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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜   作者: 香箱
第1章:怠惰の聖域

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第16話:沈黙の軍略と、聖域の守護

 フェルゼン領主邸では領主執務室に重苦しい怒声が響き渡った。


 「昨日連れて来いと言ったはずだ! 報告もせず、一晩中どこで何をしていた、バルトス!」


 領主グスタフ・フォン・フェルゼンの拳が机を叩き、書類が舞う。バルトスはその怒気を真っ向から受けながら、静かに、しかし深く首を垂れた。以前のバルトスなら、己の不手際に冷や汗を流していただろう。だが、今のバルトスの心境は驚くほど凪いでいた。


 「申し訳ございません、閣下。釈明の余地もございません。しかし、我らが直ちに帰還できなかったのには、フェルゼン領全体の防衛を根底から覆す、極めて重大な知見を得ていたためでございます」

 バルトスは顔を上げ、あの方――ゼクトから授かった「知恵の断片」を、グスタフの前に差し出した。それはゼクトが何気なくメモ帳に走り書きした、奇怪な文字の並ぶ「シフト表」と「組織論」の写しだ。


「……なんだこれは。一、有能な働き者は参謀……二、有能な怠け者は総司令官……?」


 グスタフは眉をひそめ、内容を読み進めていく。最初は怪訝そうな顔をしていたグスタフだったが、読み進めるにつれ、その顔から血の気が引いていくのをバルトスは見逃さなかった。


「……四、無能な働き者は、即座に銃殺せよ? なんという冷徹、かつ残酷な合理性だ。これは……軍略か?」


「はい。ゼクト様は、我らフェルゼン騎士団の現状を『無能な働き者』の集団であると断じられました。良かれと思って行っている不断の警戒、領内全域に放つ無意味な殺気……それが逆に、魔族側に『フェルゼンは開戦の準備をしている』というパニックを与え、かえって侵攻を誘発させているのだと」


 バルトスは、ゼクトが説いた「抑止力」の概念を、領内全域の防衛戦略に当てはめて報告した。動かずして制する。あえて「怠惰」を装い、軍の動きを整理することで、敵に手の内を悟らせず、最強の静寂をもって恐怖を与える。「戦わずして勝つ」という兵法の極致。グスタフは椅子に深くもたれ、天井を仰いだ。


「……我らは、必死に剣を振り回すことで、自らの底の浅さを露呈させていたというのか。ゼクト……。その名は古の軍略神か何かか?」


「それだけではありません。あの方の傍らには、闇を纏う使徒ターメイン様が控えておられました。彼女は指先一つで、森を覆わんとした魔狼の群れを塵に帰し、エリシュアの術式を瞬時に神域のレベルへと書き換えられました。これこそが、ゼクト様の理論を物理的に担保する圧倒的な『力』の正体です」


 沈黙が執務室を支配した。グスタフは、かつてないほどの緊張感をもって決断を下した。


「……バルトス、これよりフェルゼン騎士団の全運用を、ゼクト様の提示した『新防衛体制』へと移行させる」


 バルトスはゼクトが記した「シフト制」という画期的な概念をグスタフに説明し、具体的な領内整備案を具申した。


「まず、全騎士を三つの班に分け、交代で完全な休息を取らせます。これにより、常に万全の状態の兵を確保しつつ、領内から放たれる無駄な威圧感を三分の一に抑えます。そして、領内各所の要所に、機能的な『詰め所』を新たに設置いたします」

 

 「詰め所を各所に配置し、拠点を明確にするわけだな」

 

「左様です。詰め所には常に一定数の精鋭を待機させ、無駄な広域哨戒は廃止します。異常が発生した際のみ、詰め所から放たれた斥候が迅速に状況を把握。敵がこちらの意図を察する前に、詰め所から即座に戦力を投入し、最小限の動きで脅威を排除する……これこそがゼクト様の提唱する『効率的な鉄槌』です」


 グスタフは深く頷いた。


「素晴らしい。あの方は我々に、戦い方ではなく組織の『在り方』を教えてくださったのだな。……よろしい、その体制整備、直ちに取り掛かれ。予算は惜しまん。まずはあの森の一帯を『絶対禁足地』に指定し、周囲の警戒網を整理せよ。フェルゼン全域を、あの方の望む『洗練された静寂』で満たすのだ」


 その日から、フェルゼン領の防衛体制は劇的に変わった。

 これまでの威圧的で疲弊を伴う哨戒行進は廃止され、街や森の要所に整然とした詰め所が並んだ。一見すれば軍が縮小したようにも見えるが、それは最適化だ。十分な休息を得た精鋭たちが、詰め所で研ぎ澄まされた牙を隠し、斥候による緻密な情報網が領内を網羅する――文字通り、領地全体が隙のない「要塞」へと変貌したのだ。


 数日後。バルトスは遠く森の境界線から、静かに佇むあの館を見つめていた。

 館の周囲には、エリシュアが(ターメインの術式を模倣して)張った、完璧な認識阻害の結界が施されている。その周囲を囲うように、新たな詰め所で騎士たちが息を潜め、この「静寂の源泉」を守護している。

 

(ゼクト様……。どうぞご安心ください。貴方の『有能なる怠惰』がもたらしたこの平和、我らフェルゼン騎士団が命に代えて守り抜いてみせます)


 一方、そんな領内全域を巻き込んだ軍事改革など露ほども知らぬ「聖域」の主は、リビングのソファでだらしなく寝転んでいた。


「……ふわぁ。なんか最近、外が静かすぎて逆に怖いな。魔族も諦めたのかな。まあ、騒がしいよりはいいけど。たま、コーラのおかわりあるか?」


「ナァ(……あんたが寝てる間に、この国全体が驚くほどシステマチックな動きを始めてるわよ)」


 たまはカズヤを見つめ、それから彼のお腹の上に飛び乗った。

 平和は、今日もこの地を暖かく包み込んでいる。

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