9 聖女、王に怒る②
ロゾレイズ陛下は不思議そうにレオナと私を見比べる。
「その子? ああ、なんでも聞こう」
彼に罪の意識が微塵もないことに、私はますます腹が立ってきた。
「この子をスパイとしてセルデュクに送り込む決定を下したのは貴方という事でよろしいですか?」
陛下は困ったように顔を顰め、チラとレオナの方を見る。
「ああ、その通りだ。貴女を謀るような真似をして申し訳ない。しかし……」
「私は謀られたとは思っておりませんし、新しい医療技術は世界中に波及するべきだと思っています。だから、諜報の事については何も思うことはありません。私が憤っているのは」
きっと、この時の私は感情が昂っていたのだろう。
レオナの肩を指で撫で、ロゾレイズ陛下の顔を思わず睨みつけた。
「この子をスパイとして育て、辛い目に遭わせたことです! 先ほどレオナは良心の呵責に耐えかねて、私に懺悔し、泣いていました。その事に対して貴方に何も思うことや言うことは無いのですか?」
陛下はショックを受けたように、口に手を当て、しばらく考えると言葉を絞り出した。
「……その者は孤児であり、国家政策としてスパイとしての教育を受けさせたのだ。無理にやらせた仕事ではない」
それが国家というものなのだろう。
それでも私はますます腹が立ってきた。
「尚更、怒りが湧いてきたわ! 孤児を拾って育ててやったから国の為に汚れ仕事をしろ、とそう考えるのね? 貴方は!」
「……それは」
陛下は返答に詰まり、俯いてしまうが、私はまだ言いたいことを言う事にした。
「私が1番腹を立てているのは、この子が任務地において身分がバレた時の事です! どのような目に遭わされるか考えたことはあるのですか!?」
ますます声を小さくしながら、陛下は絞り出すように答える。
「……それは そうなる前に、スパイには自害用の毒を持たせていると聞いたことは……」
「毒!? 自決用の毒ですって!?」
「ポーラ様……!」
思わず声が裏返り、また私の剣幕にレオナが袖を引いてくるが、関係ない。
俯く陛下に私は捲し立てた。
「孤児だからどう扱ってもいい、とそういうお考えなのですね! 貴方のことは賢王と伺っていたのですが、ガッカリです陛下」
「……それは、その」
考え込んでしまった陛下に、さすがに言いすぎた事に気づき、私は深呼吸する。
そして、心配そうに陛下と私を交互に見つめるレオナの肩を優しく掴んでやった。
「この子に謝ってください。使命と人としての情の狭間でこの子は苦しんでいたはずです」
「えっ……! ちょっ、そんな……」
レオナは戸惑いながら、顔を青くしたり赤くしたりしたが、私は一歩も譲る気はなかった。
「当たり前の話です。陛下と貴女も同じ人間なのよ。ぞんざいに扱われていいはずはないわ」
ロゾレイズ陛下は顔を上げると、レオナの側に寄り、沈痛な面持ちで深々と頭を下げた。
レオナは驚き、目を瞠る。
「陛下……?」
「レオナ。済まなかった。君の事を道具のように扱ってしまっていた、その事に今の今まで気づいてもいなかった。許してくれ」
レオナは慌てて、陛下に止めるように言う。
「ちょっ!!! 勿体ないです! 陛下…… おやめ下さい! つ、辛く思ったのは確かでしたが、そのお陰でポーラ様の元で働けて、私は幸せでした!」
陛下は頭を上げ、しっかりとレオナの目を見つめ、約束した。
「ああ、そう言ってくれるなら助かる。必ず、報酬以外にも君に報いよう」
「も、勿体ないお言葉、光栄に御座います」
そして、陛下は私の方を向く。
襟を正し、先ほどの動揺とは変わって落ち着いていた。
さすが王というところだろうか。
「……ということで 許して頂けるかな、聖女殿」
「ええ、この子がそう言う以上、私はこのお話はこれでお終いにします。頭を下げられる王はそう多くはありません。やはり貴方は素晴らしい王ですよ、ロゾレイズ陛下」
「……そうか そう言っていただけるなら何よりだ」
陛下はホッとしたように胸を撫で下ろした。
そして、私の目を改めて真っ直ぐと見つめてきた。
「聖女どの、貴女にはぜひこの国に留まってもらいたい。落ち着いたら、報酬、給与などの条件をすり合わせよう」
その言葉に私は驚いた。
何より、陛下の表情には欠けらも怒りや嫌悪が感じられない事にも驚きだった。
並の王なら、こうはいかないだろう。
「……これほど貴方に無礼な啖呵をきった私にそんなオファーを?」
「何を言っておられる。貴方の仰ったことは正論だ。むしろ気付かされたことに感謝している。また気づいたことがあれば、忌憚のない意見が欲しい」
陛下はまるで鉱石のような碧眼で、私を強い眼差しで見つめてくる。
故郷の村に帰るつもりだったが、その熱意に私は断りきれず、返答を保留する事にした。
「そうですか…… わかりました。前向きに検討させて頂きます」
陛下は満足そうに頷き、微笑んだ。
「うむ。では今日のところはゆっくり休んでくれ。改めて弟を助けてくれてありがとう、ポーラ殿。そして…… 見損なったままではなく、私のこともいつか見直して欲しい」
陛下が部屋から去った後、レオナは両腕を広げ、息を吐くと、顔を真っ赤にする。
「……ふう! ぽ、ポーラ様! 先ほどは肝が冷えましたよ! 私のために怒ってくれたのは嬉しいのですが…… 言い過ぎです! あのような事はおやめください! 私がスパイとして育てられたのは、何も陛下の責任ではないです! 国という機関が決めた事なのです! 陛下がお優しい方で無ければ、大変なことになってましたよ!?」
私は自分が間違っているとは思わないけど、レオナの言う事も最もだ。
先程のやり取りの相手がコモドスならば、私は即処刑されていてもおかしくないだろう。
「そうねえ…… よく聞いてもらえたものだと、自分でも思うわ。でもね、レオナ。私は何も間違ったことは言ってないわ。これからも私のスタイルを変える気はない」
レオナはため息を吐いて、眉根を寄せた。
「……まったく 困った聖女様ですね。何かあったら、僭越ながら私がいつでもお守りしますから、その矜持を貫いてください」
「ええ、そうするわね。貴女が助けてくれるなら、安心よ」
そうして、私はレオナの橙色の髪にそっと触れた。