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五、

 今まで信じていたものが、音をたてて崩れていく。

 雨が近づいている。湿った重い空気が流れ込んできて、枝葉がざわざわと震えた。普段なら巫女も農民も狩人も雨の備えを始めるが、二人はどちらも動こうとしなかった。

「ラソンでさえ、そんな風に思っているなら、私は一体誰の為に巫女になったの」

「違うよ、イクイ。そういう意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味なの、巫女になった私に会いたくなかったって」

「違うんだよ」

 ラソンが言葉を遮る。曇天を背にして、その姿は暗く沈み表情が読み取れない。ラソンは説明をしようとしていたのかもしれない。しかしイクイは昔からの悪い癖で、感情に火がついたら収まらない。そういう所も、村を支えていく巫女にはふさわしくないといわれたことを、傷みとともに思い出す。

 あの時庇ってくれたラソンの言葉は、もうなんの意味も持たない。

「私が巫女として生きてきた時間も、巫女となるために生きてきた時間も、全部無駄だったの?」 

「そんなこといわないでくれよ」

「いうわよ! あなたの役に立てないなら巫女になった意味がないわ。そう思ったもの」

「やめてイクイ、僕は、僕はイクイが好きなんだよ!」

 ラソンは、口にした後ではっと息を飲んだ。もし言葉に形があったら、彼はそれをすぐに捕まえてもう一度胸の中にしまっただろう。炎の赤い光に照らされていても分かるほどに、その顔が真っ赤になった。

 すぐに理解できなかった言葉がだんだん胸に浸透してくると、イクイも平常心ではいられなかった。

「え、え?」

「なんでもない」

 消えそうな声でラソンがいう。

「やめよう、やめようよこんな話。ほら、米も煮えたし、岩屋に入ろう。雨が降ってくる」

 土をのけて石蒸し焼きをとりだす。

「だめ、もうきいちゃったもの」

 石蒸し焼きは、旨く出来ていた。気が早くていつも少し早くとりだしてしまうイクイだったが、夢中になって話し込んでいる間に結構な時間が経っていたようだ。火傷をしないように、大きな葉を何枚か重ねた上にそれを置いて岩屋を示す。

 己の心が全く定まらないイクイはされるがままだった。なかったことにしないで欲しい。しかしこの話を突き詰めて、二人が幸せになれる予感はしなかった。

「聞いたってしょうがないよ。イクイは、神様と結婚してしまった」

 ラソンは、分かっている。イクイよりもずっと冷静に、自分と巫女という存在について眺めていたのだ。そうやって、自分の恋心を殺してしまうつもりだったんだ。

 巫女は神と婚姻を結んだ身。当然、生身の人間を愛することなど許されない。そんなことをすれば神を裏切ったことになり、首をはねられる。相手の男も同様だ。運がよく命を助かっても、二度と人の社会に戻ることなど出来ない。

 己の身を殺すか、己の心を滅ぼすかその二択しかない。

「ラソン、ごめんね。でも、私」

「だからやめようよ。イクイが巫女になって帰ってくる頃には、ちゃんと僕も一人前の大人なれるようにするから。応援してるよ、ずっと」

 泣きそうな顔で笑うと、イクイを岩屋に押し込む。どんな気持ちで、応援してくれていたのか聞いてみたいけれど、言葉が出てこなかった。

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