「葵さん、これは逢引きではないのですよ。」
川賊に対する防犯対策もあって、河川交易には護衛をつけるのが一般的だ。護衛は常時雇いではなく、基本的には川賊に通行料を払うことで護衛をしてもらう。
山賊であった松永何某がそうであったように、川賊が治安維持を担っているのも間違いない。
昭和の繁華街がやくざにみかじめ料を支払う事で治安が保たれていたのと似ているかも知れない。
昭和でもその在り方は行政との癒着と言われていたけど、この時代は癒着そのものだ。それを悪だとするような意識もないと言って良い。行いがあまりに非道で害になるなら悪で、それほど害にならないのなら特に気にしない。むしろ破落戸から守られる分、治安維持になっているのなら善側という認識をされることもあるくらいだ。
川賊はそういう勢力でもあるので、自前で護衛をしているうちのような交易船も、いちいち揉めたり抗争を起こす必要も無いので、通行料を支払うことになる。
将来的には取り込むか潰すかをして、治安維持は行政で行う必要があるけれど、今事を起こしても意味がないどころかデメリットしかない。
今回は交易船に乗って安宅までの交易だ。三湖側にはいかない。外出することの少ない桜も今回は同行している。
安宅住吉に寄進を行うけれど、特に宮司としての行動はしない。長く伸ばしている髪を結って袴を履いて、一見、女武芸者のようだ。
薙刀を持てば巴御前の様に様になりそうだけれど武装は弓だ。
今日は同行していないけど炎も基本この姿だ。ただ炎は狩衣も好んで着ることがある。俺より様になってるんだよね。
途中、梯川流域の村の津に立ち寄り、物々交換で交易をしていく。寺社に銅器を売る場合は銭かたまに銀が使われる。やはり寺社はお金持ちだ。
加賀一向一揆。悪辣な武士に逆らった、民衆による民衆の為のものだったかのように習った気がする。
そんな場所だから、治安は安定していて、武士による搾取もないので農民は豊かに暮らしていたかのような印象を持っていたし、だからこの地をスタート地点に選んだのもある。
でも実際に来てみると、むしろ印象とは全く逆で、武士による統制が無くなったことで自治の意識が高くなったのはいいものの、国人と民衆は賊との境界線がより曖昧になり、寺社が信仰心で寄進を煽り、自らの地位を高めるために本山への上納金を競い合う。
比較的豊かなはずの加賀の国富が畿内に、というか本願寺に流れているのだ。
どの程度流れているのかは把握しきれていないけれど、現代の様に地方交付金で地方経済を支えていても地方の発展は難しい状況なのに、これでは加賀が発展するわけがない。
この時代の価値観から言って特に本願寺が悪い訳でもないし、状況がそういう事になっている、というだけだ。
そもそも加賀一向一揆はきっかけとしては吉崎御坊の介入もあったけれど、守護と国人の対立が引き起こしたものと言ってよく、その後支援していた寺社がより影響を強めていったことで、加賀三ヶ寺による支配や、更にそれを粛清した本願寺が直接支配を確立したという経緯がある。
後の前田家が仮に先進的な統治を行わなくても、加賀の富を加賀に使っただけで戦国期より発展したのかも知れないのだ。勿論前田家が加賀を能く治めていたのは事実だろうけれど。
まあこの時代の人々にその事実を説明しても支持を集めるのは簡単じゃないと思う。信仰心は当然あるだろうし、そもそも常識が違う。
近隣の山間部は武力を使わずに取り込めるだろうしそうするけれど、能美郡全域を武力を使わずに取り込むはあまりに現実的じゃない。
武力で支配した後に、発展という結果を出して支持を集めるしかない。その時点でこそ瀬織津姫の信仰は役に立つ。
そういう事を桜と話しながら、船は川面を進んでいく。
桜も川賊や地域住人との交流、安宅住吉社など現地を視察したことで色々と思うこともあったんだと思う。
特に他人事みたいに考えていたわけではないだろうけれど、以前より少し能動的に発言してくれるようになったと思う。
表情が晴れた桜を見て、もしかしてちょっとした疎外感もあったのかも知れない。炎や翡翠はよく俺に同行して外に出てるからね。もう少し配慮するべきだったのかも。そこは反省だ。
そして明るくなって戻ってきた桜は葵に揶揄われていた。
※本願寺支配による加賀一向一揆の一側面を大げさに描いています。実際には搾取的だったとは言えないかもしれませんが、物語の演出としてそのような状況としております。エンターテイメントとして理解していただければ幸いです。