15星
ユズリハが潜んでいたのは意外にも一軒家だった。使われていない家なので電気も水道も止まった状態だ。外から見れば人がいる形跡はないだろう。
連絡を受けた通りだが、警戒しながらドアを開けたユズリハは、地面に土下座している二名に度肝を抜かれた。
目立たないようさっさと隊長二名に摘み上げられ、中に放り込まれた二人は、再度土下座した。
「ちょっと何!? アクア!? 君までどうしたの!?」
「悪かった!」
「何が!?」
ホムラにおぶわれたルカリアがからから笑いながら説明すると、ユズリハは胸倉掴んでアクアを引きずり上げる。
「私がそれでいいんだからいいんだよ! 君は何一つ変わらなくていいんだ! 私は君と喧嘩したいんだから。遠慮されるなんて真っ平ごめんだ!」
「そんなわけにいくか!」
「いくんだよ! 大体今更態度変えられたら、それこそ傷つくからな!?」
鼻突きつけあって荒い息をつく二人の横で、レオハルトは途方に暮れていた。
「あの、顔殴ってほんとすみませんでした……って、聞いてねぇだろあんたら!」
「先にお邪魔していましょうか。玄関で騒ぐのも何ですし。暗くなったら明りをつけられないこの家では不便です。明るいうちに話を済ませましょう」
レオハルトを連れてさっさと奥に進んだヒノエに残りも続いた。
がらんと広い部屋には、トランクとバッテリーに繋がったパソコン、後はペットボトルが転がっているだけだった。窓は小さく高い壁に阻まれて明かりがほとんど入らない。昼間なのに薄暗い中で、ディスプレイが青白い光を放っていた。
「簡潔に聞く。俺の部下を助けられるか」
「是か否かで答えるなら、是です」
ルカリアをそっと下ろしたホムラはどっかりと座り込み、弟を支えてエミリアも座る。ユズリハはトランクを開けて中から注射器を取り出した。
「状況を整えられるなら、と、条件がつきますが。ルカリア、痛むから耐えて。何か噛むものを準備して。手も握ってあげたほうがいい」
「それは?」
「細胞活性剤。一時的に寿命を延ばすけど、強引な延命措置だから苦痛が酷い。ルカリア、舌を噛み切るなよ。冗談抜きで内側から焼かれる痛みを味わう。悪いけど三本いく」
普通の注射にしては大きめの投身にレオハルトはごくりと息を飲んだ。針自体は細いが圧迫感が強い。反射的に逃げたルカリアの身体を押さえてユズリハは耳を寄せた。
「…………ショックで死ぬなよ?」
髪に隠れた首筋に自分の肌で見慣れた色を見た気がして顔を上げたルカリアの腕を取って、ユズリハは針を差し込んだ。ビクリと痙攣する身体をアクアとエミリアが全力で押さえた。内側を何かが貫いていく。腕から内側を這い回る悪寒は、すぐに激痛へと変わった。肉が焦げ、抉られる。そんな痛みだった。劇的な速さで内部が組みかえられていく。噛まされたタオルが音を立てて軋む。繋がれた手が折れそうだ。
「ルカリア、耐えろ! それが生にしがみつく痛みだ!」
振り回される頭を固定し、ユズリハは額を付けた。
「大丈夫だ。君は生きる。その為に私はここにいる。助かるよ。助けてみせる。君が生まれを怨むなら苦しめず殺すつもりだった。君を苦しめた人間も一緒に。けれど君は愛されたんだね。名前を貰ったんだね。良かったね。一生大事にするんだよ。作られるだけで殺されていったクローン達が望む事も出来なかった夢の世界にいるんだ。何があっても生を手離しちゃ駄目だ。君の為に泣いてくれる人に報える方法は一つだけなのだから」
もう一本足に刺さる。ルカリアは目を見開いてくぐもった悲鳴を上げた。
「耐えろ! 生きることが君の救いだ! 報える唯一だ! 痛いだろう。苦しいだろう。けど、生まれてきて良かっただろう!? ……そう思ってくれるなら、父さん達も救われる。頑張れ、ルカリア。君は私の弟でもあるんだ。父さんはきっと悩んだ。死ぬほど悩んだ。けれど、生きている君を殺すことが出来なかったんだ。君が幸せになれる万に一つに賭けて、そして賭けに勝ったんだ。お願いだ、ルカリア、私の両親を救ってくれ……」
最後は首だ。固定された場所に躊躇いなく突き刺した。ほとんど意識のなくなった身体は、それでも苦痛に反応した。
「ごめん、ごめんね、あんなもの作ってごめん。全部私らの所為だ。生まれてきた君には何の罪も無い……ごめん、ごめんなさい……」
痙攣する頭を抱きかかえ、ユズリハは謝り続けた。彼は本当ならこんな痛みを知らなくてよかった。そのかわり愛される喜びも知らなかった。何が正しかったのかなんてユズリハにはもう分からない。
雛が親鳥の後をついていく微笑ましい様を再現したくて作られた追尾装置がミサイルの弾頭につくのだ。目的はどうあれ、用途は使う人間が決める。病に苦しむ患者を救いたい。そう願った両親の形が、結果的に悪魔の所業を手伝った。移植手術に耐えられない幼子の命を救えると笑った両親が悪魔となったのだ。善意で作る者は悪意に気づけない。よくよく考えれば分かったのに。単純に作ればクローンより早く成人する。運動神経の良い人間を大量に作れば、一部麻痺させ感情のない人形を大量に並べれば、恐ろしい軍隊が出来上がる。肉体を打ち込んだデータで作り上げる機械だ。どうとでもいじることが出来る。正に、悪魔の所業。神の領域に手を出した両親は罰せられ、死んだ。ならばこの身も同罪だ。
