14星
円卓に囲まれて、アクアは一人立っていた。両手を後ろで組み、背を伸ばす。
背後まで回る円卓は査問にかける相手を追いつめる為だけの物だ。精神攻撃のつもりならふざけている。アクアは内心で吐き捨てた。こんなことで怯むほど、失ったものは小さくない。
「では、ユズリハ・ミスト博士と会ってはいない、と」
「幼い頃別れたきり連絡もありません。お調べになった通り、どのシャトルにも名も姿もなかったと聞きました。私の元に現れるはずもありません」
ユズリハの両親は研究者だ。主に人体について研究していた。その業界では有名な夫婦だったらしい。アクアにとってはユズリハの両親で、母の友人で、自分にも訳隔てなく優しい仲の良いご夫婦だった。
ユズリハが研究者になったなど聞いていない。あれだけ数学も科学も物理も生物も化学も嫌いな彼が、博士。それらが必要なプログラマーとしての才には恵まれていたから本来の意味での不得意ではなかったものの、勉強は大の嫌いだったユズリハ。盛大なドッキリだといわれたほうがまだましだ。
「敵兵の言葉を格納庫中の者が聞いていたぞ」
「妙な進軍だった事を鑑みるに奴らの錯乱か、我々を惑わす為の嘘偽でしょう」
「虚偽であるとの証拠は?」
「私の部屋もお調べになったと思いますが、何かありましたか?」
上層部の象徴ともいえる男達が、一様に渋い顔をした。あるはずがない。ユズリハは既に行方を眩ませていたし、彼ならヘルプのデータ改竄も容易い。多めの食料は休日に後輩を招いたと説明がつく。彼はソファーで生活していたから、寝室の痕跡も無い。荷物は元々トランク一つ。着替えもアクアの物を使っていた。これも後輩に貸したと言えばいい。どこのカメラにも映らず、髪の毛一つ残さず消えたユズリハを追えるものはいないだろう。
「親しかったと聞くが?」
「幼い頃の話です。あの磁場嵐が発生して以来、連絡もつけられませんでした。その内にアドレスも変えてしまいました。今更再会したところで、顔も分かりません」
重圧を与えるため、重々しく紡がれる尋問にもアクアは慣れていた。質は違えど、ガーネッシュの嫡男を見定めようとする視線とよく似ていた。
「神の卵について聞いたことは?」
「ありません。どういった代物なのですか」
「お前には関係のないことだ。では、両親が死んだ後、ユズリハ・ミストがどうしていたのかは全く知らないということか?」
ここで初めてアクアは動揺を見せた。
「夫妻が、亡くなった?」
男が意外そうに眉を上げる。
「おや、知らなかったのかね?」
「そんな……何故! お二人とも!?」
「詳しい話は私も知らぬ。少なくとも数年は前の話だそうだ。その様子なら本当に知らなかったようだな」
間違いを望むは叶わない。
あんな顔をして吐き出された言葉は、同じ痛みを知るからだったのだ。
ああ、ユズリハ、どんな気持ちであの言葉を叩きつけた。泣き虫だった彼が泣かなかったはずがない。アクアは呻くような祈りを飲みこんだ。ああ、誰か傍にいてくれていたらいい。甘ったれで弱虫のくせに、強情っぱりで頑固な彼が誰にも弱さを見せず、大丈夫だと一人で傷を抱えたりしていなければいいが。
「ユズリハは、どうしていたのですか?」
「詳しくは知らんと言うたであろう。浚われたとも自ら行方を眩ませたともあるな。行方知れずということであったが見目麗しい娘だったと聞くからに、どこぞの貴族にでも囲われていたのであろうな。金があれば研究も続けられる。美しく聡明な身寄りのない少女だ。囲う貴族はどこにでもおろうて」
アクアは今度こそ卒倒しそうになった。
「………………は?」
全ての疑問と混乱が詰まった一言を受けた面々は、今のどこに呆然とする要素があったのだと首を傾げた。
査問を終えた後、気がつけば目的地である医務室についているのだから無意識とは凄い。中には二人の隊長とエミリア、レオハルト。そしてベッドに横たわったルカリアが眠っていた。
アクアが入ると同時に、ホムラがよぅと片手を上げる。
「医師は『急な腹痛に襲われて』しばらく喫煙ルームから戻ってこられない。カメラは『局地的磁場嵐』に見舞われてしばらく一時間前の部屋の様子を映してる。アクア、座れ」
末席に腰を下ろして、一つ息を吐いて切り替える。何時までも散らかった頭のままでいられない。
