25 ダグラス、無念の最期
帰郷の準備を進めるダグラスに従者の1人が報告する。
「王太子殿下からは、何らの手紙も反応も見られませぬ」
ため息をつきながら、ダグラスは手を止める。
「そうか。残念だ。かなりきつめのお灸を据えたつもりだったのだが……」
「仕方ありません。あのコモドスにはどのような言葉も届きませんよ」
先日の宣言通り、コモドスが戦争終結への道筋をつけ、改心するのなら、ダグラスもこのような荒療治は思いとどまるつもりだった。
だが、コモドスからは何の返信もない。
戦争を止めるつもりも、改心するつもりも無いようだ。
ダグラスは部下や従者たちを見回しながら、感慨深げに都での日々を思い返す。
「まあ、故郷に帰れるので良しとしよう。この都での数年、お前たちにも苦労をかけたな」
カストール領より、都に連れてきた部下たちも最初の頃は都の生活に苦労していた。
苦楽を共にした仲間たちである。
気遣いの言葉に部下たちは、礼を述べた。
「ダグラス様…… 身に余るお言葉、嬉しゅうございます」
「都での3年、楽しかったですよ」
「貴方様の一助になれた事、誇りに思います」
「お前たちのお陰で大きな病にも見舞われず、こうして無事故郷に帰ることが出来る。必ずその働きには報いるつもりだ。ありがとう」
「滅相もございません」
「勿体なきお言葉、ありがたき存じます」
「ダグラス様こそ、奥方さまや息子どのと会いたかったでしょうに……」
年始に帰郷して以来、半年も会っていない妻と息子の顔を思いながら、ダグラスは遠い目になる。
「ああ、ようやくマーサとトビアに会えるのは楽しみだ。お前たちもまずは家族に顔を見せてやるのだぞ」
「ええ、もちろんです」
「娘からの手紙はこうして手放したこともありません」
家族になかなか会えなかったのは、自分だけでは無く、部下たちも同様だ。
ダグラスは申し訳なく思いながら、部下たちに労いの言葉を続ける。
「家族にも会わせてやれず、済まない。本当に苦労をかけたな…… さあ、一緒に帰る準備を始めようではないか」
「ダグラスさま……」
「お気遣い忝いです」
「お前たちには恩賞によって必ず報いるつもりだ。今暫し、帰国まで待ってくれ」
「もちろん、心得ております」
「貴方様に何の不満がありましょうや」
ここまで支えてくれる部下たちを頼もしく思いながら、ダグラスは国王や国政の事にも思いを馳せる。
「そう言ってもらえるなら、ありがたい。それにしても…… 陛下には申し訳ないな。義兄の容態は気になる。コモドスめ! ヤツに付き従う議員どもを排斥出来なかったことも無念だ」
コモドスは嫌われているとはいえ、ポーラを排斥した時のように、若手貴族の少数は彼に付き従う者もいる。
周りを固めるイエスマンたちが、より彼を増長させているのは明らかだった。
「ダグラス様。最後まで国と陛下を思う気持ちはご立派です」
「ですが、もう思い悩むことも無いのです。我らにコモドスのことは関係ありませぬ」
「……そうだな これを機に心を入れ替えてくれればよいのだが」
その時、館の外の方から物々しい足音と怒号が聞こえてきた。
やがて、館の周りで怒号がますます大きくなる。
ダグラスと部下たちは不審なその状況に、耳をそばだてる。
「騒がしいな」
「少し物々しいな。まさか、強盗か?」
「……気を引き締めよ! 何やら不穏だぞ!」
刃のかち合う音まで聞こえてきた。
穏やかな雰囲気から、一転してダグラスたちは己の気持ちを引き締める。
間もなく、階下から弱々しい声と共に、部下の1人が足を引きするように上がってきた。
「ダグラスさま……」
その部下の胸や肩には矢が突き刺さっており、所々から血を流していた。
ダグラスはすぐ様、手負の部下に駆け寄り、その腰を支える。
「! どうした! 何があったのだ?! 誰か! その者に手当を! 階下の者たちの無事の確認も……」
掠れるような声で、その部下は報告する。
「ぶ、武装した兵士どもが…… おそってきました…… 味方もほとんど、ころされ…… は、はやくおにげく……」
言葉の途中で首をがくりと折るように、その部下は白目を剥いた。
周りの部下たちは、脈をとり、彼の容体をダグラスに伝える。
「い、息絶えました!」
「……なんてことだ」
そして、窓の外と階下の様子を確認すると、急いでダグラスに今の状況を報告した。
「ダグラスさま! 周りが兵士に囲まれてます!」
「ひゃ、百はいます!」
「旗は……! 王家の旗を掲げてやがります!」
ダグラス自身も急いで外と階下を確認し、今の状況を察知する。
