本編
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王族に見合わない簡素な部屋。カーテンが風を抱き込み、光がベッドに差し込む。
金髪の青年がベッドの上で治療を受けている。
「ごめんね、イルザ。いつも僕のために……」
「――そう仰るのでしたら、もっと自分を大事になさってくださいアーデルヘルム様」
肩代わりしてできた怪我で、彼の腕は爛れている。
今日は火傷を負った少年が連れてこられたんだっけ……。ぼんやり考えながら私は、笑う彼の額に口づけた。
彼は男でありながら、聖女と呼ばれる人たちと同じ力を宿していた。
――誰かを癒す代わりに自らが怪我を負う力。
呪いだと、何度思っただろう。
彼は教会で飼い殺しにされている。アーデルヘルム様の兄――王位継承権第一位の王子に死を望まれているからだ。
子爵令嬢という王子には見合わない低い身分の私を婚約者にし政治から引き離すだけではなく、民や自分のために犠牲になって死ねと言っているのだ。
アーデルヘルム様が呻き出した。汗を拭う。
治療も一旦は落ち着いたが、酷い火傷だった。薬を塗ってもさぞ痛むだろう。
私は椅子に腰掛ける。
ふと、今日が婚約を結んでからちょうど十年目なことに気がついた。
◇◇◇
「はじめまして」
出会った頃から彼は、穏やかで優しい微笑みを絶やさない人だった。
六歳の私は、両親に念入りに仕込まれたカーテシーを披露する。……チラリと顔を上げ、まじまじと見てしまったことは許してほしい。だってアーデルヘルム様は、とても美しい方なのだ。
絵本で見た白馬の王子様が現実に現れたようで舞い上がる心地だったのを、よく覚えてる。
そして私たちは婚約を結んだ。
毎日が楽しかった。この婚約が結ばれた意味も良く理解していなかった私が考えることは、もっぱらなにをしたら彼が喜んでくれるかだった。
我が庭でうっとりと花弁を震わす薔薇をプレゼントした日があった。
褒めて欲しくて美味しい紅茶の淹れ方を披露した日もあった。
アーデルヘルム様は私を愛していない。目を見れば分かる。穏やかで優しくて、温い瞳。
構わなかった。私が好きだったから。
――とある日。アーデルヘルム様に会いに行けば、今日は会えないとメイドに言われた。食い下がっても、首をふるふるされるだけ。
お父様と商人の姿を思い出し、アーデルヘルム様を得るため必死の交渉を重ねたが相手は手強かった。
いつかのお父様が言った。
「イルザ。欲しいものが手に入らないならね、交渉以外の手でアプローチすることも大事だよ」
お父様は商人の肩を揉みだした。あまりのテクニシャンに商人が崩れ落ち、値切り交渉に無事勝利した姿を見て思った。
私の特技とはなんだろうと。
「んしょ……んしょ……」
導き出されたのは木登り。
自然の多い子爵領で淑やかさが育つわけもない。お母様譲りの力で登っていく。
アーデルヘルム様の部屋は知っていた。窓から中を覗き込む。
「……っ」
木から滑る。慌てて体勢を直すと、彼と目が合った。
窓を開け、なにしてるのイルザ! 身軽に部屋の中に侵入し、焦る彼の腕を見る。
「……どうされたのですか、その腕」
「あ、ごめんね変なもの見せて」
私が言いたいのはそれではない。
どうして、包帯で覆われているのだろう。巻きが緩んでいるのか、大きな切り傷が分かる。
「切って、しまわれたのですか?」
「んー……」
曖昧な返事。私は気づいた。そうだ、彼はいつも曖昧に濁しているのだ。深追いを許さない柔らかな笑みで、他人を拒絶している。
包帯貸してください。目を丸くさせるだけのアーデルヘルム様に焦れて、自分で探す。幸いすぐに見つかった。
「私は包帯を巻けます。ですから、腕を出してください」
「――大丈夫」
ふい、と腕を隠す姿は叱られた子どものようで。
「良いから! 悪いようにはしません!」
ぎょっとした彼の意表を突き、前に回り込む。そのままタックルしベッドに座らせた。
「……イルザって、強引だ」
「長所です」
包帯を優しく取る。ざっくり切れた腕がするりと現れた。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
「いいえ、まったく」
なにを隠そう、我が子爵領のモットーは出来ることは自分で、だ。怪我した時や怪我した子がいた時、自分でどうにかしてきた。
正直言えばこのレベルまでの切り傷は初めてでちびりそうだったが、おくびにも出さず包帯を巻く。淑女教育を受けてきて良かった。
