第27話:レオンの快復
レオンが倒れてから数日がたった。
その朝、グスタフ邸から届いた報せは、胸を撫で下ろすものだった。
糖衣錠の抗生物質が劇的に効いたらしく、レオンの体に広がっていた赤紫の斑点は完全に消え、熱も下がり、食欲まで戻ったという。
(……良かった。本当に良かった)
そんなことを考えていると、インターフォンが鳴った。
門の前に、グスタフとリーネが立っていた。
二人とも疲れは残っているが、あの日の絶望的な表情とはまるで違う。
リーネは目元を赤くしながらも、どこか晴れやかな顔をしていた。
ただ――
「……そのマスク、まだしてるの?」
俺がそう言うと、グスタフは慌てて姿勢を正した。
顔には、俺が渡した不織布マスクが二重に重ねられている。
リーネも同じようにマスクをしていた。
「は、はい……! 念のため、私自身が感染している可能性もありますので……!」
「わ、私も……。レオンに触れていましたから……」
(いや、もう大丈夫だと思うよ……)
グスタフは深く頭を下げた。
俺は軽く頷き、二人をリビングへ招き入れた。
「ゼクトさん……レオンが、今朝は『お腹が空いた』と……。あの子が食べ物を欲しがるなんて……本当に、久しぶりで……」
声が震えていた。
「本当に……本当にありがとうございました……!」
リーネも隣で涙を拭いながら、何度も頭を下げた。
「ゼクトさん……あの子、笑ったんです……。熱が下がって……『お母さん、お腹すいた』って……。あの声を、また聞けるなんて……」
グスタフはマスク越しに息を整え、少し迷ったあと、ぽつりと口を開いた。
「……ゼクトさん。実は……レオンが倒れる前、井戸の水を飲んでいたのです。あの子、よく遊び場の近くの古い井戸を使っていて……」
(……ああ、なるほど)
嫌な予感がした。
「その井戸、どれくらい使われてる?」
「ほとんど使われておりません。水質も悪く……ですが、子どもたちは遊び場の近くなので、つい……」
グスタフは悔しそうに拳を握った。
「フェルゼンの衛生環境は……正直、良いとは言えません。井戸は古く、排水路は詰まり、雨が降れば汚水が溢れ……。街の者たちも慣れてしまっていて……」
リーネも静かに続けた。
「レオンが倒れた夜……あの子の手が、井戸の泥で汚れていたんです。遊んでいたのだと思っていましたが……今思えば……」
(……そりゃ病気も出るわけだ)
俺はソファに深く座り直し、腕を組んだ。
「グスタフ。フェルゼンって……下水道は?」
「……雨水を流す溝がある程度で……」
「水道は?」
「井戸と、川からの汲み上げのみです。魔道士が水を浄化することもありますが、常時では……」
(……やっぱりか。中世レベルの衛生環境だな)
俺はため息をついた。
「じゃあ、都市改革の優先順位を変えよう。まずは“水”だ」
「水……ですか?」
「ああ。下水道と水道を整備する。川から水車で水を汲み上げて、街全体に流す仕組みを作る。汚水は地下に流して、街の外へ排出する。これができれば、病気は激減する」
グスタフは目を見開いた。
「そ、そんなことが……可能なのですか……?」
「可能だよ。むしろ、やらないとフェルゼンはいつか大きな疫病に飲まれる」
リーネが胸に手を当て、震える声で言った。
「……レオンが倒れたのは……街の問題でもあったのですね」
「そういうことだ」
しばらく沈黙が流れたあと、グスタフは深く頭を下げた。
「ゼクトさん……どうか、フェルゼンを……この街を救うための知恵を、これからも貸してください」
リーネも隣で頭を下げる。
「お願いします……。レオンのような子が、二度と出ないように……」
俺は肩をすくめた。
「まあ、俺も住んでる街だからな。汚いよりは綺麗な方がいいし」
たまが膝に飛び乗り、尻尾を揺らす。
「ナァ(……結局、あんたは優しいのよ)」
俺はたまの頭を軽く撫でた。
(……さて。街づくり、いよいよ本格的に始めるか)
レオンの快復は、フェルゼン改革の第一歩に過ぎなかった。