『贖え!』
少女の悲鳴が蘇る。幼い身を憎悪に染め上げ、泣き腫らした目でユズリハを責め立てた。
『この先一瞬でも幸福を味わうな! 贖って贖って、そして死ね! 苦しみぬいて、この世の不幸を一身に背負って、その生すべてを贖いで終われ!』
無論そのつもりだと、ユズリハは答えた。
アクアについていた監視はゴルトアの隊が引きつけてくれた。何も知らぬ振りをして背中をぶっ叩き、酒を飲みに行こうと強引に引っぱっていった。痛みに星を飛ばしていた彼に心底同情する。そして多分、その酒は彼の奢りとなる。……冥福を。
明日から忙しくなるだろう。神の卵は現在もユーラ家が確保している。ユズリハが備えたロックが数年経った今でも解除できないでいるのだ。ユズリハは訂正を入れた。神の卵なんて物騒な名前じゃない。人工臓器生成機器。本当はそんな事務的な名前の医療機器だった。奪った人間が勝手に神格化しただけで。
ルカリアを救う為には細胞を設定し直す必要がある。細胞活性剤を臨時措置として作り、どうしたって長くは保たない身体を留める研究を、ユズリハはずっとしてきた。
「ルカリアはこの先、一生家族を作ることは出来ない。行為はできるけど子どもは望めない。エミリア、それを踏まえて、彼を頼みたい。私が出来るのは彼を生かすだけだ。その後のことは君達に任せるしかない。頼んでいいだろうか。君に責はない。勝手で酷いことだと自覚はある。けれど一生を懸けて彼を幸せにしてもらえないだろうか。少なくとも彼が一人で生きられるようになるまでは、君の生を犠牲にしても傍にいてほしい」
パソコンを叩き続けるユズリハの言葉に、エミリアは強く頷いた。元よりそのつもりだ。
中身は全部お前の物だ。朗らかに笑う両親に絶望した。生まれて一年にも満たぬ幼子が言葉を解すその前で、当たり前のように言い切った。話し相手がいなくて寂しいだろうと、両親は彼をエミリアの傍に置いた。どんな神経だと嫌悪した。その内、ルカリアはエミリアを真似し始めた。喋り方から首の傾げ方まで、一挙一動同じになった。彼の生き物としての本能は生き残る術を見出したのだ。それを醜悪だと怒る気にはなれなかった。嫌悪すら沸かない。寧ろ彼の行動こそが怒りだと理解した。意図に気付いた後も、エミリアは彼を止めようとは思わなかった。
激怒したのは両親だ。用済みを生かしてやった恩も忘れてと怒り狂い、二度とそんな事を考えられないように見分けをつける、その為に片耳を切り落とすと言い出した。首じゃないだけ感謝しろと、鬼のような顔で鬼みたいなことを言った。耳ならば髪で隠せるからと、この期に及んで己の保身を恥ずかしげもなく。見分けがつかないのならばつけられるよう努力するのではなく、お前が身体を欠けさせろと言い切った。
見分けのつかない状態を忌々しげに見つめ、さあ頭を出せと両親は言った。ルカリアが唯々諾々と従い、耳を切り落とさせるために前に出ると信じ切った声で。
一歩踏み出したのはエミリアだった。大きな目が飛びださんばかりに見開き、金切声の悲鳴を上げたルカリアが止めなければ、今頃耳を失っていただろう。両親は気づかなかった。エミリアはそれを知っていた。だから、ならば、どっちがどっちでもいいではないか。そう思ったのだ。エミリアがスペアとなりルカリアを生かしたっていいではないか。どうせ両親は気づかない。そうしていつか血が途絶え終わる日が来ても、どうせ終わるはずだった命だ。こんな血は滅びてしまえばいい。医に携わる者でありながら命を蔑ろにし、医療技術を、知識を、そうして得た全てを己が欲にしか使わない奴らの血など滅びてしまえ。そうしたら地獄の底からざまぁみろと笑ってやる。ルカリアだけが天国からそれを見ていればいいのだ。
エミリアは心の底からそう思って一歩踏み出した。ルカリアがそれを止めてしまったけれど、止めなければ自ら耳を切り落としただろう。
ルカリアの耳を切るなら僕が首を切る。エミリアは奪い取ったナイフを首に突きつけて両親を脅した。首からは本気を示す血の筋が幾本も流れていた。両親を脅し返して、エミリアはルカリアを連れて家を出た。
それからだ。庇護を求める子どもの如く、絶対の心服を持って追う雛鳥の如く、ルカリアはエミリアの後を追い始めた。真似ることはなくなったが、傍から離れることもなくなった。
家具もなく広々としたリビングでぼそぼそと会話がされている中、ルカリアは皆の上着に包まっていた。調子は随分いい。痛みと引き換えにするだけある。なのに全員から寝ていろと一喝されているから起きられない。不満はあったが涙を溜めてエミリアが乞えば、彼に抗うすべはなかった。
隊長達と話し合っているアクアの袖を引く。何だと開きかけた口を、自らの唇に指を当てることで閉ざす。意図を汲んで、ホムラに一言断ったアクアは顔を近付けてくれた。
「一つ、気になることがあるんすけど……」
示された内容に、ルカリアよりも血の気を無くしたアクアは立ち上がった。