綺麗に巻かれた包帯に感心した様子のアーデルヘルム様に、話す気になりました? と声をかければチラリと視線を向けられた。
「今日ね、庭師が植木鋏を落として腕に深い傷を負ったんだ」
首を傾げる。アーデルヘルム様と庭師、まったく繋がらない。
彼はちんぷんかんぷんな私に苦笑した。
「つまりはね、僕が庭師の怪我を肩代わりしたんだ」
「肩、代わり」
背筋が粟立つ。彼は、恐ろしいことを口にしている。
「王家はね、必ず二番目に生まれる子どもにこの力が宿るようになっている。神様からの祝福だよ。昔子どもが病気などで大きく育たないことを王が嘆き、神様は応えたんだ」
「……一番最初に生まれた子どもを育てるために、二番目の子どもを殺すってことですか……?」
「そうそう。あーけど、死ぬことはほとんどないよ。聖女は生命力が普通の人間より高いんだ。腕の傷だって後遺症も跡もきっと残らないだろうね」
――どうして、なんでもないことのように話すのだろう。
言葉を失う私とは反対に、饒舌に語り続ける。
「ちなみに、なんで男なのに聖女かって言うとね、僕は元々双子だったんだよ」
不思議なことに、神が願いを聞き届けてから王家では一番最初に王子が、二番目に王女が生まれるのが通例だった。
彼は双子だった。きっと女の子で、姉になっただろう。だが生まれた時にはその子は死んでいて、代わりに彼に聖女としての力があった。
「怒ったのは兄上だよ。自分の地位が脅かされると怯えている。だから僕に死ぬことを願っているんだ」
人助けは良いことだと刷り込ませて。彼が自らの境遇に違和感を持ってももう遅い。
身分の低い側妃の子どもなのも駄目だった。王からも存在をないもののように扱われ後ろ盾のないアーデルヘルム様は日々、体を犠牲にして人々を癒すことしか許されない。
白馬の王子様が、身分の低いイルザと結婚する。物語のようだと、毎晩本を抱きしめ眠った。だけどさすがの私だって、この婚約が第一王子からの嫌がらせだと気づく。
自分の無力さに、アーデルヘルム様を抱きしめ泣くことしか出来なかった。
だが私にはお父様の血がしっかり入っている。泣くだけでは終わらない。
アーデルヘルム様がどんな怪我をしてもすぐ治せるように、医療の腕を磨いたのだ。火傷の塗り薬だって私が煎じた。
薬が効いてきたのか穏やかな寝顔にそっと唇を落とす。
穏やかな寝顔を見ながら思う。小さな家がいいなあ、と。
◇◇◇
第一王子が成人する、十八歳の誕生日。前日に開かれるパーティーの招待状が私たちの下に届いた。
「怪しいね」
「怪しすぎます。行かないべきです」
「そういうわけにもいかないよね」
火傷から回復したアーデルヘルム様はおっとりと微笑む。
第一王子の成人式。ここでは立太子する王子の名も告げられる。信心深いこの国では、そういう取り決めなのだ。
第一王子は、民の治療をし人気が高いアーデルヘルム様に焦りを覚えているのだろう。仕向けたのは自分な癖に。勝手なことだ。
他にも、アーデルヘルム様の方が出来が良いことも劣等感を強くする要因なのだろう。彼の優秀さが露呈するのを恐れて、執務仕事だって自分の手柄にしている。
「アーデルヘルム様、パーティー会場での飲食は絶対にしないでくださいね。誰かに渡されても断ってください」
「うん、分かったよ」
飲食さえしなければ、仮に毒を盛られても大丈夫。お腹が空くだろうから、私手製サンドイッチを始まる前に食べてもらおう。
むん! 絶対絶対守るぞ! 決意を固める私に、苦笑するように彼は笑った。
気が抜け、私も笑ってしまう。
当日。揃いの衣装を着た私たちは会場入りした。緊張するのか、アーデルヘルム様はしきりに私があげたペンダントを触っている。
挨拶をしていると、第一王子もこちらに歩み寄ってくる。
「やあアーデルヘルム」
「兄上。この度はおめでとうございます」
「ああ」
表面上はにこやかだが、ギラギラと気持ち悪い目をしている。
歪みそうになる口角を必死に上げ応対する。
「イルザ嬢も変わりないか?」
「はい、おかげさまで」
おほほほ。下っ端ながらも貴族令嬢らしく嫌味を込める。
「そうか。私はまだ挨拶があるのでここで失礼する」
「ごきげんよう」
背を向け去っていく。おや? なにもしないのか? てっきり飲み物の一杯くらいは渡されると踏んでいたのだが。
「――本当に招待しただけですかね?」
毎年毎年適当な理由つけて不参加にさせる人が?
