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拾われた魔女

作者: モーヒアス
掲載日:2026/08/15

# 拾われた魔女の子


 森の奥には、小さな家があります。


 屋根は少し曲がっていて、壁には蔦がたくさん張り付いています。


 窓はひとつだけ。


 庭も、とても小さいです。


 でも。


 私にとっては、大切なおうちでした。


「おはよう」


 朝、目を覚ましたら、まず窓を開けます。


 ひんやりとした森の空気が、部屋の中へ流れ込んできます。


 鳥さんが鳴いています。


 木の葉が風に揺れています。


 遠くから、鹿さんが歩く音も聞こえます。


 私は一人で暮らしています。


 お父さんもいません。


 お母さんもいません。


 いつから一人だったのかは、よく覚えていません。


 でも、困ったことはありませんでした。


 森には食べ物があります。


 薬草もあります。


 雨が降っても、家があります。


 魔法だって使えます。


 だから私は、毎日楽しく暮らしていました。


「今日は何をしようかな」


 籠を持って、森へ出かけます。


 薬草を探したり。


 木の実を拾ったり。


 綺麗な花を眺めたり。


 たまに動物たちと遊んだり。


 そんな毎日です。


 その日も、いつもと同じように森を歩いていました。


 けれど。


 いつもと違う音が聞こえました。


 ドンッ!


「……?」


 地面が揺れました。


 もう一度。


 ドンッ!


