おまけ
お読みいただきありがとうございます。
アーデルヘルム様は執務仕事が忙しくて出番少なめです。
「指先が震えていますわ。食器の音を立てるのは淑女として失格です」
「はい」
うららかな日差しが降り注ぐ午後。私は気もそぞろだが、必死に紅茶を飲むことに集中する。
だけどつい、ちらちらと目の前に座る人物を見てしまった。
桃色の髪を耳にかけ、私の動作をじっと見定めている。
表情にはなんの揺らぎもない。
私は上手く笑えず口元がひくつく。
「背筋が曲がっていますわ」
「はいっ」
第一王子の婚約者であったルチナ様が、私の王妃教育の指導者だ。
◇◇◇
「そうですか、王妃様は嫌だと」
「そうなんだよね、困ったな」
私たちは王妃様に大層恨まれているようだ。それもそうである、手塩にかけたであろう自分の子どもではなく、アーデルヘルム様が王太子に選ばれたのだから。
そんなわけで、私が王妃教育を受ける上での指導者探しは難航していた。有名な講師は第一王子の婚約者に教えていた人で、牙剥き出しで教えて貰える気配はない。
国王陛下はアーデルヘルムには多少甘くなったと聞いている。だが王妃を新しく選定したい派な国王陛下に私の存在が認められる筈なし。
当然の如く力にはなってくれない。
アーデルヘルム様とお互いため息をついた五日後。
彼が第一王子の婚約者を連れてきた。
「…………」
涙がビャッと噴き出す。
「……今まで、ありがとうございました」
「違うよ。王妃教育を教えてくれると言うんだ」
「え」
「よろしくお願いしますわ」
扇子で顔が隠れて、彼女の真意は読み取れない。
眉根が寄ってしまう。
「まあ、子爵家の微笑みは先進的ですのね。わたくし付いていけませんわ」
これが上級者の嫌味か。さりげない。
「心配なさらずとも、王太子殿下の独創的な好みにわたくしは当てはまらないようですので、大丈夫ですわ」
さりげなさ過ぎる。
「よろしくお願い、します……?」
こうして始まった。
王妃教育が始まり、すでに三カ月が経っている。
本を乗せて歩かされ「落としたら、ね?」と脅されたりするが、ルチナ様は丁寧な指導をしてくれる。
「うふふ、イルザ様。手が疎かになっておりますわよ」
せっつかれて我に返った。
私の手中には、子爵家領で咲いていた花が刺されたハンカチが。
対してルチナ様の手中には大輪の薔薇が。
「もっと、精進しないとですわね……」
「そうですわね。これ、差し上げますわ」
大輪の薔薇刺されたハンカチを受け取る。
「良いのですか?」
「渡す相手が、おりませんから」
最初に第一王子について謝ろうとした時、絶対にごめんなさいなんて言わないでと釘を刺された。
私は口をつぐむことしか出来ない。
「……私、どうしたらもっと精進できますでしょうか」
ルチナ様は暫し考え込んだ。
「根を詰めずとも、きっとイルザ様も、いつかわたくしと同じようにできますわ」
あら。才能あるのかな。
「全てにおいて足りておりませんが、イルザ様とわたくしには共通点がありますから」
そういう訳ではないらしい。
共通点? 首を傾げるか、それ以上はなにも教えてくれなかった。
◇◇◇
アーデルヘルム様が立太子してから初めての茶会では、悪意のある視線も多くあったが礼儀作法でネチネチ言われることはなかった。
悔しそうに褒められたくらいだ。ルチナ様の教育の賜物だろう。
帰りの馬車の中で、ふんふん鼻唄を口ずさむ。
着いた時、ルチナ様が私を出迎えた。まさかお褒めの言葉を貰えるのかと胸が高鳴る。
「ルチナ様!」
「……まだ、聞いてないようですわね。良かったですわ。貴女なら、そのまま茶会でやらかしそうでしたし」
独り言を呟いて、去っていく。どうしたのかと尋ねる暇もない。
ただ、酷く冷えきった瞳に背筋に汗が伝った。ルチナ様が感情を揺らしたのは、これが二度目だった。
理由はそれから一時間後に聞かされた。
「――幽閉された塔で、自死」
「……料理の配膳係に扮した者に、兄上はナイフを渡されたみたいだ。兄上の願いだったのか、第一王子派だった人たちの願いだったのかは分からないけどね」
小さい背中が思い起こされる。
ルチナ様の身長は私よりも低いことに、今初めて気がついた。