外は近衛兵と見られる兵士たちに囲まれ、階下では部下たちが侵入してきた近衞たちと戦っていた。
100を超える近衛兵に対し、カストール家の屋敷に詰めている部下たちは30名程度。
多勢に無勢。
階下のダグラスの部下たちは次々と倒れていった。
歯噛みしながら、ダグラスは奇襲を仕掛けられたことを理解する。
もちろん、ある者の仕業だ。
「クソッ!!! まさか、コモドスめ!」
階下の部下たちはあっという間に殺され、武装した近衛兵たちが雪崩れ込んでくる。
カストール家の側近たちは、ダグラスの前に立ち、主人を庇いながら、怒号を発する。
「貴様ら! ここがカストール家の屋敷と知っての狼藉か!?」
「内大臣に逆らうか! おい! 近衛兵だろう!? 貴様ら! どういうことだ!?」
近衛兵たちはニヤニヤと笑いながら、馬鹿にしたようにカストール家の者たちを見つめる。
「ふふふ……! 王太子殿下の御命令ですよ、カストール様。貴方は反逆者だ。ここに命令書も」
近衛兵に掲げられた命令書には、確かに反逆者として、複数名を名指しで非難し、処刑する旨の文言が書いてある。
コモドスの署名も最後に記されていた。
ダグラスはため息をつきながら、頭を振った。
「……そうか コモドスめ。私の予想以上に愚かだったか」
「ダグラス様……!」
前に出ようとするダグラスを必死に抑えながら、カストールに仕える者たちは主人を庇う。
そんな彼らを近衛兵たちは嘲笑う。
コモドスに付き従う者らしく、近衞たちの心根も嫌らしい。
「ご理解いただけましたか? 内大臣閣下。あなたを処刑します」
「さあ、ダグラス様? 大人しくその首を差し出すも良し。それとも、この人数相手に抵抗してみますか?」
部下たちの一部は、側にあった槍や剣を手に取る。
そして、何とか主人を救おうと状況に抗う。
「ダグラス様! 我々がなんとか道を切り開いてみせます!」
「どうか盾の後ろへ!」
カストールの者たちは誰一人、ダグラスを置いて逃げようとする者すら居なかった。
こんな状況でも、忠義を貫く部下たちに溢れそうになる涙を必死で堪える。
「お前たち……!」
近衛兵たちは、笑いながら槍を構えると、容赦なくカストール家の者たちへの攻撃を始めた。
「ははっ! おもしれえ! さすがに内大臣様の配下だなあ! 構わねえ! やっちまえ!」
室内や廊下に怒号と真っ赤な血が飛び交う。
もはや10名足らずしか残っていないカストールの配下たちは、ダグラスを庇いながら必死に戦った。
奮戦の甲斐あり、近衛兵たちが、ダグラスの配下たちの槍に次々と倒れていった。
「チッ!!! 手強いぞ! こいつら!」
「クソッ! 逃すなよ! コモドス様に叱られちまう!」
「こいつら! 袋のネズミの癖に!」
日頃の鍛錬や心構えの違いがこの土壇場で結果として現れた。
傷を受けながらも、ダグラスの側近たちは主人を庇いながら武器を構え続ける。
「ふん! ろくに鍛えてない近衛兵どもめ!」
「いけるぞ! こいつら経験の足りない弱卒だ!」
「ダグラスさま! 本当にもう少しお下がりを! 必ず道を作ってみせます!」
ダグラスは忸怩たる思いに歯噛みしながらも、部下たちの気持ちも汲もうとする。
「お前たち…… 済まない!」
近衛兵たちは、意外な抵抗に戸惑い、突進をためらう。
「……くっ! 厄介な奴らめ!」
「反逆者! 大人しく俺たちに殺されろ!」
カストール兵たちはそんな近衛兵たちを嘲笑う。
「ふん! 鈍っているようだな! 近衛兵ども! あんなカスみたいな王太子に仕えているからか?」
「来るなら来い! 叩きのめしてやる!」
「……クソッ! 反逆者どもぉっ!」
「舐めた態度をっ!」
その時、近衛兵の奥の方からかき分けながら、男が出てくる。
「おい、情けねえな、どけよ」
一際大きなその男はぬらり、と現れ、そして蛇のような眼光でダグラスたちを睨め回した。
そんな男を仲間である近衛兵でさえ、胡散臭そうに見つめる。
「……チッ」
なんとも異様な雰囲気を纏った男だった。
カストール兵たちは、前に出てきた男に尋ねる。
「なんだお前は?」
男は自分の背中にくくりつけた斧を掴みながら、不気味な笑みで応える。
「これから死にゆく奴らに名乗っても仕方ないが、慈悲深い俺は教えてやろう! 俺はワン。ザラ様の忠実な僕だ」
男はザラによって、その身を犬へと堕とした元衛兵の1人だった。
カストール兵たちは、気圧されまいと武器を構え直す。
「はっ! 自らあんな悪女の僕だと名乗るか! 情けないヤツだ!」
「恥ずかしげもなく名乗れたものだな! さすがコモドスなどに仕えるだけある」