「そうみたい、だね。……せっかくだし、踊らないイルザ?」
「……っ喜んで」
ちょうど音楽が流れ始め、私たちはホールの真ん中に行く。
アーデルヘルム様はリードがお上手で、羽のように軽く踊れてしまう。夢のように素敵な時間だった。
絹を引き裂くような悲鳴が聞こえるまでは。
「きゃあ! 誰か、誰か――!」
第一王子が、口元を押さえ膝をついている。手の隙間から、血が滴り落ちていた。
「果実水を飲んだら、こんな風に……!」
顔を手で覆い叫ぶのは第一王子の婚約者である公爵令嬢。ポロポロ涙を流している。
毒を盛られたのだろう。かなり強力な毒を。
アーデルヘルム様に抱きつきながら冷静に判断する。医者もすぐ呼ばれたようだが、第一王子が弱っていくのが分かる。
「一体、誰がこんなことを……」
呆然と呟く私と、第一王子の視線があった気がした。
違う。私ではない。アーデルヘルム様を見ていた。
そして彼は、血を流したままゆっくりと手を伸ばした。
助けてくれ、そう懇願するように。
「――っ」
ぶわりと怒りで目の前が真っ赤に染まる。ようやく分かった、彼の目論見が。
わざと毒を飲んだのだ。それをアーデルヘルム様に肩代わりさせ、殺そうとしている。
アーデルヘルム様が足を一歩踏み出した。
「駄目です、アーデルヘルム様!」
「……イルザ、ごめんね。体が、勝手に動くんだ」
「そんなっ」
神は一番初めに生まれた子どもを守る為に二人目に祝福を授けたのなら。
「これも、神様の力」
「そうだろうねえ」
のんびり笑う彼を強く抱きしめる。
「いや、行かないで。行かないでください」
「……ごめんね」
私には夢がある。
小さい家が良い。アーデルヘルム様と顔を合わせて寝たいから。ご飯を作って、一緒に洗濯したり買い物に行って。
普通で良いから、幸せに暮らしたかった。
「――嫌、嫌!」
そんな奴救う価値なんてない。だからお願い、行かないで。
「イルザ」
名前を呼ばれた。顔を上げられない。
「君に会えて、本当に良かったと思う。何度も何度も死にたいと思ったけど、イルザのおかげで今日まで生きてこれた」
じゃあその命を私のために使って。
息もできなくなって、するりと手が解ける。
アーデルヘルム様は行ってしまって、眩い光が会場を包みこんだ。
後に残されたのは、死に瀕したアーデルヘルム様。
鐘の音が鳴った。
一つ、二つ。壮厳なる音が会場を満たす。
そうして彼は血を吐き倒れた。
◇◇◇
全てが終わった後、どうしてあんな大掛かりなことをしてまで第一王子がアーデルヘルム様を殺そうとしたのか分かった。
神に子どもが育つことを王は願った。
正しく願いは聞き届けられ、成人である十八歳まで、あの祝福は有効だったのだ。だからパーティーは十八歳になる前日に開き、そこで彼を限りなく自然に殺そうとした。
ラストチャンス、というものだったのだろう。
私は今、眠るアーデルヘルム様に付いている。
そう、彼は生きている。
第一王子は十八歳で祝福が消えることは知っていても、祝福が消えたら今負ってる怪我が返ってくることは知らなかった。
だから零時を告げる鐘が鳴り、怪我が第一王子に返ってきた。
アーデルヘルム様も吐血をしたが、後遺症も残らないそうだ。
代わりに第一王子は、なんとか解毒剤を飲み一命は取り留めたが、後遺症が残ったらしい。足や腕が自由に動かせなく、内臓も一部やられ過酷な食事制限が待っているとか。
「……アーデルヘルム様。私の大切なアーデルヘルム様」
彼の部屋で髪をすき、額に口づける。まだ体調は万全ではないからと、渋る彼を宥め病人として生活させている。
つい先刻寝たアーデルヘルム様に、きゅうと愛おしさが湧いた。
あのパーティーから一ヶ月後。ようやく王太子が発表された。アーデルヘルム様だ。第一王子では満足に執務を行えなく、また毒を飲んだのはわざとであるという噂もあり、彼は近々幽閉されるだろう。まあ噂を流したのは私なのだが。