二日後。王妃教育の日。
久しぶりに会った彼女には寸分の揺れもない。
「今日は、刺繍をしましょう。苦手なようですから」
頷き、無言で縫う。
カチコチ。カチコチ。時計の針が三時を指す。
縫い終わった私は、自分のハンカチを見つめる。アーデルヘルム様が好きな犬。上手く縫えた。喜んでくれるだろうか。
「――……わたくしがディアーク様と出会ったのは、七歳でしたわ」
縫い終わったハンカチを握り締め、ルチナ様がぽつりと。意識をそちらへ集中させる。
ディアーク様とは、第一王子の名だ。
「貴女は知らないでしょうけど、わたくしは昔太っておりましたの。陰で子豚なんて言われましたわ」
甘やかされて育ちましたの、公爵令嬢ですから表立ってわたくしになにか言う人もいませんしね。
穏やかな笑み。こんなに可愛らしい方なのに想像できない。
「とある茶会で、第一王子殿下の婚約者を決めることになりましたわ。わたくし、気合いを入れましてフリフリのピンクのドレスを着ましたの」
今日のルチナ様は饒舌だ。
「――そしたらね、わたくしと同じ公爵令嬢の方が陰口を叩いているのを聞いてしまいました。色気づいた子豚ちゃんと」
「さいっていですわ!」
「大声は、淑女失格ですわよ」
ふふっ。軽やかに笑って、ハンカチをシャンデリアにかざす。今日も美しい薔薇だと見惚れてしまった。
「その時にディアーク様が来て、君たちは心が醜い豚のようだなと言ったんですわ」
「わあ……」
言いそうですね、とは口が裂けても言えない。
「泣いて逃げていった令嬢を見送って、わたくしにディアーク様は言いましたわ。君は見た目はまあまあだが、性格は好ましいと思っている。自信過剰だが、故に嘘偽りがない。――ふふ、酷いお方」
第一王子、アーデルヘルム様にだけあの態度かと思ったけど周りにもそうなのか。
傷ついて、見返すために努力を重ねたのかな? 眉尻を下げれば、ぱっとルチナ様が顔を上げる。
「初恋でしたわ」
「…………」
「婚約者になりたくて、お父様にお願いして。それから努力を重ねました。あの人に見合う淑女になりたくて」
はにかむ彼女は、いつもよりずっと幼く見えた。
そっか。
いつかルチナ様が言った言葉が脳をよぎる。
――イルザ様とわたくしには共通点がありますから
あれは、恋心だった。
「盲信し続けて。随分思い詰めさせてしまったのだと思います。幼い頃から、自尊心が高くて卑屈になりやすい人だったから」
ディアーク様が、第二王子――王太子殿下を目障りに思っていることは知っていた。だけど自分では彼を救えなくて。
「確かに、性格が悪くて野心的だったけど、毒を飲むなんて、思っていなかったんです……。言い訳じみた言葉だとは、理解しています。今回の王妃教育は、わたくしからのお詫びも兼ねてですわ」
会場で涙を流していたルチナ様。
王妃として育てられた彼女が公の場で感情を振り乱す。それだけで、答えは出ていた。
「盲信して懸想するばかりで、重圧に潰されそうになっているあの人を救えなかった。馬鹿な女の、ただの話ですわ」
おしまい、ルチナ様が手を叩く。
「――あら、なんで泣いているの」
ルチナ様の表情は、ついとも揺らがない。
私は上手く保てず涙が零れる。
「抱きしめても、良いですか?」
「まあ、子爵家ではどんな教育を施しているのかしら」
「良い教育方針でしょう?」
「……っええ、そうね」
沢山抱きしめて。
刺繍のせいで固いハンカチで、涙を拭かれる。
笑えば、ルチナ様も微かに口角を上げる。
……とても美しい、微笑みだった。
寒い空気が、部屋を満たす。白い空からひとひらの雪が舞い落ち、われ先にと地面に着地した。
〜ディアークとルチナのお話〜
ディアークはルチナのことを王太子になるための道具だと思っていますし、本人にも伝えています。それに怒りもせず、粛々と自分に付き従うルチナを不気味とすら思っていました。
ですが出向いた先で素朴だけど美しい花を見つけたりすると、決まってルチナにあげます。
その時だけ崩れる完璧な淑女ではない笑みが、無自覚だけど好きだからでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。