「結論から言おう。ルカリアは死に掛けている。体中に死斑があった。最近は身体が上手く動かなかったはずだ。寧ろ、この状態であれだけ出来たのは意地だろう。エミリア説明してくれ。これは一体どういうことなんだ」
動かない弟の手に額をつけたエミリアも動かない。緩慢な動作で顔を上げる。表情が削げ落ちていて、見る者がぞくりとする顔だった。一時でも手を離せば弟が死んでしまうと思っているのか、手は離れない。
「……全て他言無用であり、破られる場合は僕が貴方々の命を奪うと了承して頂けますか」
「無論だ」
ようやく瞳がルカリア以外を捉えた。
「事の始まりは僕が生まれた時まで遡ります。僕は宇宙病Ⅶ型でした。母はもう子どもを望めなかった。生殖機能における移植は違法のクローンでも成功していない。唯一の跡取りを無くすまいと両親は必死でした。民間療法から新興宗教まで、縋れるものは全て試した。それでも結果は変わらない。僕はほとんど公の場に出る事はありませんでした」
「待ってください。唯一なのは何故です。ルカリアに相続権はなかったのですか?」
「ルカリアにはユーラ家に関する一切の権限がありません。僕が死んだ場合、当主を継ぐのは叔父となります」
叔父夫婦にも子どもがいないが、そうなれば親類から養子を取る。そこまで徹底的に、ルカリアはユーラ家に関する権利がなかった。
「極秘となるのはここからです。僕は十になるまで一人でした。僕に兄弟はいなかったんです。勿論、双子の弟も存在しなかった」
ユーラ家は医療界の一大勢力だ。その子どもが双子となると話題になるはずだ。それなのに一切耳にしなかった。それは何故か。本当は、双子など存在しなかったからだ。
「……神の卵というものをご存知ですか?」
ヒノエは頷いた。
「人体の数値化に成功した機械だと」
「ルカリアは、僕のコピーです」
音をたててイスを蹴倒し、レオハルトは立ち上がった。静かな瞳でそれを見たエミリアは乱れた髪を耳にかけた。左耳の下には黒子があった。黒子の位置まで細密に再現された左右対称は、自然ではない。
「培養されたクローンではありません。僕を数値化して作った完全なる僕のコピーです。コピーといっても弄れる部分は弄り、僕よりよほど優秀な肉体です。クローンでは間に合わなかった。信じられますか? ルカはまだ五歳なんです。幼い言動は仕方がないんです。本当なら、まだ子どもで、いっぱい甘えて愛されなければならないんです。僕の病は進行していて十まで生きられないと言われていた。焦った両親はついに悪魔の領域にまで手を出した。医療器械の研究が盛んだった第八人工星から博士と教授を連れてきた。いいえ、攫ってきたんです。彼らが作り上げた機械と共に」
「まさか……それが、ミスト夫妻か」
「その通りです。夫マバーチェ博士は宇宙病の、妻ユアラ教授は臓器移植の第一人者だった。臓器を数値化してそれだけを作ることができれば生存率は跳ね上がる。元が自分だから拒絶反応も無い。何よりドナーを探す必要もなく、誰も傷つかない。順番も待たなくていい。憐れなクローンを殺して臓器を奪い取る悪行をする必要がなくなる。本当は、善良なる救いの機器だった! 優しい夫妻が優しい気持ちで作り上げた、純粋な医療機器だったんです! …………僕の病気は進行し過ぎていた。クローンが出来るまでに三年。それさえ待てないほど蝕まれていた……残り二年が限界でした。それでさえ生きたと言われるほうで、僕の病は全身に渡っていた。もう、健康な身体へ脳を移植するしか手が無かった」
全身の機能が少しずつ動きを止めていく。何の不備も見られないのに働かない。緩やかな死を、エミリアはただ待っていた。
「クローンは元々寿命が少ない。奇跡的に脳の移植に成功しても先は見えていました。焦った両親はミスト夫妻と神の卵を奪った。二人は抗ったそうです。抗って抗って……まず殺されたのは教授でした。次は第八人工星に残った娘だと脅され、博士はルカリアを作り上げました。決して次がないように、彼の娘が組み上げた複雑なロックをかけて。案の定次をと望まれた博士は、今度は頷かなかった。彼もまた、殺されました。残された娘さんがどうなったかは分かりません。ただ、博士が殺された次の日、宇宙病の新薬が発表されました。僕の病、Ⅶ型のワクチンです。そこに彼らの娘が協力していたんです。彼女はプログラマーだと聞きました。専門外で偉業を成し遂げ、そうまでして助けたかった夫妻は既に亡い。両親は……いいえ、僕は、許されない罪を犯したんです」
