23 ダグラス、甥に諫言する
セルデュクの議会には、いつものような緊張が広がり、外套を纏った青年が美しい女と腕を組みながら遅れてやってくると、議員たちは一斉に礼をとる。
「王太子殿下に礼!!!」
コモドスはザラと並んで1番高い壇上に上がると、口の端を曲げる余裕の笑みを見せて議員たちを見回した。
「さて諸君! 本日、集まってもらったのは、目下の戦争における臨時法の発令についてだ! 現在我が国はサクラモンとの戦争において一進一退の攻防を繰り返している! この戦局を打開する為には、更に前線に兵と物資を送り込む必要がある! よって、戦時における徴兵と増税の勅令を発令する!」
俄かに議場がざわめく。
先日と同じ発議内容であるが、何故か今日に限って宰相を始めとする、戦争に反対する有力な議員たちの姿は見えず、このままではコモドスの意見に押し切られ、徴兵令や増税が成立してしまいそうである。
数名の良識派議員たちが、恐る恐るコモドスに尋ねた。
「殿下……! 意図は分かりますが、そのような大きな発令となりますと、陛下の裁可が必要です……」
コモドスはニヤリと笑いながら、懐から紙を取り出した。
「心配するな! 既にここに! 玉璽による勅令書がある! もちろん父上にも許可はもらってある!」
コモドスから侍従に手渡され、議員たちは驚きながら、その書類を順番に手にする。
書類には、徴兵や増税の内容の横に、独特の模様を組み合わされた朱印が鮮やかに捺印されていた。
「これは……」
「本物の玉璽ですな……」
この国における玉璽と言えば、初代王から伝わる、王自らの命令に押される印であり、この印が押された書類は勅令とされ、絶対的な権威と効力を持つ。
議員たちは眉を顰める。
「ふむ…… 大変な立案作業ですが、考慮しなければなりますまい……」
コモドスは拳を振り回しながら、顔を真っ赤にして、ますますがなりたてる。
「考慮、ではなく、やるのだ! この私と陛下が発議しているのだぞ! 何としても、税を徴収し、民たちから兵をかき集めるのだ!」
「……わかりました 審議に入りましょうか」
議員たちが、渋々と発令の内容を検討しようとし始めた頃だった。
議場の重い扉が開き、複数名の何者かが入室してくる。
そのうちの1人は宰相であり、全員が反王太子派と目される議員たちだった。
とりわけ威容を放つ先頭を歩く男は席に着くと、低く太い声で議員たちを見回し、遅刻を詫びた。
「遅参すまぬな」
議員たちは、目を見開き、全員がその男を見つめた。
「ダグラスどの!」
「内大臣閣下!!!」
宰相が反対派を引き連れ、やってきたことにも驚くが、内大臣ダグラス・カストールが久々に本会議に姿を見せたことに全員が驚く。
ダグラスはブラス王の義弟であり、議会において大きな存在感を示していた。
コモドスはわなわなと肩を震わせ、ダグラスとその他の議員たちを睨みつけた。
全員が自分の意見に真っ向から反対する者たちであるからだ。
コモドスは、特にダグラスを幼少の頃より苦手としていた。
王の権威に臆す事なく、時に誰よりもきつく自分の事を叱るからだ。
コモドスは指を刺し、忌々しげに怒鳴りつける。
「ダグラス・カストール! 宰相やその他の者どもも! 今さらながら何をしにきた? 議事進行の邪魔だ! この私を差し置いて遅参するなど何事だ! この場から去るがいい!」
ダグラスはふっと微笑みながら、コモドスを見つめ返した。
「そうはいかぬな、我が甥、コモドスよ。そして、久しく会うな。私はお前の手助けにきたのだ」
その言い草にコモドスは顔をますます赤らめながら、声を荒げる。
「……! ぬぅぅぅぅぅ!? 何だぁ!? こ、この私に向かってその口の聞き方はぁぁぁぁ!?」
側にいたザラ・ステインが、コモドスを庇うように声を張り上げた。
「王太子に謝りなさい! カストール! この方は……」