ワンは余裕の笑みを浮かべながら、斧を軽々と振り回して、歩みを進める。
「……クククっ!!! いいぜえっ! 生意気な口を聞いたヤツを叩きのめすのは気持ちいいからなあっ!!!」
カストール兵たちは、数名前に出るとワンを取り囲むように武器を振りかざした。
「やってみろ! ザラの犬!」
「くらえっ!」
しかし複数の方向から来た攻撃はワンのしなるような腕に掴まれた斧によって弾かれる。
そしてワンは一気に距離を詰めると、斧を1人の兵士に向けて振り下ろした。
カストール兵の1人が頭から血を噴いて倒れる。
「ああっ! くそっ! 1人やられたぞ!」
「気をつけろ! こいつどこか妙な動きをするぞ!」
「囲め! 一斉に攻撃するぞ!」
近衛兵でさぇ、唖然としながらも見つめる中、カストール兵は勇気を出し再びワンを取り囲む。
ワンはニィと笑いながら、戦いと殺しを楽しんでいるようであった。
「クククク……! おい、お前ら、手を出すんじゃねえぞ。こいつらは俺がぶっ殺す!」
「やれるならやってみろ!」
「犬野郎!」
「さあ! かかれ!」
再びカストール兵は今度は、周りをしっかり固めながら、一斉に武器を振り下ろす。
複数の方向からくる攻撃を今度こそは防げる訳がない、そう考えたのは間違いだった。
ワンの腕が伸び、手に持った斧が全ての攻撃を弾いていく。
「……?!」
「なんだと!?」
「ハハッ! あめえんだよ!」
そして、ワンの伸びた腕に掴まれた斧がカストール兵の首を刎ね、脳天を貫いていった。
「グアッ!?」
「……ああっ!?」
「ふぐうっ!?」
あっという間にカストール兵たちは、無残な遺体へと変貌した。
「あーあ。思ったより張り合いの無いことだぜぇ」
ダグラスは部下たちの死体を見つめ、悔悟に奥歯を噛み締めた。
「……お前たち 済まない……」
ワンはニヤニヤと笑いながら、ダグラスに近づくと斧を担ぎながら、鼻をほじる。
「ふう。さあ、ダグラスどの? 見苦しく命乞いするか、それとも無駄な抵抗にかけるかい?」
ダグラスは腰の剣を抜くと、構え、ワンを睨みつける。
「見くびるなよ、小僧。今さら死に臆すると思うな! 私の部下を殺した落とし前はつけさせてやるぞ!」
ワンはその返答に嬉しそうに大声で笑い、近衛兵たちを睨む。
「フハハハハ!!! おもしれえ! おい! お前ら! 手を出すんじゃねえぞ!」
「舐めるな! せめて貴様くらいは道連れにしてやる!」
斧を構え、ワンはダグラスを見つめ高笑いした。
「フハハハハ! 無理すんな! おっさん!」
ワンの腕が伸び、斧の一撃がダグラスの剣を襲う。
「……ぐっ! バケモノめ……!」
余りに重い攻撃はダグラスの腕を痺れさせた。
再び斧の攻撃がくるが、ダグラスは後退りしながら、距離をとる。
(なぜか奴の手足は伸びる……! だがそれを逆手にとれば!)
間合いの外から、攻撃を受けずに逃げるダグラスにワンは痺れを切らせたようだ。
「おいっ! 逃げてばっかりでがっかりだぜ! おっさん!」
「ふん! 挑発には乗らん!」
「このやろっ!」
ここでワンの大振りの一撃がきた。
ダグラスは斧の斬撃を、攻撃方向の横からいなすように弾いた。
「でやあっ!」
「おおっ?!」
ワンの手から斧が溢れ、床へと転がる。
この機を逃さずに、ダグラスはすかさず突っ込んでいった。
「うおおっ!」
伸び切った腕は、防御に間に合わず、ダグラスの剣がワンの胸を貫いた。
(やったか!?)
ワンの胸元からは赤と紫色の混じったような体液が流れるのが見えた。
しかし、身体がくず折れる、との予想に反して、ワンはにっと笑う。
「残念だったな! おっさん!」
「なに!?」
驚くダグラスをよそに、己の胸に突き立った刃を掴むとそのまま剣を奪い取った。
そして、剣を振りかぶる。
「俺には人間の常識は通用しねえんだよ!」
「グアッ!?」
ワンの剣がダグラスの胸を貫いた。
血を吐きながら、ダグラスは仰向けに倒れる。
ワンは血を拭いながら、尚も笑うと、ダグラスの首へと刃を突きつけた。
「ふう! そこそこ楽しかったかな? なあ、おっさん! 言い残したいことはあるか?」
ダグラスは笑みさえ浮かべながら、倒れたままワンを見つめた。
「……くっ! ふふふ! コモドスにバカは死ぬまで治らない、と伝えておけ」
「そうか。じゃあな、おっさん」
ワンの腕がしなり、刃が迫るのが、ダグラスにはゆっくりと感じられた。
(すまない、マーサ、トビア。どうか達者で……)
最期に思うのは妻と子の姿であり、そこでダグラスの意識は途切れた。




