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 次の日、それぞれの隊長に渡す土産と久しぶりの買い物に出かけた四人に、ユズリハは仕事を理由に付き合わなかった。四人はその晩にスザクに戻った。朝一で行く手もあったが、出来るなら余裕を持って出勤したい。スザクにもそれぞれ部屋がある。眠るには困らない。

 ユズリハはにこにこ笑って見送った。


 教えておいた電話番号が利用されたのは、四日目の真夜中だった。夜勤だったアクアはパイロット控え室で待機中にその電話を取った。周りには誰もいない。同じ隊のメンバーはまだシミュレーションでノルマを達成していない。一発で特Sを叩き出したアクアだけが終了している。いつもなら二番目に上がるルカリアも現れない。最近調子が悪いようでよく的を外す。最も彼はエミリアが達成するまで現れないが。



「ユズリハ? どうしたんだ」


 まだ寝ていなかったのかと嘆息する。いい加減ソファー以外で寝ろといっても背後の景色はリビングのままだ。目の下の隈は眠っていないことを証明している。仕事が忙しいのはいいことだが、身体を壊しては意味がない。


『アクア。ねえ、私さ、風邪引いちゃったみたいで、明日病院行こうと思うんだ』

「やっぱり引いたか。今晩こそどこでもいいからベッド使え。埃っぽいなら俺の使っていいから」


 ユズリハは白く血の気が引いた顔で、ぺろりと舌を出した。


『注射がさぁ、やなんだよね』

「馬鹿。そんなこと言ってる場合か。まさか、まだ注射が嫌で泣くんじゃないだろうな」

『泣きはしないけど。アクア。励ましてよ』


 ユズリハは、子どもの頃のように照れ笑いしてねだる。

 そんな友に苦笑しながらも、頑張れ、僕がついてる、後で一緒におやつを食べよう。そう励ましてきた。どんなに嫌なことでも、ユズリハはアクアと約束したら頑張った。決して破らなかった。アクアは勇気をくれるといつも言っていた。


「逃げるなよ? 今ちゃんとしてないと後で余計にしんどくなるぞ。ここにはおじさんもおばさんもいないんだし、俺もすぐには帰れない。悪化させる前にちゃんとしてこい」

『そんなの励ましじゃない――!』


 べそべそと愚図る様は子どもの頃のままだ。変わっていないとアクアは額に手を当てた。


『アクア、お願いだよ。君が励ましてくれたら私は頑張れるんだ。いつだってそうだ。君は私に勇気をくれるから! 怖がりの私がお化け屋敷に入れるくらい!』


 怖いんだろうと馬鹿にされ、証明に一人で入ることになったユズリハに頼まれ、アクアは出口で待機していた。頑張れ、僕はここで待ってるから行っておいで。そう励ました。

 ユズリハはちゃんと自分の足で出てきた。アクアを見つけたときの笑顔は忘れられない。





「ちゃんと頑張れたらプリンを買って帰ってやる。元気になって一緒に食べよう。風邪が治ったら一緒に買い物に行かないか? お前と遊ぶのも久しぶりだ。俺は楽しみにしてる」


 だから、頑張ってこい。

 柔らかく押される背中にユズリハは涙を堪えた。うん、頑張る、遅くにごめん。既に日付が変わって三時間は経っている。アクアは仕方がないなと笑って許してくれた。甘えている。彼の信頼に胡坐をかいて凭れきっている。それでもこれは、今のユズリハにとって何より必要なことだった。

 縋りそうになる手と言葉を全力で戒めて、へらりと笑う。


『今日オリビアと遊んだんだ。やっぱりいい子だよ。頬を染めて君のどこが好きか語る様は、ほんと女の子だなぁって思うし。そうだ、今度の休み、また後輩君達連れてきてよ。私、双子ちゃんに聞きたいことがあるんだー』


 都合がつけばと返事を貰って映像が切れた途端、ユズリハの身体は床に崩れ落ちた。携帯が音をたてて滑っていく。がくがくと震える手に握っていた注射器を両手で支える。服を捲り上げた背中はどす黒く変色していた。濃い紫が重なり、とても人の肌とは思えない。震える手で注射器を突き刺し、躊躇う前に一息で注入する。びくりと跳ねた身体を抱え、荒い息で周囲を見つめた。虚ろな視界はまともな情報を伝えてこない。ぼんやり光るディスプレイには大量の名前が綴られている。宇宙病に罹った人間のリストだ。


 宇宙病は人類が宇宙に進出してから発生した病をいう。種類は多々、原因は分かっていない。医療が進み、母親の腹にいる段階で罹りやすい病や障害が分かる昨今でも発見できない。数年前に一つの宇宙病に特効薬が発見された。宇宙病Ⅶ型の特効薬だ。Ⅶ型は、生まれてすぐに発症し、緩やかに臓器が止まっていく病だ。救う術もなく緩やかに死を待つだけの病気だった。

