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11星

 微かな足音に反応して意識が浮上した。ふわりとしたそれを逃さないようまどろみから抜け出す。執拗に冷やした甲斐あってか他の理由かは定かではないが、思ったより腫れなかった頬に安堵して欠伸をする。

 二つあった顔のどちらかが、これまた欠伸をしながらリビングに現れた。


「おはよう。よく眠れた?」


 相手はがたりと後ずさる。ここで寝ているとは思わなかったのだろう。


「あ、私のことは気にしないで。元々仕事しながら寝ちゃうほうで、ソファーなんてしょっちゅうだから」

「そうっすか。おはようございます」

「言葉遣いからしてルカリア君でよろし?」

「よろし、ですよ」


 冷蔵庫を開けたルカリアはコップ二つにお茶を入れてくれた。礼を言って受け取りながら、まじまじと見つめる。


「ほんとおんなじ顔なんだ。珍しいね、普通大きくなると差が出てくるもんだけど」

「僕はエミリアの為に生まれましたから」


 自信満々に胸を張った耳元に黒子があった。


「おや、情熱的。さぁて、少し早いけどみんな起こしてこようかね。朝ご飯は目玉焼きでいいかな?」

「その前に鍛錬すると思いますよ。僕はエミリアを起こしてくる」

「おや、もう一人は?」

「エミを起こす時に起きない奴は人間じゃありません」


 アクアの目覚めにかかった所要時間三四分。同じタイミングで開いた客室に、ああ、奴の同類だと思ったのは内緒だ。




 軍人四人は庭で鍛錬に精を出していた。さっきまでは常備しているらしいナイフで組み合っていた。一対一でやっていたはずが、いつの間にか一対三になっている。最終的には一のアクアが勝利を上げたことを、朝日を弾いて地面に突き刺さったナイフが教えた。


「あんたの動きはおかしい! どの動きしたらあんた予測できないんだよ!」

「……ユズリハがしなかった動きだな」

「あいつの所為か――!」


 あっという間に格闘に入った四人を眺めながら、サラダを並べる。スープは昨日アクアが作っていたのを温めるだけだ。パンはもう焼いた。卵を取り出していると外が騒がしい。また喧嘩だろうかと放置したが、女の声が混じっていて首を傾げる。大きな窓から庭を覗けば修羅場だった。どういうことなの。今の数分に一体何が。

 窓の一番近くにいた朝焼け色をつつく。反対が人を食った笑みなので、こっちは兄だろう。


「あれは何してるの?」

「えーっと、話せば長いんですけど。あの女性はアクア先輩の婚約者? です」

「ほお。で、何で突っかかられてるのはレオ君なんだい?」

「えーっと、投げ飛ばされて憤慨していたレオの前で先輩に抱きついた彼女に、邪魔だどけブス再戦だ! と言っちゃったからです」


 納得した。だから美少女に平手打ちをくらい、きゃんきゃんと喚かれているわけだ。ブスはいけない。


「い、言うに事欠いてブスとは何事ですか!」

「うるせぇ不器量!」

「不器量!?」


 不器量もいけない。そもそも意味が変わっていない。

 それに彼女はたっぷりとした綺麗な巻き毛の少女で、美しいのと可愛らしいの境目だろう。ユズリハは頬を掻いた。あれが不器量なら、世の女性の大半不器量ということになってしまい、レオハルトが女の敵となってしまう。


「婚約者? ってところはどういうこと?」

「代表は承認、先輩は不承認って事っすね」


 アクアは幸せになる気がないから。ユズリハは嘆息したが、当人は諍いに関らず突き刺さったナイフの手入れに入った。


「で、あれはいつ収まるんだい?」

「関っても面白くないから僕は関りません」


 肩を竦めた弟の横で、兄がぽつりと呟いた。


「お腹空いたなぁ……」

「さあ、解決しよう!」

「おい、弟くん。それでいいのか弟くん。ところで君は化粧は出来る?」


 エプロンを脱ぎながら問う。


「もちろん。何時如何なる時、何がエミの役に立つか分からないので」

「うん、ルカ。どうしてそれが僕の役に立つと思ってしまったのか、後で聞くからね」


 穏やかな笑顔で釘を刺したエミリアは、憤慨する美少女と地団太踏むレオハルトの仲裁に挑戦しに行った。

 応援しつつトランクをひっくり返してワンピースと化粧品を取り出す。何も言っていないのにルカリアは既にポーチを開けて中を確かめていた。


「聞いていいですか?」

「ん――? あれ、マスカラがない……どこ突っ込んだかな」


 マスカラはトランクの底に永住する気だ。その前にちょっと睫毛と浮気してみない?


