四、
ラソンは謝るイクイをみて困った顔をした。落ちていたかわいた小枝を拾って、先端に火をつけては吹き消し煙らせては、手慰みにしている。
「謝ることないよ。むしろ聞えなくてよかった」
「どうしてそんなこというの?」
「神の声を聞いたらイクイは、僕のこと嫌いになるよ」
「ならないわよ」
大婆様なら今すぐに否定してあげる事ができただろう。
ラソンの方が神の声が聞えているみたいな口ぶりだった。巫女になるのは女だが、男に限って、神の声が聞えないということはない。聞える人には聞えるし、聞えない人間には聞えない。信仰心の厚いラソンのことだから、神の声が聴こえていても驚きはしない。
でもそれは私がラソンのを嫌う理由にはならない。
「どうして神の声を聞いたら嫌いになるの。関係ないわ、友だちだもの」
ラソンはそうは思っていないようで、理由も告げずに黙り混んでしまった。彼は心のなかに、決定的な何かしまいこんでいる。
誰にも言えない秘密は釣り針のようなもので、ひき抜こうとすればひどい痛みを伴う。秘密を抱えた彼の胸にはまだ血の滴る鮮やかな傷が残っている。だから怖くて、自分でも触れることができないのだ。
イクイは辛抱強く彼がはなしだすのを待った。
「僕は許されざる人間だ」
ぽつり、とラソンは呟いた。手慰みに使っていた枝を、火の中に投げ込む。否定したかったけれど、まだ彼が背負っていることを何も知らないイクイは、続きを話し出すのを待つしかなかった。
首を振る。固く結んだ手が震えていることに気づいて顔を見ると、死人のように色を失っていた。
「そんなのわからないじゃない」
神意が分かる訳ではないのだから、と言外に含ませた。そうであってほしいという希望も含めて。どうか、彼の役に立てる自分を否定しないで。
「巫女の前でこんなこというのは、馬鹿らしいかも知れないけど、でも……。ああイクイ、君にはいえないよ、こんなこと。僕、矛盾してるんだ。大人のフリしてただけで、本当はすごく幼いんだ」
「実際、成人の儀も終えてないんだもの。子供ってだけで村から出る理由にはならないし、そんな理由であなたがはぐれものになるんなら、私許さないわ」
「でも、僕もう村にいられない。だめだよ」
理由もいわずに首を降り続ける姿は、本当に幼い子供のようだった。途方にくれて、空を見上げる。雲行きが少し怪しくなっていた。雨が降ると帰り道が心配だ。
再会したばかりのときは、知らないうちに大人になってしまったと思っていたのに、昔より子供っぽくなっているなんて。妙に気が抜けてしまって、イクイは少し笑った。そうだ、そもそも自分自身だって、ただ単に友達を助けたくてここまで来たのだ。巫女らしくなんて考えたってしょうがない。自分の言葉で話せばいい。
「ねえ、ラソン。私、昔からバカなことしようとしてその度にあなたに止められてきたでしょ。ちょっと立場違うんじゃない?」
「イクイがくるってわかってたら、こんなことしなかったよ」
いつもの憎まれ口と捕らえてしまえば、それまで。しかしそれは、子供の頃にたくさんした言い争いのような軽い意味合いではなかった。
「巫女になったイクイになんか、会いたくなかった」
息が出来なくなる。ここにいるのはラソンじゃない。ラソンの皮を被った、森の魔物なんだ。そう思い込めたらどんなによかったか。目の前にいるのがラソンであることは疑いようがなく、彼が冗談でそんなことを口にしない人間であることは、誰よりも一番イクイが知っていたのだ。