六、
「もう日が傾いてきたし、雨も降りそうだ。無理して帰らない方がいいね」
ラソンは空を見上げた。いつ雨が降り出しても不思議ではない。岩屋は雨が入り込まないように入り口から奥に向かって少し高くなっている。しかし、長い時間をかけて出来たひび割れのせいで、雨が降ると水が滴ってくることがあった。
イクイは巫女に憧れていた。ラソンがずっと支えてくれていたのは、好きでいてくれたからだったんだろうか。
私の夢が叶ったら、彼の恋は叶わないって分かってたのに?
食事の用意をしながら、ラソンの横顔をみる。子供の頃からずっと見てきたこの顔の下には、一体いくつの秘密が隠されているのだろう。
年上らしく振る舞えたことなんて一度もなくて、いつも彼が先回りして導いてくれていた。巫女になったら彼を導く立場になれるんだって、妙に誇らしく感じた。
「どうしよう、ラソン」
「大丈夫だよ。ここに泊まるのも初めてじゃないでしょ」
ラソンはイクイにお椀を手渡して、二人の間に石蒸し焼きを置いた。怖いくらいに明るく振る舞うラソンの顔を、イクイはじっと見た。
「私も、ラソンのこと好き」
ラソンは米を吹き出しせき込んだ。あいにく手渡す水が近くにない。背中をさすってやると、呼吸を落ち着けたラソンがその手をしっかりとつかんだ。
「なんでそう流されやすいんだよ!」
「でも、流れた水はもう二度と帰ってこないわ」
とうとう雨がふりだして、二人は外をみた。空の果てまで続く雨雲は、雨がしばらく止みそうにないことを告げていた。
「ほら、神様が怒ってるんだよ」
「そんなの分からないわ。ラソンに神の声は聞えないでしょ?」
「イクイにも聞えないよ」
「それにあなたの言葉に流された訳じゃないもの」
流されてたどり着いた先に、ラソンへの恋があった訳ではない。始めからずっと、自分の思いに気付かない愚かな自分がいただけだ。
洞窟の中に滴ってくる水の音を聞いていると、当然のように岩屋に遊びにきていた子供の頃を思い出す。
「どちらにしろ、そんなの許されざることだ。その気持ちは今ここで、殺して」
好き合っているはずなのに、それは遠回しな拒絶だった。
「あなたは巫女に選ばれたものすら口にしない神意を、軽々しく口にするのね」
残酷なことをいった。
その言葉に突き刺されたラソンは顔をそらした。
物凄く、腹が立った。
気持ちを殺す、それがどんなことか。イクイは巫女で、ラソンの友人で、そして村に生きる人間だ。そんな残酷なことを、軽々しく口に出来る人間になってしまっているというのなら、イクイは友人として巫女として、彼のことを許せない。
「神意をいっているわけじゃない」
「じゃあなぜ? 許すか許さないか、それを決めるのはあなたじゃないし、あなたが私に命令する権利なんてないはずよ。聞くなら、私が神に聞くわ。神が、本当に私とあなたの恋を許さずに、気持ちを殺せと言うならその時に殺すわ!」
「聞けないじゃないか! イクイに神の声は聞えないんでしょ? 僕は待てない。待っていたって、成人したら妻を迎える。巫女は妻に迎えられない」
神は、私たちに三回の巡る季節を与えた。短すぎる、徒に苦しみをのばす猶予を。
神が二人の恋を許してもそれが分かる時、ラソンは別の人間と結ばれている。妻を娶ることを拒めば、村の男になることを拒まれる。
「なら、それなら……、あなたが神守になればいいのよ!!」
ラソンはイクイの目に宿った、生き生きとした光をみた。先ほどまでの思い悩んだ様子はどこへ行ったのだろう。
「は?」
「あなたが神守になればいいわ。そしたら、私が神の声を受け取れるようになるまで、あなたは結婚しなくていいじゃない」
神守とは、巫女と巫女がいる場所を守る戦士のことだ。婚姻を認められていない訳ではないが、一人前の神守となるまでは女性と距離をおく。
口に出せば、ますますそれが名案のように思えてきて、イクイの顔は輝いた。思わず、声も弾む。
「森に籠ってたことも、精神を研ぎすませていたっていえば何とかなるわ」
「そんなことの為に、神守になるなんてどうかしてるよ、冒涜だ」
「でも、命をかけるよりは平和な方法じゃない」
「認めてもらえなかった場合、更に罪が重くなるんじゃないかな」
「そうそう、そうやって私の無茶を止めてる方がいつものあなたらしい」
イクイは子供みたいに笑った。
ラソンは深くため息をついた。
「そうだよ。それで、イクイがいうことを聞いてくれたことなんて一度もないんだ」
「でもおかげさまで最悪は回避してたでしょ」
進むことを、恐れはしない。
降り注ぐ雨が、天の涙なのか慈雨なのか。それすらもまだ分からないのだから。