「どうして男の振りしてんすか? そしてどうしてあの人はそれに気づかないんですか?」

「女の子はズボンを履かないと信じていたアクアへの応急処置です。まさかここまで継続することになるとは思いませんでした。ついでに君のお兄さんとお友達も気づいてない」

「エミはそこがいいんです。レオはただの馬鹿だ」

「アクアもそこがいいんですぅ。あ、取れた。よろしく――」


 ルカリアは黙々と下地を手に広げて顔に塗りつけ始めた。


「僕だったら早々に言ってしまいますよ」

「ルカ君、想像してみてください。君が女の子だったと過程して、エミ君は君を男と信じてます。男友達っていいなぁ、君がいてよかったと全開の信頼で微笑まれて、裏切れる!?」

「僕はエミに嘘をつきません」


 涙を浮かべた目尻をコットンで拭き取り、エミはのたまった。性転換手術を受けます、その日の内に予約しますと。




 同じ年で気が合うのか、レオハルトとオリビアはまだがなり合っている。アクアは四本とも磨き上げたナイフを並べて、満足した。


「アクア様!」


 ついに矛先が回ってきた。あなたに用はありませんわと怒鳴り合いを打ち切られたレオハルトは、怒ろうとしていつの間にか綺麗になったナイフに驚愕していた。


「人工星にいらっしゃるのなら、どうして教えてくださいませんでしたの」

「報告する必要性を感じませんでしたので、ミス・ルーネット」

「オリビアとお呼びくださいと、わたくし申し上げました」

「必要性を感じません」


 アクアは控えている車に掌を向けた。


「お帰りください。ここは俺のプライベートです。あなたに立ち入る権利は与えられていません」


 にべもなく言い切られ、オリビアはぐっと唇を噛み締めた。


「わたくしはあなたの婚約者です」

「俺は承認した覚えはありません」

「ジェザリオ代表にお許し頂きました」

「俺の選択にあの男の許可が必要なことは、もう無いのですよ、ミス・ルーネット」


 成人した以上、アクアの人生はアクアの意思だけで許される。親の庇護も許可も必要ない。最初にその権利を放棄したのは父のほうだった。


「お帰りください。そしてあなたのお父上に伝えてください。俺はガーネッシュ家を継ぐ気も、父の仕事を手伝う気も無いと。建設的な話は何も出来ません」


 表情を失った顔にオリビアはぐっと喉を鳴らした。普通の子女ならばここで泣き帰るだろう。悲しいかな、慣れてしまったオリビアは踏みとどまった。背を向けたアクアの腕を取り、無理矢理口付けを迫る。軍人である彼は冷静にオリビアの身体を留めた。傷まない程度に抑えられた腕が憎い。滲む涙を予想してそれ用の化粧にしてきて正解だった。


「アクア、朝食が出来たよ。ご飯にしない? それともシャワーが先?」


 心なしふんわりとした声に振り向いたアクアは、そのまま固まった。

 適度に胸を隠した白いカーディガンに水色のワンピースは軽やかで、ユズリハが歩くたびに形いい足を演出する。大きな目が感情を移してぱちりと笑う。派手でなく、元々整っていた造形を助けるだけの化粧は、見事に可憐さを演出していた。


