メデューサ、コミュ障。目が合わせられない
はじめまして。よろしくお願いします。
他人を石にする。その能力は生まれつきのものだったとはいえ、蛇の頭にイノシシの歯、青銅の手、黄金の翼、とそんな醜い容姿であるメデューサも、かつては誰をもしのぐ美貌の持ち主だった。
しかし、そんな彼女がなぜ今のような、醜く特徴的な姿になったのかといえば、それは想像する以上に、情けない話である。
というのも、メデューサがオリンポス十二神の一柱である女神アテナに、自分の美貌を自慢したところ、嫉妬を抱かれて、他二人の姉妹もろとも、姿が醜くなるという呪いをかけられた。そんなサスペンスドラマのような経緯で、彼女はそのような姿に変貌させられてしまったのだから。
☆
薄暗く、湿った空気が漂う洞窟で、メデューサは先日購入した小説の最新刊を読みふけっていた。
三姉妹の家族を中心としたサスペンスで、彼女の手にした4巻では、なんと隠し子の次男がいたことが発覚する、驚きの展開となっていた。
それは頭上でシャーシャー、と喚く蛇たちの鳴き声すらも、気にならないほどに、彼女を読書へと没頭させた。青銅の手で、紙を傷つけてしまわないよう、丁寧にページをめくりながら、3日ほどかけて読み終えた後、彼女は満足そうに息をついて、ポセイドンから送られてきたサメ柄のソファーに腰を下ろした。
「面白かったわ」
と独り言をつぶやく。一通り読み終えては、誰もいない空間で感嘆を漏らすことが、ここ三年間ほど、彼女の日課であった。
人が怖い、そう思い始めたのは何年前のことだろう。オリンポスの神々でさえ目をむくような勢いで技術を発展させた人類に、今やどんな怪物も歯が立たない。かくいうメデューサも鏡を全身にまとった兵団に、前の住処を追われ、今では愛人のポセイドンに用意してもらった人間界の洞窟で、閉じ困っている始末である。原因は人間であるのにも関わらず、長い間ひきこもっている弊害で、今や天界に住む種族とでさえ、まともな会話をすることができなくなってしまった。
かつて人々に恐れられた怪物メデューサは、今や本格的なヒキコモリになってしまったのである。
☆
「誰かいるか」
そんな声が聞こえてきたのは、メデューサが本を読み終えてから、寝床についた翌日のことだった。
「メデューサに用があるんだが」
渋い男の声だった。メデューサは手元のロウソクに火を灯して、寝ぼけ眼をこする。時計を確認すると、今は午前9時。こんな時間から何の用だろう、と思いながら、出ようか出まいかを考えた末、対応することにした。居留守を使うのはさすがに申し訳ない。そう考えた。
「なんのご用件でしょうか」
洞窟の入り口に向かって叫ぶも、返事が返ってこない。その後なんだか遅れたようなタイミングで「いないのか?」とかみ合わないような答えが返ってきたことから、メデューサは自分の声が相手に届いてないことを悟る。
どうやら長いひきこもり生活で、発する声の大きさも、うまく調節することができなくなってしまったらしい。だるい体を起こしながらベッドを降りて、ネグリジェを身にまとったまま、洞窟の入口へのっそのっそと歩き出す。
洞窟の入り口に近づくにつれ、太陽の日差しが強くなり、非常にまぶしい。何しろ数日ぶりの日光である。直視したら目が潰れてしまいそうだ。
右手で目を隠しながら、入口へたどり着くと、オーブを着た男が一人、視界に入った。黄金の羽にイノシシのような歯。どこか見覚えがあるような姿に、彼女は彼を天界に住む怪物の一種だと認識するも、彼の頭部を見て、一つ違和感を覚える。
「お前がメデューサか」
そう発した彼の頭部には、毛が一切生えていなかった。照りつく太陽の光が、どこか油ぎっしゅな彼の頭皮に反射して、まぶしい。メデューサは視界を右手で隠しているにも関わらず、その頭皮のあまりにもまぶしすぎて、目をぎゅっとつぶる。
「なぜ目を隠しているのだ」
