関係したこと?

 アクアの頬を涙が滑り落ちた。


「ユズリハ、お前、死んだのか…………?」


 感情が麻痺して動かない。アカデミー創設以来の天才と謳われたアクアの脳は、優秀な頭脳を駆使して否定を導き出そうとする。なのに否定するのも自分自身だった。現れた死斑の数も範囲もルカリアより多い。失われた血の気に浮き出た肋骨。何より、死を覚悟した瞳が事実だと告げている。


「どうして、ユズリハ、何でっ…………!」


 叫びだしたいほど感情が揺れ動く。ああ、いっそ狂ってしまいたい。正常に起動した感情はアクアを壊さんばかりに膨れ上がった。


「ねえ、アクア。幸せになって。ね! 一生のお願い!」


 ぴょんっと立ち上がったユズリハは、両手を後ろに組んでにこりと笑う。子どもの頃宿題を強請った時と同じ顔とポーズ。違うのは開きっぱなしだった服から覗く柔らかな身体と、どす黒い死斑。


「……お前の、一生は、何度、あるんだ」


 幾度も返した台詞は、最早癖だ。麻痺した頭でも滑り出せるほど繰り返した結果だ。途切れ途切れでも、息も出来ないほど苦しくて苦しくて堪らずとも、ユズリハが乞うのならアクアは必ず応えた。


「宿題の数だけさ!」


 この返答も何百回聞いたことか。

 もう続かない。その痛みは既に越えたはずだった。引っ越すと聞いた日から努力して築いた理性の盾で。けれどこんな痛みは知らない。越えられるとは思えない。前回の別離を受け入れられたのは再会の誓いがあったからだ。


 目の前で明るく笑う『彼』は『いつも』のように無邪気にアクアを頼るのに、既に失くしているなんて、どうして受け入れられる。


「お願いだよ、アクア。幸せになって。おじさまと仲直りして、自分を蔑ろにしないで。愛して愛されて、誰より幸せになって」

「無理を、言うな」

「お願い。最期のお願い。アクア、私の末期の願い、叶えてくれないかな」

「卑怯だ、お前は!」


 うん、知ってる。ユズリハは楽しそうに笑った。何が楽しいんだと怒れない。笑ってなんていない。それくらい分かる。二人は親友だったのだから。


「君に会えて嬉しい。最期の願いはそれだけだったんだけど、会って欲が出た。アクア、お願いだよ。私の願いを叶えて?」


 思っていたよりずっと華奢な身体を抱きしめる。泣かせてくれる人はもういないのだと気がついた。優しかった夫妻と誰より親しかった友が去り、母が弟が死に父を憎んだ。これ以上の痛みがあるのかと思った。けれど悪夢に果てなど無い。どれだけ覚醒を願っても悪夢は地獄を通り越した。幸運などいらなかった。欲しかったのは、あの日の続きだけだったのに。

 叶わない。

 最早、何一つとしてアクアの手に戻ってくるものはないのだ。




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