みなまで言わせず、ダグラスは目を見開き、ザラを大きな声で怒鳴りつけた。
「黙っておれい!!! 国政をかき乱す女狐が!!! 何もわからぬ小娘は控えていろ!!!」
びくりと肩を震わせ、ザラは気勢を削がれたように今度はコモドスの背後に回り込む。
「……!!! な、なんなの!? この人! 殿下!」
ザラまで愚弄され、コモドスは怒りに震えた。
「ぐっ! 貴様ァァァァ! 私のザラによくも……!」
ダグラスは椅子から立ち上がると、議場に響き渡る声で、コモドスの顔を真正面から睨みつける。
「甘ったれたことをぬかすな!!! コモドス! 議会に貴様の愛人を帯同し、さらには政治のこともわからぬその小娘に自由な発言を許すとは何事か!? 国政は貴様の遊戯の場ではないのだぞ!!!」
コモドスだけでなく、他の議員たちもあまりの威圧に気圧された。
その本物の怒りに、顔を青ざめさせなから、コモドスは怒りで声を張り上げる。
「……お、おのれぇぇぇ!!! カストール! 私は王太子だぞ! 不遜な口を聞くんじゃない!!!」
「お前が立派な王太子で、役目を果たしているのなら、私も礼を尽くそう。だが、今のお前は自分の思いのままに権力を振るう暴君に過ぎない!」
「……カストールぅぅぅぅぅぅぅぅ!!! 言ったな! おい! 衛兵ども! こいつを捕縛せよ!」
コモドスが衛兵に命令すると数名が、ダグラスの元へとやってくるが、その前に武装した騎士たちが、行手を阻んだ。
ダグラスを護衛する為にやってきた、カストール家付きの騎士たちだった。
衛兵たちは、たちまちのうちにカストール家の騎士たちに組み伏せられ、逆に拘束される。
「……ぐっ! こいつら……!」
「て、手強い!」
配下の人員でも、ダグラスには敵わない。
あまりの悔しさにコモドスは、身体を震わせながら、ダグラスを指差した。
「ぐうううぅぅ!? おのれっ! 叛逆する気かっ!? ダグラスっ!!!」
ふんと、ため息をつきながら、ダグラスは穏やかな目でコモドスを見つめる。
「叛逆だと? 私は陛下に忠誠を誓ったが、貴様などに仕えた覚えはないぞ? コモドスよ」
「……お、おのれぇぇぇぇぇぇ!!! おい!衛兵長! 何をしている!? 新手を繰り出せ!」
しかし、衛兵の長も内大臣の圧に押され、すぐには動けない。
ますますいきり立つコモドスを宥めるように、ダグラスは穏やかな声で話す。
「そう気張るな、コモドス。私はお前の叔父として話をしにきただけだ。安心せよ」
「叔父として、だとぉ!? ふ、ふざけやがって!」
微笑みながら、ダグラスはコモドスの元に歩み寄ると、同じ目線にまでやってきた。
「そうだ。お前も気安く私を叔父として、振る舞うがいい。遠慮はいらんぞ。心を開け、コモドス」
顔を真っ赤にしながら、コモドスは拳を握りしめるが、その内心は怒りと恐れが内在しているようだった。
コモドスは玉璽が押印された勅令書を突き付けながら、ダグラスに怒鳴りつける。
「お、おのれ……! どこまでも不遜な……! おい! これを見ろ! 玉璽付きの勅令書だぞ! 父上の裁可も降りている! 徴兵も増税も決定事項だ! 下がれ! ダグラス!」
ダグラスは眉を顰めながら、ため息を吐いた。
「ほう、その書類を少し見せてもらえるかな?」
「ふん! 偽物だと疑っているのか? 好きなだけ見るがいい!」
ダグラスは乱暴に手渡された書類を受け取ると、しばらく眺めていた後、なんと徐ろに破き始めた。
コモドスは目を見開くと、身体を震わせて大声を上げる。
「……貴様ぁぁぁっ!!! なにをするっ!?」
ダグラスはその場に紙片をばら撒きながら、呆れた顔でコモドスを見つめた。
「コモドスよ。こんなもので大人を騙すのは辞めておけ。オモチャの印鑑だろう? 悪戯で国政を揺るがすでない」
ダグラスに玉璽の真贋は分からなかったが、何一つ臆することはなかった。
何より、書かれている内容が間違っているからである。