男は不思議そうに言った。
「目を隠していていては、私を石にできないではないか」
「……あなたは石になりたいのですか?」
視界を足元に落としながらも、メデューサはか細い声で答えた。それは小さな声ではあったが、当の能力を持つ本人が言うと、どこか他人を恐怖させる凄みがある。
しかし、「そうだ」と男は特に恐れる様子も見せず、意気揚々と答えた。「私はあなたに石にしてもらいにきたのだ」
「それは珍しいですね。どのようなご事情で?」
「私は今の自分の姿が大変気に入っているのだ。だから、この姿を形に残したい」
言っていることがいまいちよくわからない。それよりも、と少しだけ光に慣れてきた目線を、男の頭皮に移しながら、メデューサは言う。
「失礼ですが、その頭で、そうお思いなのですか?」
「何を言う。むしろこの頭だからだ」
彼は見せつけるように頭部を突き出す。日光が反射して余計にまぶしい。
目を合わせないように、顔をそむけると、男の自信ありげな笑みが視界の切れ端に入った。
「実は、私はとある事情から、変な容姿をしている。見ればわかるかもしれないが。
しかし、その中でも頭部が最も印象的でな。私の一番のコンプレックスだったのだ」
「といいますと?」
「なんだか、髪の性質なのか、うまく整った髪型にできなくてな。まぁ、いわゆる天然パーマみたいなものだな。そこでいっそショートにしてしまおうかとも考えたのだが、これが切ってもすぐに生えてきてしまう」
「なるほど」
「加えて、私はこのように鋭い目つきだろう? おかげで皆私を見るたびにおっかないように逃げて行ってしまうのだ」
それは他の部位が原因ではないだろうか、と思う。数年前ならそれを実際に口にしていたであろうが、延々と語り続ける彼の言葉に、茶々を入れられるほどのコミュニケーション能力など、今の彼女にはなかった。
男は長々と、彼の過ごした苦悩の日々を語ると、最後に言った。
「というわけで、床屋に行って、すべて毛根ごと絶ってもらったのだ」
「……しかし、それがどうしたのですか?」
「さっきも言っただろう。せっかくこの姿になったのだから、永遠のものにしたいのだ。
毛根から立ったとは言え、この先はどうなるかわからない。だが、石になってしまえば、話は別だ」
「つまり、その姿を永遠に保つために、石造になってしまいたい……と?」
男は頷いた。メデューサは呆れて、小さな溜息をつく。
この男はどうやら頭のネジが一本ぬけているらしい。石になってしまうことのデメリットをまったく考えていないのだろうか。だとしたら、とんでもない大間抜けだ。
別にメデューサは、この男が後悔をしようがしまいが知ったことではない。むしろ、引きこもっていた自分がこうやって表まで引っ張りだされたことに関しては、相手を石化してしまいたいほどの煩わしささえ感じる。しかし、彼女は言った。
「残念ですが、私にはあなたのご希望をかなえられそうにありません」
「なぜだ」
「今の私には、人と目が合わせられないのです」
☆
彼女は半年に一度、通販で半年分の食料を一気に注文することで、日々の食事を調達している。しかし、クレジットカードを所持していないため、大抵の品を代引きで済ませていた。
ところが、一年ほど前のある日、ポセイドンから金銭が仕送られてくる前に、注文をした品が届いてしまった。無論、その場で運び屋に、『払う金がないから後日にしてくれ』と伝えればいいだけの話なのだが、二年ほどのヒキコモリ生活で、まとも会話能力を失った彼女に、それをする勇気はない。そこでいっそのこと、運び屋を石にしてしまうことを思いついた。
しかし、いざ運び屋の青年と目を合わせようとしても、彼女にはそれをすることができなかった。
罪悪感があったというわけではない。自分でも理解できないほどの、とてつもない緊張に圧されて、どうしても目線をそらしてしまうのである。結局、彼女は小声でほそぼそと、お金がないことを告げることとなったのだ。