項垂れたエミリアの腕を誰かが掴んだ。弱々しい力にエミリアははっとなる。
「エミは、何も知らなかったんだ。不要となった僕を生かす為に命を絶とうとすらした……駄目だよ、エミ。僕の中には君に渡すはずだった物が入っている。けれど君は、僕の所為で何一つ失ってはいけないんだ。軍人なんてなってはいけなかったんだ」
「馬鹿を言え! 誰がなんと言おうが、お前がどう思おうが、お前は僕の弟だ! そして僕は兄だ! ……ルカ、二人でどこか静かな場所で暮らそう? 二人で、一緒に。どこがいい? お前は海が好きだから、どこか、湖や川沿いがいいよね。人工星にも海があったらよかったんだけど……でも、海の本をもっとたくさん買って、映像も揃えよう。ねえ、ルカ」
指を絡めて微笑む兄に嬉しそうに笑って、ルカリアは首を振った。
「ごめん、エミリア。僕はここが好きなんだ。ユーラ夫妻は僕をここに捻じ込んだけど、エミは死に物狂いで勉強して、学校なんて通ったことなかったのに卒業して、一緒にアカデミーに入ってくれた。ここでたくさんの人間を見たよ。たくさんの人間が、君がくれたこの名を呼んだ。泣かないで、エミリア。僕は幸せなんだ。ここしか僕は知らない。けれど、それでいいんだ。ここが僕の世界だ。ここから始まってここで終わる。でも、ここには君がいる。君も先輩も隊長も、うるさいけどレオも。ここにしかない僕の世界はこんなにも彩られて、美しいだろう? 幸せじゃないか。こんなにも鮮やかな人生が他にあるのだろうか」
「馬鹿っ、馬鹿を、言うな。もっとたくさんあるんだ。お前は皆に愛されて、もっともっと笑って、楽しくて、もっと、もっといっぱいっ……!」
泣き始めた兄の肩を抱いて、ルカリアは穏やかに笑った。死斑は指先にまで及んでいる。もう長くない。そう思いながら意外と保った。充分だ。充分すぎる人生だった。
どす黒く重なった紫色の染み。生者に死斑は現れない。死斑を浮かばせて生きていられる命……否、生きているのに死んでいる命など、自分と同じく紛い物の身体を持った者だけだろう。
死斑の浮いた指の隙間から見える顔に苦笑する。
「泣くなよ、レオ。お前がしおらしいと気持ち悪い」
「ばか、ばかやろうっ……! お前こそなんで、そんな、悟ったみたいな顔してんじゃねぇよ!」
「お前が泣くなんて思わなかった。お前としてたあれは喧嘩ってやつなんだろう? 喧嘩は仲が悪い奴がやるんだろう? だから、泣くなんて思わなかった。面白いな、人って」
「ばかやろう! 喧嘩するほど仲が良いって諺もしらねぇのかよ!」
「お前に教えられたら、僕はお終いだ」
「こんな時まで減らず口……ばかやろう……」
最後は嗚咽で掻き消された。崩れ落ちた身体をヒノエが支える。
「……助かる方法はないのか?」
「ありません。博士は元々、長く生きるよう設定しませんでしたから。必要のなくなった身体をユーラ夫妻は廃棄を申し立てたけれど、完成した僕を博士は生かした。酷い矛盾だ」
「万に一つも、か?」
あれば縋ってやる。ホムラはそう言っているのだ。ルカリアは嬉しそうに笑った。愛されることが極端に少なかった幼子は、今、一生分の愛を受けているのだ。
「ミスト夫妻の娘がいればもしかするかもしれませんが、行方知れずですし。そもそも出来るかどうかも分かりません。研究は主に夫妻が行なっていたようで、彼女自身は協力していたものの医療は専門外だったと聞きました」
「アクア!」
突然びりりと響いた怒声に、反射的に部下達は姿勢を正した。
「お前、どうして査問に呼ばれた」
「ご想像の通りです」
「連絡は」
「取れます。ですが、俺には監視がつくかもしれません」
「こっちで何とかする。分かってると思うが悟られるなよ。お前のことだから大丈夫だと思うが。そこの端末使え。ここの医者、昔やんちゃで、セキュリティは軍より固いからな」
アクアはすぐにパソコンに向かった。
「おい、アクア…………先輩!」
「嫌なら無理に呼ばなくていいんだぞ?」
「うるせぇっ…………何やってんだよ。連絡って、誰に?」
軽い音がしてメールの着信を伝える。返答が早い。向こうも待っていたのだ。
本来ならば一筋の希望であるその着信に、アクアはぐったりと頭を抱える。
「……ああ、そうだ。レオハルト。お前も謝る言葉考えておけ」
「はあ!?」
「…………落ち込んでるんだ。あまり言及してくれるな」