議員たちは騒めきながら、成り行きを見つめる。
コモドスはますます顔を真っ赤にして、ダグラスに指を突きつける。
「き、貴様!!! 玉璽付きの書類を破いたばかりか、私をここまで愚弄しよるかぁぁぁぁ!!!」
はあ、とため息を吐き、ダグラスは微笑むとコモドスの肩を優しく叩いた。
「いいか、コモドスよ。落ち着け。お前の為に言っているのだ。ここにいる全員がこの国とお前のことも心配しておる。まずは今起こっている戦争を終わらせる事から始めようか」
「……はぁはぁ! なんだと……!?」
辺りを見回すと、反コモドス派議員たちが、真剣な表情で彼らを見守っていた。
思わずコモドスも気圧され、ダグラスの話に聞き入り始める。
「これから、お前に改善案を突きつける。3日以内に返答が無ければ、私を含め我らはみな、領地に帰り、中央政府の指令は一切聞かぬ。お前の独裁が続くうちはな」
「……ふ、ふざけるなっ!」
激昂するコモドスに構わず、ダグラスは懐から書類を取り出すと読み上げ始める。
「一つ、病床のブラス陛下と我々を会わせること。その上で陛下には然るべき治療を受けていただく。いいか、陛下の病状には我々一同、不審を抱いているのだ。意味は分かるな?」
「……こ、このっ!!!」
怒るコモドスに構わずダグラスは続ける。
「二つ。教皇庁から来ている破門状には、すぐに謝罪の返事を返すこと。これは聖女様への不当な扱いに対する当然の報いであり、王太子である貴様の責任は重大である」
「ダグラスっ!!!」
ダグラスは激昂するコモドスをひと睨みする。
「個人的には聖女さまの失踪は大変残念に思っている。あの方は多くの人を救う事が出来る方だ。コモドス! そんな事も分からずして何が王太子か! この愚か者め!」
「……ぐっ! ギギっ! この私に向かって……!」
歯軋りするコモドスに構わず、ダグラスはまた続ける。
「三つ。貴様とザラ・ステインとの関係を見直すこと。いいか、コモドス。貴様はその娘と出会ってから、判断を間違い続けている。ようく、考えよ。これは貴様の為に言っている」
後ろのザラが何か言うのが聞こえるが、ダグラスの耳には届かない。
コモドスはあまりの怒りに顔を白くさせ怒鳴り始める。
「貴様ァァァァァァァァ!!! ゆ、ゆるさんぞ、ダグラスカストール!!!」
子どもの癇癪は聞かないとばかりに、ダグラスは書類を机に置くと、すっと壇上を降りる。
その書類には反コモドス派議員たちの署名が入っていた。
ダグラスは怒るコモドスを見上げながら、反対議員たちを引き連れ、議場を後にする準備を始め、ふと振り返る。
「我々の要求は以上だ。まだまだ言いたいことはあるがな。とりあえずはこの辺りにしといてやる。もう一度言う。3日以内にこれらの要求に応えること。さもなければ我々は皆、自領に帰る。この戦争中にそんな事が起きれば、どうなるかお前でもわかるな?」
「….…貴様ら! このコモドスに反逆するのだな!」
かっと目を見開き、ダグラスは大声でコモドスを怒鳴りつける。
「国家に背いておるのは貴様だ! コモドス! 陛下はなぜ病に伏している!? なぜ姿を貴様以外に見せない!? みなまで言わすなよ、コモドス!」
「ぐっ! ….…ググググググっ!?」
何も言い返せない、コモドスは机に噛み付かんばかりに唸り始める。
疲れた、とばかりに肩を回すとダグラスは歩み始めた。
「コモドスよ、ようく己の行動を思い返すのだ。では皆のもの、引き上げよう」
議員を引き連れ、帰ろうとするダグラスに尚もコモドスは食い下がろうとする。
「ま、待てっ! ゆ、ゆるさんっ! 許さんぞ! ダグラス! きさまらっ!」
振り返らずにダグラスは背中で応えた。
「我が甥、コモドスよ。反省せよ。今なら引き返せる。何度も言うが、これは叔父としての忠告である」
過去最大に紛糾した本日の議会は、騒めきを残したまままもなく閉会した。