「ふむぅ……」
その事実を告げると、男は困ったように腕を組んで、顔をしかめた。
目が光に大分慣れて、右手で視界を隠す必要はなくなったものの、いかんせん相手を見据える勇気もなく、メデューサは視線を下に落としている。
「それでは困る。私はこの姿を永遠のものにしたいのだ」
「申し訳ありませんが、どうしようもないんです。お引き取りください」
「しかし、そんなに難しいことかね? たったの一回、人と目を合わせるだけだぞ?」
そういわれても、どうしようもない。目を合わせようとすると、鼓動が高まり、息も上がって、ついついそらしてしまうのだ。会話している今でさえ、彼女は少しばかり緊張しているというのに。
そもそも、彼は他の人と比べても、なんだか威圧的な容姿をしている。髪はスキンヘッドで、目もどこか鋭い。特に、その眼には、目力に定評がある彼女でさえも、圧倒されてしまいそうな迫力があるのだ。
「では、こういうのはどうだろう。少しばかり、手荒くなってしまうが、私が両手であなたの顔を抑えるというのは」
「嫌ですよ」
男の手は見るからに硬くて痛そうだ。
「別に、悪いようにはしない。それに私が石になってしまえば、私があなたに危害を加えるような心配もないだろう?」
「しかし、私の顔を手で押さえたまま石になられてしまったら、私があなたから離れることができないじゃありませんか」
「そしたら私の手を壊してしまえばいい」
「あなたはそれでよろしいんですか?」
「もちろんだとも……いや、それでは私が石になる意味が薄れてしまうな。やっぱりだめだ」
久しぶりの立ち話で、メデューサは貧血気味になっていた。体温が下がっていくのを感じながら、なぜ自分がこんなバカげた状況にいるのかを考え始めるようになる。
それにしても、この男は礼儀知らずにもほどがある。くだらない理由で人の家に押しかけた上、こんな長話をさせて。他人の迷惑すらも考慮できないのか。
メデューサは段々と腹が立ってきた。
「もういいですよね。では、私はこれで」
「待ってくれ、お願いだ。頼む」
「待ちませんよ。そもそも、綺麗な姿になったからだなんて……馬鹿らしい」
メデューサがこのような怪物の姿でいるのも、昔、自分の美しさをアテナという神に自慢したら、嫉妬で姉妹三人と共に変身させられてしまったからだ。特に彼の姿が美しいとは思わないが、そのような理由で石になることをせがみに来るなんて、自分への当てつけとしか思えない。
彼女はまくしたてるように続ける。
「私だって、昔は美しかったのよ。なのに、こんな姿にされて――」
「それはアテナという神か」
ふと、彼の口から予想もしない言葉が飛び出して、メデューサは目を見開いた。
その様子を肯定と受け取ったのか、彼は続ける。
「私もそうなのだ。私はかつてアテナと恋人の関係にあった。しかし、私の家系を知った途端、彼女は私をこのような姿にしてしまったのだ」
「家系で……?」
なんて鬼畜の所業だろう。そんな理由で、こんな姿にされてしまうなんて。
いくら嫉妬で人を変貌させるような女神とはいえ、それはあまりにも理不尽だ。
いったいその血筋に、どんな恨みがあったというのだろうか。
「それ以来、私はその姿がいやでいやで仕方がなかった。それからやっと解放されたのだ」
そこで、メデューサは、初めて、男が自分と同じような姿をしていることに気が付いた。青銅の手に黄金の翼、イノシシのような歯並び。もしかしたら、彼が抜き去ったという髪は、蛇だったのではないか。
この男も、かつては自分と同じ状況にあった。けれど、彼はそれを克服することに成功したのだ。ただ引き籠っていたばかりの自分とは違って。
メデューサは自分の考えていたことを恥じた。もしかしたら、自分はただ嫉妬をしていたのかもしれない。納得する美を手に入れたという、彼の喜びに。