 大きな音です。


 鳥たちが一斉に飛び立ちました。


「なに……?」


 私は木の陰から、そっと顔を出しました。


 そして。


「……っ」


 息を呑みました。


 大きな魔物がいました。


 私が見たこともないほど、大きな魔物です。


 鋭い爪。


 大きな牙。


 真っ赤な目。


 魔物は、誰かと戦っていました。


 銀色の鎧を着た男の人です。


 手には剣。


 肩にはマント。


 そして、少し白いものが混じった立派な口髭。


 知らない人でした。


 でも、その人は強かったです。


 魔物が爪を振るたびに、剣で受け止めます。


 何度も。


 何度も。


 けれど。


「ぐっ……」


 男の人の腕から、血が流れました。


「おじさん……」


 思わず声が出ました。


 男の人がこちらを見ます。


「……子供?」


 魔物がこちらを向きました。


 その瞬間。


「下がれ!」


 男の人が私の前に立ちました。


 剣を構えます。


「こいつは俺が引き受ける。お前は逃げろ」


 でも。


 私は怖くて動けませんでした。


 足が震えます。


 魔物が吠えました。


 男の人が剣を握り直します。


「大丈夫だ」


 私を見て言いました。


「俺が守る」


 その言葉を聞いた瞬間。


 少しだけ、怖くなくなりました。


 けれど、男の人の傷はどんどん増えていきます。


 このままでは駄目です。


「おじさん」


「なんだ!」


「こっち!」


「……何?」


「あっちに、おうちあるの!」


 私は指を伸ばしました。


「こっち!」


 男の人は一瞬だけ迷いました。


 でも。


「分かった!」


 私を抱き上げました。


「えっ」


「しっかり掴まっていろ!」


 男の人は走り出しました。


 私を抱えたまま。


 森の中を。


「おじさん、怪我してる」


「大したことはない」


「血が出てるよ」


「……そうだな」


「大したことあるよ」


「……そうかもしれんな」


 私は少しだけ安心しました。


 この人は、ちゃんと痛いって分かってくれる人みたいです。


 私は念の為、こっそり迷いの魔法をかける。


 これで魔物は追ってこないだろう。


 木々の間を抜け、小さな川を越えます。


 その後、大きな岩の横を通ります。


 そして。


「ここ!」


 小さな家が見えました。


 男の人が驚いた顔をします。


「……ここがお前の家か?」


「うん」


「一人で住んでいるのか?」


「うん」


 私は扉を開けました。


「入って」


 男の人を椅子に座らせます。


「怪我、治すから」


「治せるのか?」


「うん」


 薬草を取り出します。


 すり鉢に入れて、細かくします。


 水を少し。


 そして、魔力を流します。


 淡い光が、薬草を包みました。


「痛かったら言ってね」


「分かった」


 傷に薬を塗ります。


 治癒魔法を使います。


 血が止まり。


 傷が少しずつ塞がっていきます。


「……魔法が使えるのか」


「うん」


「そうか」


「怖い?」


「何がだ?」


「魔女」


 男の人は私を見ました。


 しばらく黙ってから。


「お前は俺を助けてくれただろう」


「うん」


「なら、怖がる理由はない」


 私は少しだけ嬉しくなりました。


「変なおじさん」


「そうか?」


「うん」


 男の人が、少しだけ笑いました。


 口髭が、ふわっと動きました。


 なんだか変でした。


 でも。


 嫌な感じではありませんでした。


 傷が治るまで、おじさんには家で休んでもらいました。


 お水をあげました。


 木の実もあげました。


 パンは一枚しかなかったので、半分こしました。


「食べて」


「お前の分は?」


「半分こだから、あるよ」


「そうか」


 おじさんはパンを食べました。


「……美味いな」


「ほんと?」


「ああ」


「よかった」


 それだけなのに。


 なんだか楽しかったです。


 しばらくすると、おじさんは立ち上がりました。


「もう大丈夫そうだ」


「よかった」


「世話になった」


「ううん」


「助かった」


「おじさんも私を助けてくれたから」


「……そうだな」


 おじさんは扉へ向かいました。


「それじゃあな」


「うん」


 私は手を振りました。


「元気でね、おじさん」


「ああ」


 おじさんが森の中へ消えていきます。


 私は姿が見えなくなるまで、手を振っていました。


 そして。


 家の中へ戻りました。


「……静か」


 いつもの家。


 いつもの静けさ。


 なのに。


 今日は少しだけ、寂しく感じました。


 どうしてだろう。


 分かりませんでした。


 次の日から、私はまたいつもの生活に戻りました。


 薬草を集めて。


 ご飯を作って。


 魔法の練習をして。


 夜になったら眠ります。


 でも。


 何日か経った頃。


 コンコン。


「……?」


 扉を叩く音がしました。


 開けてみると。


「あ」


 おじさんが立っていました。


「こんにちは」


「こんにちは」


「近くまで来たからな」


「そうなんだ」


「少し、いいか?」


「うん」


 おじさんが家に入ります。


 街のお菓子を持っていました。


「これを」


「お菓子?」


「ああ」


「私に?」


「ああ」


「ありがとう!」


 私は嬉しくなりました。


 二人でお茶を飲みました。


 おじさんは、森の話を聞いてくれました。


 私は、おじさんの騎士のお仕事の話を聞きました。


 楽しかったです。


 それから。


 おじさんは、時々来るようになりました。


 薬草を持ってきてくれる日もありました。


 パンを持ってきてくれる日もありました。


 街で見つけた本を持ってきてくれることもありました。


「これ、読めるか?」


「読めるよ」


「そうか」


「おじさんは?」


「……少しなら」


「じゃあ、私が読んであげる」


「頼む」


 私は本を読みました。


 おじさんは静かに聞いていました。


 そんな日が、何度も続きました。


 私は、おじさんが来るのが楽しみになりました。


 でも。


 ある頃から。


 少しだけ、おかしくなりました。


 おじさんが家に来ても。


「……」


 なんだか落ち着きません。


 椅子に座ったと思ったら、すぐ立ち上がる。


 窓の外を見る。


 私を見る。


 何か言いかける。


 でも、言わない。


「……」


 私は、その様子を見ていました。


 何か言いたいことがあるんだと思います。


 でも。


 聞けませんでした。


 もし。


 もしも。


 「もう来ない」と言われたら。


 そう思ったら、怖かったからです。


 私は知っています。


 私は魔女です。


 普通の人とは違います。


 森の人たちは、魔女を怖がります。


 おじさんだって。


 本当は、怖いのかもしれません。


 だから、何度も来てくれるのも。


 もしかしたら、無理をしているだけなのかもしれない。


「……」


 ある日。


 おじさんが、いつものように椅子に座っていました。


 でも、やっぱり落ち着きません。


「……」


 私は気づかないふりをしました。


 おじさんが何か言いそうになって。


 やめる。


 また言おうとして。


 やめる。


 そんなことを繰り返していました。


 私は、ぎゅっとスカートを握りました。


