第15話:黒猫は深夜、検索エンジンを回す
深夜、リビングに静寂が満ちる。
午前二時。聖域の主が、だらしない寝息を立てて寝室へ消えてから一時間が経った。
私はソファの上で丸めていた体を解き、床に着地する。着地と同時に漆黒の毛並みは同じ色のドレスへと形を変えた。闇を纏う勇者の器――ターメインの姿だ。
「……ゼクト、ね。適当なことを言ったわね、あのアホ」
私は書斎のゼクトの椅子に腰を下ろし、キーボードを叩いた。彼から盗み見た「検索」の術式だ。
『ゼークト 組織論』。画面に映る文字列を、私は瞳に刻み込んでいく。
そこには、かつての異世界の軍人が提唱したという、残酷なまでに合理的な分類が記されていた。
人間は四つのタイプに分けられる。
一、有能な働き者。これは参謀に向く。
二、有能な怠け者。これは前線指揮官、あるいは総司令官に向く。
三、無能な怠け者。これは連絡員や、単なる兵士として機能する。
四、無能な働き者。これは組織を破滅させるため、即座に銃殺すべきである。
「……有能な怠け者は、司令官にせよ……か。あいつは自分のニート生活を正当化するために、この知識を持ち出したわけね」
自らを「二」の司令官タイプだと主張し、バルトスたちを「四」の破滅因子だと断じることで、休息という名の業務改善を命令した。あいつらしい、実に身勝手で合理的な屁理屈だ。
だが、その「嘘」はもう、ただの嘘では済まない。私がこの世界で「真実」に書き換えてしまえばいいだけの話だ。
私は窓から音もなく庭へ出た。今夜も、あいつが浪費するポイントを稼がなければならない。
(掃除の時間よ)
門の外、森の闇から巨大な魔狼の群れが姿を現した。私は指先を軽く振う。
まだ本来の力の百分の一も出せないが、それでも十分。闇の刃が空間を断ち切り、魔狼たちは声もなく塵へと変わった。
(魔力の出力制限、0.1%解除。……少しだけ、術式の精度が上がったわね)
胸の奥で「実績」が積み上がる音を聞いていると、森の中に潜む気配に気づいた。
……バルトスとエリシュアだ。森の調査のでもしていたのだろうか。
「ひっ……!? あ、あれは……ターメイン様!?」
エリシュアの悲鳴に近い囁き。私はあえて、二人の方へとゆっくり歩み寄った。
月の光に照らされた私の姿を見て、二人はその場に崩れるように膝をつく。
「……まだ居たの。しつこい男は嫌われるわよ、バルトス」
「も、申し訳ございません!主様の……ゼクト様の深遠なる教えを反芻していたところ、あまりの神々しさに足が動かず……」
バルトスの声が震えている。彼は私の背後、今しがた魔狼が塵になった光景を見て、さらに顔を青ざめさせた。
「……あのアホ、いえ、ゼクト様が言ったことを忘れないことね。彼は『静寂』を望んでいる。あんたたちが無駄に騒げば、私がその首を狩るわよ」
「は、はいっ! ゼクト様の掲げる『抑止力』、そしてこの完璧な魔力感知の結界……。我らフェルゼン騎士団、命に代えても体現してみせます!」
エリシュアも涙を浮かべて頷く。
私が指先一つで彼女の「繊細すぎる感知魔法」を上書きし、ゼクトの言う「フィルタリング」を物理的に組み込んだことに、彼女はすでに気づいているようだ。
「ゼクト様は、我々に『休日』という名の慈愛を……そしてターメイン様は、我々の至らぬ守護を物理的に補完してくださった……。お二人は、この地の真の支配者……」
「……勝手にしなさい。ただし、あいつを城へ連れて行こうなんて二度と考えないこと。あいつの安眠を妨げる者は、この私が許さない」
私はわざと、彼らが感知できる限界の魔圧を解放した。バルトスの鎧がガチガチと鳴り、エリシュアは呼吸を忘れたように私を見上げている。
「……さっさと帰りなさい。」
私は冷たく微笑むと、家へと戻った。
リビングに戻り、PCの履歴を綺麗に消去する。あいつが明日「身に覚えのない履歴」で首を傾げないよう、キャッシュを消すのも忘れない。
寝室から、あのアホな主の寝言が聞こえてきた。
「……むにゃ……コーラ、箱買い……ポイントが……」
「……ナァ(ほんと、私がいなきゃ、一日で詰んでるわよ、貴方)」
私は猫の姿に戻ると、布団の上に飛び乗り、一番重い場所――彼の腹の上で丸くなった。
これが、この聖域を守る唯一の「働き者」である私に許された、ささやかな報酬だった。