「……その通りよ。私もアテナにこんな姿にされたの。だから、あなたの気持ちはわかるわ。
けれど、どうしようもないの。私はどうしても他人と目が合わせられないのよ」
「それはあなたが知らない人と話しているから、緊張しているだけじゃないのか?」
その通りだった。うん、と頷く。
「なぜあなたはひきこもるようになったのだ」
「私って、醜くて、わかりやすい容姿をしているから、人間に簡単にばれてしまうのよ。だから部屋に引きこもっているしかなかったのよ」
「なるほど……それはひどいな。
アテナは本当にひどい奴だ」
彼の同意に、メデューサはうんうんと頷いた。いつの間にか、張り詰めていた緊張の糸は、今やさっぱり解けていた。
「そうなのよ。特にね、あの時は――」
彼らは数分の間、アテナの悪口で盛り上がった。さすがアテナの元彼氏というだけあって、アテナの悪い癖などで話題は大いにヒートアップした。
それは楽しいひと時であった。数年、ひきこもっていた彼女にとっては、久しぶりの歓談であった。かつて住処を追い出される前に、二人の姉妹たちと話し合って以来だった。
そういえば、二人は今頃、どこで何をしているのだろう。もしかして、先日呼んだ小説のように、隠し子である次男の存在が発覚して、なんてもめ事もあったりするのだろうか。
そんなことを考えた。
☆
数分もすると、話題は収まり、彼は突然、元の話題へと方向転換するように言った。
「しかし、それで他人とうまく話せなくなったのはなぜだ?」
男はどうやら、そういった反社会的な状況に陥ったことがないらしい。
それもそうか、とメデューサは思う。彼のように饒舌であれば、どんな相手でも簡単に話すことができるだろう。
それに、彼はそのような姿になっても外へ出ることをやめなかったのだ。臆病にも、部屋に引きこもってしまった自分とは違う。
そう考えると、悲しくなった。このままの自分では、友達など作るに作れない。
「緊張……してしまうのよ。仲の良い人でもなければね」
「なんだ。ならば、もう大丈夫じゃないか」
言葉の意図がわからず、メデューサは首を傾げる。その反動で揺れたせいか、頭上の蛇がシャーと抗議の声を上げるかのように鳴く。
男は言った。
「私たちはすでに仲良くなっている。その証拠に、あなたは敬語でなくなっているではないか」
メデューサは顔を上げた。
それは、盲点を指摘され、意表を突かれたからだった。まだ喜びになり切っていない、不確かな感情と共に、彼女は条件反射的に顔を上げてしまったのである。
無論、顔を上げたその先には、彼女と会話をしている男の顔があり、その顔には目が二つついていた。
メデューサと彼の、目があう。
「あ」
と言う間もなく、男は石になった。
そして、メデューサも石になった。
洞窟の入り口で完成した二つ銅像は、それぞれが驚くような顔をしていて。
まるで、生き別れた兄弟が道端で偶然出会ったかのような光景を、模しているようにも思えた。
☆
「この前来たお客さんの話なんだけどね」
とある床屋の休憩室で、還暦間近の店主が妻と一緒にお茶を飲んでいる。
「なんか、かわいそうだったんだよ。なんでも、家庭の事情でひそかに育てられたとか何とかで。他に三人の兄妹がいるとは知ってはいたんだけど、一度も会えずにいたらしいんだよ」
夫人はその話を聞くと、
「まぁ、隠し子? 今どき、かわいそうにねぇ」
と言って、手元の湯呑から緑茶をすすった。
「そうだねぇ。聞いた話によると、たいそうなべっぴんさんらしくてね。
ホント、いつか会えるといいよ」
店主はそういうと、空になった湯呑を、ちゃぶ台に置いて立ち上がる。
「そんじゃあ、捨ててくる」
そう言って、客の髪や蛇などが入ったごみ袋を捨てに、店の外へと出て行った。
ありがとうございました。よかったらまた読んでいただけると嬉しいです。