「お…………まえ、何やって!」


 更新に失敗しました。再起動します。そんなメッセージが流れていた端整な顔に、一気に感情が戻った。せっかくの再起動は、キーボードとばかり戯れる細い指に塞がれる。


「お友達も、良かったら朝ご飯一緒に食べていきませんか?」


 薄く塗られた淡色の口紅がやけに愛らしい。


「あ、あなた、どなたですの!?」

「ユズリハです。アクアと一緒に暮らしてます! さあさあ、アクア! ご飯にする? お風呂にする? それとも」


 続く言葉にオリビアは息を飲んだ。


「トイレ?」


 予想に反して色気の欠片もなかった。





 テーブルは六人で座ってもまだ席が余る。ユズリハは一皿ずつ目玉焼きを配った。


「えーと、エミ君がマヨネーズで、ルカ君が醤油、レオ君がソースだったよね? オリビアさんはどうします?」

「…………レモンですわ。それよりあなた、アクア様の分が最後とはどういう了見ですの」


 オリビアの目玉焼きにレモンを絞ったユズリハは、何もかかっていない目玉焼きを二皿持って席に着いた。


「アクアは塩コショウっと」

「お前はケチャップだったな」

「うん。かけて――」

「何を書いてほしいんだ。というか、お前まだその癖直ってないのか」

「楽しいじゃない。ユズリハって漢字で書いて――」

「名前は仕方がないけど、お前いつも画数多いの選ぶよな」


 昔とある国で使われていた文字を、先が細いケチャップで見事書ききったアクアに拍手が起こった。




 食事が終わり、男勢は階を分かれてシャワーに向かった。食器を片付けていたユズリハの後ろに気配が立つ。白い指が伸びて少し癖のある髪を握った。


「みぎゃ!?」

「きゃ! 変な声を出さないで下さい!」


 オリビアは、今度はおずおずと黄昏色の髪を掬った。


「これは、染めていますの?」

「え? 地毛だよ」

「……これはアクア様がお好きですの?」

「う――ん? まあ、特に言われたことはないから、嫌いじゃないんじゃないかなとしか」


 輝く髪を神妙な様子で見つめていたオリビアは、たっぷりとした自分の巻き毛を掴んだ。


「……染めたら少しはマシかしら」

「染めるの? キャラメルみたいで美味しそうなのに」


 黄土色より軽いふんわりとした髪はおいしそうだ。

 オリビアは目を丸くした。それだけで随分幼く見えた。


「泥のようとは言われて参りましたけれど、お菓子に例えて言ってくださったのは二人目ですわ。もちろん、一人目はアクア様です」

「あ、だからアクアが好きなの?」


 ぼんっと音が鳴ったかと思った。全身真っ赤になったオリビアに驚愕したユズリハはほんの一瞬瞳を伏せたが、すぐにぱっと笑顔になる。


「なんだ! 本当に好きだったんだ。じゃあ悪いことしちゃったかな。あのね、オリビア。私、実は男なんだ」


 カミングアウトにオリビアはついていけない。さっきのアクアみたいに再起動中だ。


「……………………なんですって?」

「だーかーらー、私、幼馴染の男の子。OK? いやぁ、てっきりアクアよりガーネッシュが好きな女の子だと。アクアの周りはそんなのばっかだったからさ。悪いと思いつつ試しちゃって。ごめんごめん。男の熱き友情だと思って許してくれる?」


 けらけらと笑うユズリハの頬に平手が飛んだ。先日殴られた頬とは反対だったことが救いだった。




「で、そういう場合の攻略方法はだね」


 下りてきたアクアが見たのは、食器洗浄機の前に座って話し込んでいる二人だった。オリビアは熱心にメモを取っている。


「勉強になりましたわ。今日はこれでお暇致します。その……また会ってくださいます?」

「うん、近い内に。連絡先教えてよ」


 床に座り込んでいたことに気づいたオリビアは、少し恥ずかしそうに立ち上がって背筋を伸ばした。


「早くからお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。つい気が逸ってしまいました」


 オリビアはワンピースの裾を握った。


「あなたの迷惑を顧みない行為だったと反省しております。今後気をつけますので、その……どうか嫌わないでください」

「ミス・ルーネット?」


 肌を真っ赤に染め上げて一礼し、車に向かったオリビアは乗り込む寸前一度だけ振り向き、深く頭を下げた。呆然と見送ったアクアは、両手に顎を乗せている幼馴染を見下ろす。その格好は何だと問い詰めるつもりだったが、議題は変わった。


「お前、何言った?」

「さあ? いい子だったから、親友としてちょっと応援を」


 勢いをつけて立ち上がり、ユズリハはアクアに飛びつく。子どもの頃から良く飛びついてきた。一歩足をずらしただけで受け止められたが、柔らかい身体にぎょっとする。昔は同じ体格だったのに、随分差が開いてしまっていた。支える為に回した腕の中にいる身体は足がついていない。首にかじりつくようにしがみついている。吐息が直接首にかかってくすぐったい。


「オリビアは本当に君が好きなんだよ。ガーネッシュじゃなくて、君が好きなんだ。泥みたいって言われてた髪を大好きなお菓子に例えてくれたことが本当に嬉しかったんだって。ねえ、アクア。あの娘にしなよ。ああいう娘と幸せになりなよ。健気で優しい、いい子だよ。素直だし、真っ赤になって可愛いったら」

「余計な世話だ」

「アクア、私は君に幸せになってほしいんだ。ガーネッシュの名に縛られたくないと言いながら、がんじがらめじゃないか。勝手に幸せになるのが一番縛られてないんだよ。人は一人で生きてはいけないんだ。ううん、一人で生きてはならないんだ。アクア、お願いだ。幸せになって。一生のお願いだから」


 アクアは肩を竦めた。宿題で困るたびに聞いた言葉だ。


「お前の一生は何度あるんだ?」

「宿題の数だけさ!」


 しがみつく身体を無理矢理離す。華奢な身体は抵抗しなかった。くるりと回って笑う。


「ね、アクア、可愛い?」

「言われて嬉しいのか?」

「うん。誰より、君に言われたら嬉しい」

「じゃあ可愛い可愛い」


 心が篭ってないなぁと笑って、ユズリハは着替えてきた。いつもの格好に戻ってほっとする。少しだけ勿体ないと思った自分が、アクアは不思議だった。


「そんなに言うなら、お前が付き合えばいいだろう。人のことばかり言ってないで」


 何気なく言うと、ユズリハはアクアも知らない顔で笑った。






 開いたトランクを見下ろして、ユズリハは瞳を閉ざす。

 丁寧に畳まれたワンピース。お披露目の場にたどり着けなかったミュール。永住するマスカラ。

 もう二度と出てこなくていいよ。二度と出番はないから、さようなら。

 苦笑しながら痛む胸を押さえる。

 君もだよ。ずっとずっと抱えてきた、大切な恋心。ユズリハの最後の心。


「一緒にしまってしまえたらよかったのにね」 


 持ち上げた痩せた腕から袖がずり落ちた。裾を無理やり指先まで引っ張ったユズリハは、その手でトランクを閉める。がちゃりと容器が揺れた音がしたが、何の反応も示さず部屋を後にした。




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