弟を殺すために毒を飲んだが失敗した。ゴシップ好きの貴族社会で格好の的となった彼には、真偽が判明するかはさておき居場所はない。
代わりに、第一王子を助けようとしたアーデルヘルム様は人格者と評されている。
――もう私の居場所はないだろう。
小さな鞄を持つ。私ならきっと、薬師として働ける。
うんうんと頷き、涙がポロリと落ちた。
「子爵令嬢の私じゃ、隣に相応しくない……」
側にはいれない。アーデルヘルム様にはもっと相応しい方がいるから。
行こう。ずっとここにいては、決意が鈍ってしまう。両親には話し、寂しそうに抱きしめられた。六歳の弟は大号泣だったが、最後には頷いてくれた。
背を向ける。これからどこに行こう。
「……どこに行くの。イルザ」
腕を取られた。振り向けば、アーデルヘルム様が起きている。
「あ……」
「ねえ、どこに行くつもりなの?」
もう一度問われる。
「……遠いところ、です」
「それで、帰ってこないつもり?」
「はい」
「僕は、イルザに側にいて欲しい。イルザは僕の代わりに執務仕事を行ってくれたこともあるし、礼儀作法も学べばすぐに身につくと思う」
キュと唇を噛みしめる。
……よりどりみどりですよ? 彼が、ん?と首を傾げた。
「私である必要は、もうないんです。どんなご令嬢を選んだって良いんです。どうか、アーデルヘルム様には幸せになってほしいんです」
花かんむりを作って、幼い彼の頭に乗せて。ずっと願い続けてきた。どうか幸せになってくださいって。
私は、アーデルヘルム様の瞳が好き。ぬるま湯みたいに、体を優しく包んでくれる。
昔私は、幼女趣味を名乗る男に誘拐されかけた、らしい。四歳の頃だったからよく覚えていない。
鮮明なのは、欲にギラついた瞳。こちらが逃げようとしても纏わりついて足を引っ掛ける、嫌な目。強い熱が私の皮膚を焼くようで、息もできないくらい怖かった。
だから、アーデルヘルム様に出会った時とても嬉しかった。薬湯みたいな人だと思った。
好きになってくれなくても、ううん好きになってもらえなくて良かったのかもしれない。
ちょっぴり胸が痛いけど。
「僕はもう、十分幸せだ。それは君に出会ったからだよ」
「ええ……、嘘です」
あんなに、僕、男女の友情は成立すると思うみたいな顔して!
「ほんとだよ」
チャリ。ペンダントを取り出した。
「これをくれたイルザ、『神様の力が宿ってるそうです。アーデルヘルム様に幸せがありますように』って」
「お、おかしかったですか?」
「うん、おかしかった」
そんなはっきり言われるなんて心外である。
でもアーデルヘルム様がとっても楽しそうで、それだけで目元が緩んでしまった。
「だって、聖女である僕を心配する人なんて、いなかったんだ」
子ども時代の彼は、きっととても寂しくて辛い思いをしてきたのだろう。だから、心の拠り所になれれば……なんて過ぎた夢をみた日もあった。
ずっと、私の言葉が貴方を救ってきた。その事実に、熱いものが込み上げる。
そっと彼の手を取る。パタパタ、手のひらを涙が濡らした。
「私も好きです」
「……っ」
ねえ、アーデルヘルム様。
貴方が生まれてきてくれて、私とっても幸せなんですよ。
ずっとずっと貴方にそう思ってほしくて。自分が生まれてきたことを、後悔なんてしてほしくなくて。
アーデルヘルム様。私は生まれてくることができて幸せです。
庭に咲いた薔薇のひとひらが、舞い落ちる。それは夏の訪れを告げていた。
〜イルザのお父様とお母様の馴れ初め〜
木から落ち、脱臼してしまった幼少期のお母様を、当時から見事な腕前だったお父様がもみもみして治したのがきっかけ。
お母様はお父様におんぶされながら、胸がどきどきしっぱなしでした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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