第32話:石の親方と、引きこもりの大計
リビングのソファーに座っている男は、まるで岩石が服を着ているような風体だった。
浅黒く焼けた肌に、手入れの行き届かない白髪混じりの髭。そして、何層にもタコが重なった分厚い手。バルトスから紹介されたその男――ガラムは、大昔にこの地に入植したドワーフの血を引く、フェルゼン一番の石工職人らしい。
「それで、ゼクトさんとやら。話というのは何です? バルトスの旦那が『歴史を塗り替える仕事だ』なんて息巻いて、現場から無理やり引っ張ってきやがったんですが」
ガラムの声は、地響きのように低くて重い。その眼光には現場を束ねる者特有の鋭さがあった。
「あ、急に呼び出してごめんね。……実は、新都市の建設にあたって、井戸を全部なくそうと思ってるんだ」
俺がさらっと言うと、ガラムは目を見開いた後、鼻で笑った。
「……井戸をなくす? あんた、正気か。水がなきゃ人間は一日も持たねえ。魔法で空から雨でも降らせ続けるってのかい?」
「いや、そうじゃないんだ。井戸は不衛生だし、水量も不安定だからね。代わりに、街全体に『人工の血管』を通す。どこにいても、ひねるだけで水が出る仕組み……上水道を作るんだよ」
俺は書斎から持ってきた一枚の紙――翻訳プリンタが出力した『都市型配管網・全体俯瞰図』をテーブルに広げた。ガラムが眉間に皺を寄せて覗き込む。
「なんだ、この線は……。地下にこんな細かく石管を通すってのか? ……それに、ゼクトさん。どんなに精密に削り出しても、水圧がかかりゃあ必ず『継ぎ目』から漏れる。一度埋めちまった管が地下で漏れ出してみろ、街ごと沈没だぜ」
「うん、その通りだね。だから、ただ繋ぐだけじゃなくて『シーリング』……隙間を埋めるクッションを挟むつもりなんだ。ガラムさん、この辺りにゴムの木の樹液を加工した防水剤みたいな、弾力のある素材はあるかな?」
「防水樹脂か……ああ、あるが。そんなもんを地下に埋めちまったら、いつか腐った時に終わりだ。結局、掘り返す羽目になるんじゃねえか?」
ガラムの指摘はもっともだ。埋設型のインフラにおいて、最大の敵は「経年劣化」と「アクセスの困難さ」だ。
「だから、この水管は『ひとつなぎ』にはしない。一定の距離ごとに、人が入れるサイズのアクセス用の縦穴……マンホールを作って、そこから部品を点検・交換できるようにユニット化するんだ。最初から『壊れること』を前提に、古くなったパーツだけを差し替える。そうすれば、街を掘り返さなくても、この血管は半永久的に維持できる。……いわゆる、メンテナンス(保守)の概念だね」
「最初から、交換するために作る……だと?」
ガラムが絶句する。この時代の建造物は「壊れたらおしまい」か、あるいは「大掛かりな修繕」が当たり前だ。「保守性」という未来を見据えた合理的なシステムは、彼にとって未知の衝撃だったに違いない。
「……それに、ガラムさん。一番の問題は『水量』なんだ」
俺は図面の横に、さらさらと数値を書き込んだ。
「新都市の予定人口から概算してみたんだけど、一人が一日に使う水を200リットルとすると、一万人で二千トン。農業用や火災への備えを考えれば、川からただ引くだけじゃ乾季に絶対に足りなくなる。細いストローで巨大なコップの水を飲もうとするようなものだよ」
「……二千トン。そりゃあ、この辺りの小川じゃひとたまりもねえな」
「そう。だから、上流の峡谷を堰き止めて、巨大な貯水池……『ダム』を作る。そこで膨大な水を蓄えて、位置エネルギーによる自然加圧で街まで一気に押し流すんだ」
ガラムは無言のまま、図面の端から端までを舐めるように見つめていた。だが、ある箇所でその指が止まる。それは、配管網のさらに深い地下に描かれた、巨大な空洞地帯だった。
「……ゼクトさん、なんだこの図面の下にある『巨大な穴』は。配管よりもずっと深い。まるで地下に別の街を作るような広さだが、まさかこれも貯水池か?」
「あ、それ? それは水害対策用の『地下放水路』だよ」
「……水害対策?」
「ダムがあっても、何十年に一度の大雨が降れば、街は浸水するかもしれない。だから、溢れた水を一時的にここに逃がして、地下に溜め込む。雨が止んだ後にゆっくりと川へ戻すんだ。……これがあれば、この街から『井戸』だけじゃなく、『洪水』という言葉もなくせるかもしれないと思って」
ガラムはもはや笑わなかった。
このおっとりと喋る引きこもりの男が、単に便利な道具を作ろうとしているのではないことを悟ったのだ。
数万人を養う水を作り、それを数百年維持し、天災からさえも住民を守る。
それは、石の職人がかつて夢にさえ描けなかった「不滅の都市」の設計図だった。
「……魔法の力で密度を高めた『魔導コンクリート』を使い、いくつかのブロックに分けて建設して『遊び』を持たせる。……どうかな、ガラムさん。この『ダム』と『地下神殿』、井戸を掘るより、ずっと面白い仕事だと思わない?」
ガラムはしばらく図面を見つめていたが、やがて太い指で頭をボリボリとかき、不敵な笑みを浮かべた。
「……ハッ、全くだ。こんな狂った図面、一生に一度お目にかかれるかどうかだ。……いいぜ、ゼクトさん。この『ダム』ってやつ、俺たちが形にしてやるよ。その代わり、人足はバルトスの旦那に言いつけて、フェルゼン中の男をかき集めさせな。歴史に名を残す仕事だ、安くはねえぜ?」
リビングに、職人の熱気が満ちる。俺は、コーラをを一口飲んで、おっとりと微笑んだ。
(……よし。現場監督の心は掴んだな)