 聞いてはいけない。


 聞いたら。


 もう来てくれなくなるかもしれない。


 だから。


「おじさん」


「なんだ?」


「今日のお茶、おいしい?」


「ああ」


「よかった」


 私は笑いました。


 何も気づいていないふりをしました。


 おじさんも、それ以上は何も言いませんでした。


 その日。


 おじさんが帰ったあと。


 私は一人でベッドに入りました。


「……やっぱり、魔女なんて嫌だよね」


 小さな声で呟きます。


「無理して来なくていいのに」


 でも。


 そんなことを言ったら。


 本当に来なくなるかもしれません。


「……嫌だ」


 来なくなるのは。


 嫌でした。


 私は毛布をぎゅっと抱きしめました。


「……来てほしい」


 その言葉は、誰にも届きませんでした。


 それから、数日。


 おじさんは来ませんでした。


 私は毎日、扉の音を待ちました。


 コンコン。


 そんな音がする気がして。


 何度も振り返りました。


 でも。


 誰も来ません。


「……忙しいのかな」


 そう思おうとしました。


 でも、胸が少し痛みました。


 そして。


 ある日の夕方。


 コンコン。


「……!」


 私は飛び起きました。


 扉へ走ります。


 開けると。


「こんばんは」


「おじさん!」


 そこに、おじさんがいました。


 いつもと同じ服。


 いつもと同じ口髭。


 でも。


 今日は少しだけ、顔が硬い気がしました。


「……入って」


「ああ」


 おじさんは家の中へ入りました。


 椅子に座ります。


 私はお茶を入れました。


 お菓子も出しました。


 でも。


 今日は、いつもと違いました。


 おじさんは、お茶を一口飲んで。


 黙りました。


 何度も私を見ます。


「……?」


 私は首を傾げました。


 おじさんが立ち上がります。


「リル」


「なあに?」


「少し、話がある」


「うん」


 おじさんは、しばらく黙っていました。


 それから。


「俺の家に来ないか?」


「……え?」


 思ってもいなかった言葉でした。


「おじさんのおうち?」


「ああ」


「どうして?」


「……」


 おじさんは困ったように口髭を撫でました。


「俺は一人で暮らしている」


「うん」


「帰っても、誰もいない」


「うん」


「だから……」


 そこで、おじさんは言葉を止めました。


 私は待ちました。


「……お前が来てくれたら、きっと家が明るくなる」


「……」


「もちろん、嫌ならいい」


「……」


「魔女だからどうこうという話でもない」


「……」


「俺は、お前と暮らしたいと思っている」


 胸が。


 ぽん、と温かくなりました。


「……私、魔女だよ?」


「ああ」


「怖くない?」


「怖くない」


「本当に?」


「ああ」


 私は少し考えました。


「……おじさん」


「なんだ?」


「じゃあ……私のお部屋、用意しなくちゃね」


 おじさんが固まりました。


「……」


「ダメ?」


「……いや」


 おじさんは少し困った顔をしました。


「……実は、もう用意してあるんだ」


「どんなお部屋?」


「お前が気に入るかは分からん」


「……そうだな」


 おじさんは立ち上がりました。


「実は……もう用意してある」


 私は目を丸くしました。


「いつから?」


「……少し前からだ」


「どうして?」


「……」


 おじさんは困ったように目を逸らしました。


「誘うかどうか、ずっと迷っていた」


「……」


「部屋まで用意したと先に言ったら、お前を困らせるかもしれないと思ってな」


 私は。


 なんだか嬉しくなりました。


「じゃあ」


「ん?」


「最近ずっと落ち着かなさそうだったのは……」


「……まあ」


「おじさん、変なの」


「そうかもしれんな」


 私は笑いました。


「行く」


「……本当か?」


「うん」


「後悔しないか?」


「しないよ」


「そうか」


 おじさんが、ほんの少し笑いました。


 私は荷物をまとめます。


 薬草。


 魔法の本。


 お気に入りの毛布。


 それから、ずっと大事にしていた小さな木の実のお守り。


 全部、籠に入れました。


 最後に家を振り返ります。


 ここで、ずっと一人で暮らしてきました。


 寂しくないと思っていました。


 でも。


 今は分かります。


 寂しくなかったんじゃない。


 寂しいことを知らなかっただけなのかもしれません。


「……またね」


 私は家に手を振りました。


 おじさんが隣で待っています。


「行こう」


「うん」


 私は、おじさんの手を握りました。


 大きくて。


 硬くて。


 温かい手でした。


 森を歩きます。


 知らない道。


 知らない場所。


 でも。


 隣には、おじさんがいます。


「おじさん」


「なんだ?」


「おうち、大きい?」


「それなりにな」


「お風呂ある?」


「ああ」


「一緒に入る?」


「……それは駄目だ」


「なんで?」


「色々と駄目だ」


「ふーん」


 私は首を傾げました。


「じゃあ、ご飯は?」


「作れる」


「おじさんが?」


「……簡単なものなら」


「じゃあ、私が作ってあげる」


「それは助かるな」


「うん!」


 なんだか楽しくなってきました。


「おじさん」


「なんだ?」


「明日は何する?」


「まずは、お前の部屋を好きなようにしていい」


「本当に?」


「ああ」


「じゃあ、お花を置いていい?」


「好きにするといい」


「本もいっぱい置きたい」


「ああ」


「薬草も育てたい」


「庭を使えばいい」


「魔法の練習もしていい?」


「見つからないならな」


「うん!」


 私は笑いました。


 知らない場所へ向かっているのに。


 不思議と怖くありません。


 だって。


 私の手を握っている人がいるから。


 その人は。


 私を怖がらなかった人だから。


 私を守ってくれた人だから。


 私を家族にしてくれた人だから。


「おじさん」


「なんだ?」


「ありがとう」


「……こちらこそ」


 おじさんは、そう言いました。


 その顔を見上げながら。


 私は思いました。


 明日から。


 どんな毎日になるんだろう。


 朝起きたら。


 「おはよう」って言ってみよう。


 そうしたら。


 おじさんも「おはよう」って言ってくれるのかな。


 そんなことを考えていたら。


 前のほうに、大きなお屋敷が見えてきました。


「あれ?」


「どうした?」


「あのおうち?」


「ああ」


 私は目を輝かせました。


「大きい!」


「そうか?」


「大きいよ!」


 私はおじさんの手を引っ張ります。


「早く行こう!」


「ああ」


 おじさんが笑いました。


 私はまだ知りません。

 明日から始まる毎日が、どんなに楽しいものになるのか。


 私のために用意された部屋で、どんな朝を迎えるのか。


 そして。


 あのおじさんが、どれだけ料理が苦手なのかも。


「おじさん」


「なんだ?」


「明日の朝ご飯、私が作ってあげるね」


「……それは助かる」


 おじさんが少しだけ笑った。


 私も笑った。


 明日が楽しみだった。


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