 大量に綴られた名前の一番上には、Ⅶ型の文字が点滅している。その中に一つの名前を見つけて、ユズリハは固く瞳を閉じた。早くしないと間に合わなくなる。

 彼も、自分も、間に合わない。


『お前はどうなんだ。恋人はいないのか?』


 いれば一人で人工星を移動したりしないよと笑って返すと、彼はそれで納得したのか苦笑した。ユズリハは皮膚を食い破って握りしめた腕を、緩慢な動作で害す。血が滲んだ爪が生を伝えて安心した。

 ああ、本当は、君となりたかったんだよ。恋人なんて照れくさくも温かい、そんな新しい関係に君と変わっていきたかったんだ。


「君が好きだよ、アクア……だから、お願い。幸せになって…………お願いだから」


 私以外と幸せになって。


 携帯電話を探り当てて胸に抱きこむ。切れた電話は何の音も伝えない。

 それでも、ユズリハは縋るように額をつける。


「私には、もう、時間がっ…………」


 頑張れ。

 優しい声に縋りつき、気を失うように眠りについた。










 オリビアがこの家に来たのは両手で足りる。その内の三回がユズリハに会う為だった。持参された茶菓子は、ユズリハが入れた紅茶であっという間になくなっていく。


「信じられませんわ。あのアクア様がそんなにお世話焼きさんなんて」

「ほんとほんと。ほっとけば楽なのに、真面目だから関っちゃうんだよねぇ。私はそれをかなり利用してた!」

「酷いわ!」


 全くだ。本当に酷い女だ。彼の友情を利用して胡坐をかいて、迷惑をかけることしかしてこなかった。


「オリビア、君は凄いね。アクアあんなに態度悪いのに怒らないなんて」


 素っ気なく、愛想どころか取り付く島もなかった。オリビアは困った顔で笑った。


「婚約など関係のなかった年齢では誰より優しかったのです。馬鹿にされてきたこの髪を、皆様の前でキャラメル色と仰って褒めてくださった。わたくし、本当に嬉しくて。けれど互いに年齢が上がれば急に冷たくなったのです。それまではオリビアと呼んでくださっていたのよ? けれど、こういうお話しが出始めた頃にミス・ルーネットに変わってしまいましたの。何十件もの打診があってうんざりもしていらっしゃったのでしょう。何より彼は軍に入ることを決めてしまっていました。幸せになる気がないのに無責任に誰かと人生を共にしたりなさらない方ですから」

「それを分かっててアクアを追っかける?」


 美しく感情をのせる瞳が静かにオリビアを見つめた。


「だって、ユズリハ様。わたくし彼が好きですの。好きな人に、幸せを投げ出さないで頂きたいのです。そしてその相手がわたくしでしたら、こんなに嬉しいことはございません」


 彼が優しいことを知っている。ルーネットではなくオリビアとして見てくれた初めての人だった。オリビアは、はたと動きを止めた。彼の友であるユズリハもルーネットの名に触れない。同年代のスクールメイトにするように接してくれる。

 ユズリハはそっと細い指を絡めて、オリビアの手を握った。


「アクアを幸せにしてね。あの馬鹿、格好つけて殉ずるつもりだけど引っ叩いても噛み付いてもいいから止めてね。彼をお願い。幸せにしてあげて。幸せになって。二人で、一緒に。頑固だから中々大変だと思うけど、根本的に優しい人だから本気の君を何時までも冷たく突き放せない。押して押して押して、ちょっと引いて。篭絡してやれ!」


 女の子に言う台詞ではない。女の子が言う台詞でもない。


「あら、アクア様の幸せを願われるのなら、ユズリハ様もいらっしゃらなくては」

「私は友人だから。友人は友の幸せを願うだけ。オリビア、私には無理なんだよ」


 繋いだ手に額をおしつける。整えられた爪が淡い桜色に彩られていて、ああ、女の子だなぁと微笑ましかった。


「アクアを宜しくね、オリビア。私は君達の幸せを心から祈る」


 見えない表情がこんなにも不安だと、オリビアはここにいないアクアを少し恨んだ。彼ならこの人の感情を把握できたのだろうか。『彼』はいつも楽しそうに笑う。小さな子どものように誰もいないのに耳を寄せて、内緒だよと笑う。なのに時折知らない顔をした。短い付き合いだ。知らないのは当然である。だが、オリビアが不安になるのは、自分の人生の中でも見た事のない表情を、彼が浮かべるからだった。




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