1星
「むかし、青い星の東にあった国では、プラネットを惑星といったんだって」
物知りの幼馴染が、誕生日に両親から贈られた珍しい紙媒体の厚い本を見ながら言った。
後ろから凭れる形で覗き込むと、いつもなら重たいと怒られるが、今日の彼は色鮮やかな星に夢中だった。立体映像で見たほうが綺麗なんじゃないのかと思うが、彼は紙媒体が好きだから言わない。
代わりに別の事を口にする。
「わくせい?」
「そう。惑う星と書くんだって」
「むかしの人は大変だね」
「どうして?」
「だってアクアがいないんだもの」
アクアはきょとりと首を傾げた。
「どこに行きたいか分からないから惑うんだよ。私にはアクアがいるもの。私の行きたい先はアクア! ほら、解決!」
「じゃあ、僕の行きたい先はユズリハだ。どれだけ迷っても惑ったりしないよ」
それは、ずっとこのまま大きくなっていくのだと信じていた、幼い頃の夢物語だった。
人類が、自ら壊した青の星から逃げ出した時から宙歴は始まった。枯渇するほど貪りつくした惑星は人類の住める場所を激減した為、故郷を捨てて宇宙へと旅立つしかなくなったのだ。
そうして、四百もの年月が過ぎた。
現在人類は、第十三宙域まで区分された中で生活している。巨大人工星が浮かぶそれぞれの宙域は近い場所もあれば遠く離れた場所もある。巨大な人工星を作るスペースの確保は、いかに広い宇宙と言えど、あの頃の人間の力ではそう多くはなかった。今でも自然発生する磁場嵐に頭を悩ませている。磁場嵐が発生すればコンピューターが一切役に立たなくなり、通信も不可能となってしまう。様々な分野の研究者によって長い間対策が練られていたが、未だ磁場嵐が発生した宙域には立ち入らない事しか対処策がない。
最初に作られ、最も大きく定住者の多い第一宙域多民族型共有人工星を中心とした、第三、第九、第十一宙域連合が最も大きな集まりだ。これらは比較的近い位置に密集している。しかしそれ以外の広い宇宙に広がった人工星は、各々で独自的な発展を遂げ、さながら国のようだった。多民族型人工星でありながら、やはり人は自らの領分を定め、他者を排除する。最低限作られた条約、他人工星を侵略しないとの規約すらも、二年前に破られてしまった。
巨大な磁場嵐に襲われて数年連絡も立ち入りも叶わなくなっていた第七人工星が、何の宣言も無いままに第二の地球と呼ばれていた第十二人工星を襲撃した。第十二人工星はそのまま吸収された形となりその名を失った。第七人工星は自らをブループラネットと名乗り、他人工星に従属を求め始める。
声明は『母星に帰ろう』ただ一つだ。
連合は青き星を自らのみで抱え込んでいる。母星の環境は改善され、連合は自分達だけがその恩恵に預かろうと事実を隠している。
そう言い連ねるブループラネットに、連合は当然の如く声明を否定。問題は、連合が鼻で笑った声明を信じた人間が意外と多かったことだ。
肯定はないが否定もしきれない現状で、遥か昔に失った母なる星への愛着は、星を壊した過去人よりよほど強かったのである。連合まで遠い宙域では、連合が青き故郷を独占しているか否かを肉眼で確認する術がない。幾ら母星は変わらず砂色に染まっていると画像が送られてきても、人は結局己が信じたいものしか信じない。信じたい言葉しか捉えない。
ブループラネット。青き星に帰ろう。
母なる星がその色を失ったからこそ人類は宙に生きているというのに、一体何の喜劇か。そう笑う人もいた。そちらが大半だ。だが、そうでない人間の数は、決して無視できるものではなかった。
軍事力の発展よりも、化学力の向上に勤めていた全人工星は急遽軍を編成し、ブループラネットを攻撃した。だが、既に軍事力を極め、生命線として自然形態農業人工星を乗っ取った相手を前に敗退した。往来の戦闘機より大幅に攻撃力を増した破壊特化型戦闘機の威力は絶大で、飛行特化型戦闘機の火力での破壊は困難を極めたのだ。
人工星ごと移動を開始して十二人工星を奪ったブループラネットは、現在も移動を続けている。元々近い位置にあったとはいえ、四年以上かけ十二人工星との距離をなくしたブループラネットは、今も移動し続けていた。
それまで宙賊くらいしか相手することのなかった軍隊は、求められるままに肥大化した。
故郷の星を失った人類は、嘗てあった国に囚われることなく、ただの人類として宇宙に進出してきた。だが、結局は別たれた人工星が国となり、領土を求めて戦争が始まった。
激減していた人口が回復を始めて数百年。尊ばれた命は、再び戦争により削られ始めた。
ユズリハの幼馴染は凄い。それはもう凄い。運動神経は頗る良く、手先も大変器用で、苦手といえば口当たりの良い人付き合いくらいのものだ。真面目でスクールの成績は万年トップを突っ走ったし、名家の伝統ある血筋の跡取り一人息子だったし、父親は第五宙域多民族型共有人工星の議員だった。その上顔も極上ときたものだから、神様は三物四物を与えすぎだと、出会って間もない頃、年齢が片手で足りる頃から思っていたものだ。颯爽と歩く美しい顔に凛とした姿勢は、スクールでも憧れの的だった。
ユズリハは彼と同年齢で、母親同士の仲も良かった。当然のように二人は仲の良い友人となった。本当に仲が良かった。
ユズリハ・ミストとアクア・ガーネッシュは、自他共に認める親友だった。
二人の出会いは四歳にまで遡る。アクアは切れ長の目をした美しい母親にそっくりだった。成績も運動神経も素行も良かったが、大人の中でもまれた子どもだったので、少々、訂正しよう、かなり、冷めた子どもだった。第一印象は笑わない子。第一声が、僕に擦り寄っても父さんの恩恵は期待できない、だった。思わず殴ったユズリハを誰が責められようか。何度もいうが二人は四歳だった。
時とは凄いもので、そんな彼が意外と世話焼きだったり、寝起きがものすごく悪かったり、器用なのに人の感情に疎かったりと知っていくうちに、いつの間に唯一無二の親友となっていた。全く、時とは凄いものである。
別離は九歳。ユズリハの両親の都合上、第八人工星への移住が原因だった。出生率は上昇傾向とはいえ、まだまだ少子化の時代、成人は十五歳だ。両親は当然ユズリハを連れていくと決め、泣き喚いてひどく困らせた。移動には三ヶ月かかる。当時の技術で作れる場所から作っていった人工星は、数字が並んでいても位置はばらばらだ。第一人工星から第二人工星など一年かかる。一人暮らしを要求するには親の場所が遠過ぎ、ユズリハは幼すぎた。アクアも口を挟める力も権利もなかった。
結局、再会を誓うことで、二人は別れを受け入れた。
あれから七年。時代は変わり続けていた。
強力な磁場嵐に乗じたブループラネットは第四人工星を襲撃した。第五人工星と並ぶ近さにあった第四人工星は軍事力の強化に努めていた。なればこそ、その誇りが従属を拒んだ。援軍が間に合わぬ勢いでの侵略に、降伏の意を掲げなかった第四人工星は、ブループラネットによる攻撃で。
落ちた。
市民九億七千万の命は一瞬で宇宙に散り、遺体の回収も困難を極めた。宙域はデブリの海と化し、今では宙賊が隠れ蓑にするばかりの死の宙域と成り果てた。
設立から五年かけて編成された連合の大部隊は、磁場の海に阻まれてブループラネットに辿りつく前に進路を戻した。
次なる標的は、第八か第五かと囁かれていた。強力な磁場乱れの向こうを固唾を呑んで見守る。磁場嵐の制御を身につけたのか敵から送り込まれる部隊が時々戦端を開いたが、どちらともいえない進路を警戒しながら、第五人工星は一先ず平穏を保っていた。